※この記事は2016年12月04日にBLOGOSで公開されたものです

健康医療情報キュレーションサイトである「WELQ」の全記事が非公開となった。

WELQを運営するDeNAは、専門家による監修が十分にされておらず、記事の品質が低いことを理由に、非公開化したと説明している。(*1) ぼくの感想だが、正直「一体何を騒いでいるのだろう」と思う。

話題になってから閉鎖されるまでWELQの記事を幾つか見てみたのだが、正直に言えばWELQの記事がそれほど酷いものかといえば、僕はそうとは思わなかった。

勘違いがあるといけないので正確に言うと「世間一般に流通している、よくある健康情報と比較して、WELQの記事はそれほど酷いものではなかった」。ということである。つまりWELQの記事も、よくある健康情報の記事も、ごく当たり前に酷すぎて、何をいまさら記事の品質などということを気にしているのかと不思議なのである。さらには東京都が行政指導にあたる(*2)ということに至っては「なら、そのへんのありとあらゆるウェブメディアや、出版社全部呼び出して指導しろよ!!」と叫びたくなるほどである。それほどまでに健康医療情報は質が低すぎるのである。

よくある世間一般で「標準」ともいえる健康情報の記事の論理展開はこうだ。

「この食品や化粧品には、このような添加物が使用されている。この添加物はマウスを使った実験により、こんなに体に悪いことが科学的に証明されている。故に、この添加物を使った商品は危険であり、買うべきではない」だ。過去に『買ってはいけない』という、市販品の実名を出して、その危険性を煽った本がブームになったことがあるが、それ以前から今に至るまで、この論理展開が典型的な健康情報記事のテンプレートである。

さて、この論理展開の何がおかしいのかが分かるだろうか? それはマウスを使った実験によって体に悪いことが証明されていることと、その添加物を使った商品が安全か危険かであるということの意味が逆転している部分がおかしいのである。

典型的な記事では「危険性が確認されているから危険である」と、その危険性を煽る。しかし本来は「危険性が確認されているからこそ安全」なのである。

そもそもマウスなどによる添加物の生命への影響を見る実験は、危険性を確認するために行われている。だから実験では、食品添加物であれば、ありえないくらいの量をマウスに摂取させるし、シャンプーや石鹸であれば何十時間も皮膚に塗ったままにする。そのように極端なことをして、わざと害を出すのである。そうしてわざと害を出して、危険性を確認した上で、その添加物を体重あたりどのくらい使えば危険であるかを算出する。それはイコール「どのくらいであれば安全か」を算出することなのである。

そのうえで、危険と安全の境となる分量の百分の一程度の使用量であれば安全であるという計算をして、その添加物に対する一日摂取許容量を設定する。そこからさらに一日摂取許容量を下回る形で食品衛生法上の使用基準が設定される。

さらに、食品製造会社は添加物を「おまけ」として添加しているのではなく、添加物を使用することで得られる効果を必要として使用するので、使用基準いっぱいに添加物を使用することはなく、実際の使用量は極めて少ない。そうした食品添加物を含む食品を食べた我々の実際の摂取量は、そのほとんどが一日摂取許容量の百分の一や千分の一という数値となっているのが現実である。(*3)

福島第一原子力発電所事故における「放射性物質」の話にも言えることだが、実際にそれらの物質が人間にとって危険であるか否かは、その量が多いか少ないかによる。健康情報を考えるときに量の概念を省いて「この物質は危険だから危険なのだ」という主張をしている記事は一切、信用するに値しない。

しかし残念ながら、そうした量の概念を踏まえた記事には、なかなかお目にかかれない。

特に今回のようなキュレーションメディアや、週刊誌などでは、全く目にしないと言っても過言ではない。なぜかは明白で、これらのメディアが「ショッキングな見出しを売るメディア」だからだ。週刊誌は中吊り広告で、キュレーションメディアはgoogleの検索結果で、思わずクリックしてしまうような鮮烈な見出しを競っている。

例えば「子宮頸がんワクチンを接種しましょう」という見出しは全く注目を浴びないが「子宮頸がんワクチンで副作用続出!母親たちの悲鳴が聞こえる!!」なんていう見出しなら、それなりに注目を集めるだろう。こうして、子宮頸がんのワクチン接種は世間に「リスクの高いこと。しないほうがいいこと」として認知されていく。実際には副作用のリスクよりも、子宮頸がんになるリスクのほうがはるかに高いにも関わらずだ。

こうしたメディアでは見出しと本文の価値が逆転している。鮮烈な見出しをつけるために、それに見合う本文を作り出す。

それでも文章の上手なライターは、見出しに鮮烈な言葉を出しつつ、内容は見出しで感じるほど苛烈な内容ではないという記事を書いて、批判を避けるのだけれど、記事単価の高くない、下手なウェブライターの記事の場合、そのバランスが取れずに、見出しの印象そのままの一方的な記事を書いてしまうことがある。そうした記事を頻繁に目にするようになると、知識のある人は「このメディアは質が低い」という評価し、そのメディアを無視するようになるが、量の概念を考慮しない記事に慣れ親しんでいる人々の多くは、質の低い記事であるという事にすら気づけないのである。

さて今回、WELQの記事の質が騒ぎになったことで、今後は記事の質が重視され、見出しで扇動するような記事は減っていくのだろうか?

ぼくは全くそうとは思わない。

そもそも、今回の件でのネットでの反応を見るに、みんなが気にしているのは記事の質の低さではないように思える。そもそも健康医療情報は、先に論じたように全体的に質が低いので、それだけならWELQというメディアだけを叩く理由にはならない。

WELQ問題を早くから論じていたBuzzFeeDの記事(*4)を見るに、そこで注目されているのは、記事の質の低さとともに、WELQのSEOの強さである。

SEOとは「検索エンジン最適化」のことであり、単純に言えば「自分たちのサイトをいかにGoogle検索のトップの方に掲載させるか」という技術である。

映像作家が見れば必ず世界中の人が感動する動画を作ったとしても、その動画がGoogleの検索に引っかからなければ、インターネットの世界では「存在しないのと同じ」である。検索エンジンはインターネットの地図であり、可視化という意味においてはインターネットそのものと言ってもいい。だからこそ、企業のサイトを売ろうとすればSEO対策は欠かせない。

そしてもちろん、ある会社のサイトがGoogle検索上位にでてくれば、別の会社のサイトは下位に落ちることになる。そこにはキュレーションサイトを含め、多くのページビューを増やしたいサイトによる「戦争」があるのである。

そう考えると、WELQというサイトは、記事の質は低かったがSEOの質は高かったといえる。だからこそ、検索上位に表示され、質の悪い健康医療情報を垂れ流し、ごく一部の優良な健康医療情報と、もうひとつ他の会社の質の低い健康医療情報を下位に押し流したのである。

普段から健康医療情報の質の低さを批判している人たちが、今回のWELQの件について反応するのは当然だとしても、今回はなぜか普段は健康医療情報なんて全く見向きもしない人たちがWELQを批判しているのが目につく。その理由は「SEO対策の強いメディアに泥がついたこと」だ。

要は、今回の問題が明るみに出た結果、WELQ以外の健康医療情報サイトにGoogle上位に躍り出るチャンスが出たのと同様に、これをチャンスと見るサイトで記事を書きたいウェブライターや、SEO対策を売りたいコンサルタント。そしてお金を稼ぐために監修をしたい医療関係者がざわついているのである。

もちろん、それによって優良なライターが書き、優良な医療関係者が監修する。そんな優良なサイトがGoogle上位に表示されるようになり、黒字になって、世の中に真っ当な健康医療情報が届けられるなら、それほど素晴らしいことはない。

しかし、世の中には真っ当な医療情報を持ったライターは決して多くはない。そうしたライターが見つかったとしても、真っ当な記事を書こうとすれば、毎日何本もの記事を量産するようなことは望めない、真摯に記事を書こうとすればするほど、更新頻度の低いサイトとなってしまう。しかし、細かい更新はSEOでは基本であり、どうしても高い更新頻度を要求される。

また、医療関係者といっても、医師という肩書を持ちながら、顔や商品をマスコミに売ることを本業としているような人間も多い。「ガンは放置するべき」なんていう本を売ってお金を儲けている輩も、れっきとした医者なのだ。そうした人が監修をすれば記事の質は落ちる一方である。にも関わらず、マスコミには名前が出ているし、本なども売れているという実績があるがために、質が低くとも顔だけは広い医療関係者ほど、運営会社の上層部の了承を得やすいという、悲しい現実がある。

そして何より我々自身が、科学的な事実よりも、質の低い、偏った情報を好むという現実がある。

健康医療情報を見る側の我々が、「毎日いろんなものを好き嫌いなく食べましょう」とか「体の調子が悪くなったらお医者さんに行きましょう」などという情報よりも「朝にバナナを食べればこれだけで長寿に!!」とか「赤ちゃんには母乳が絶対!粉ミルクは悪!!」とか「その辺の医者のこんな治療は間違っている!!本当の名医が答える常識はずれの医療!!」などという記事の方を好むのである。

なぜそうした記事が好まれるかといえば、そこには「都合の良さ」があるからだ。「バナナを食べれば健康にいい」というなら、食事の内容を考える必要もなく、簡単にできる。「粉ミルクは悪」というのは「自然は常に優しくて、人工物は常に体に悪い」と考える人たちにしっくり来る。そして「標準的な医療は間違えている」という情報は、周囲よりも何か特別なことを知った気になれる。こうした情報には「自分の健康は自分の行為で管理できる」と考える人達ほど、あっさり引っかかる。あのスティーブ・ジョブズだって、ガンの代替医療に騙されて死んだのだ。

こうして「私たちにとって都合が良かったり、自尊心を満たしてくれる、都合の良い事実」は、たとえそれが嘘であっても広く信じられるのである。

その一方で、「街の小さなパン屋さんや、家庭で作ったパンはすぐにカビるのに、有名メーカーの食パンがカビないのは、食品添加物をたくさん使っているからだ!大量生産品には心がない!!」という、みんなが好む論調に対して「小さなパン屋や家庭のパンがカビやすいのは、調理場が有名メーカーの調理場と比べて不潔だから」などという、赤裸々な事実をあっさりと提示するようなサイトは、閲覧者の支持を得にくい。

なぜなら小さなパン屋さんのあの店主の笑顔や、子供に少しでも安全なものを食べさせたいとする「心」をあっさりと否定するからだ。科学的には当然、心がこもっていようと、菌が繁殖する条件があればカビるでしかないのだが、「水にありがとうと言うと、きれいな結晶ができるよ」なんていう馬鹿馬鹿しいにも程がある言説が、好ましいものとして受け入れられてしまう社会では、理解されにくいのである。その結果「無添加」や「ノンベクレル」を称する、無駄に高いパンが売れたりする。僕からすれば詐欺師のしたり顔でしかないものが、お母さんたちにとっては優しい笑顔に見える。それが現実である。

そうだからこそ、WELQというダメなサイトがなくなったところで、次にGoogle検索上位に上がってくるのは、WELQではない別のダメなサイトでしかなかろうことは、目に見えているのである。

心ある人には、WELQというサイトやDeNAの姿勢を批判するよりも「健康医療情報は得てして質の低い情報が好まれてしまう」という、根源的な問題を解決する方向に力を注いで頂きたいと僕は思う。

*1:WELQ [ウェルク] | ココロとカラダの教科書(DeNA)
*2:東京都、WELQ問題でDeNAを“呼び出し” 「同様な他サイトへの対応も検討」(ITmedia ニュース)
*3:よくある質問(厚生労働省)
*4:無責任な医療情報、大量生産の闇 その記事、信頼できますか?(BuzzFeeD)