※この記事は2016年11月27日にBLOGOSで公開されたものです

 東京都心で生活をする人、特に男性にとって、無くてはならないお店が「富士そば」だ。
 24時間営業で、いつでも気軽に食べられる、そば・うどんのチェーン店として、多くの人に親しまれている。
 そんな富士そばの経営が実に「ホワイト」だということが、ネットで話題になっていた。そのホワイトぶりを示すのが「週プレNEWS」による、富士そば社長である「丹道夫」氏へのインタビューである。(*1)

 記事によると、富士そばではアルバイトにもボーナスや退職金が出るという。丹社長は「従業員は資産」といい、ちゃんと待遇すればやめずに働き続けてくれるという。
 確かにいい社長である。こうした従業員の生活に責任を持つ社長が少なくなっている現在、褒め称えられるということは、理解できなくもない。

 僕自身も労働問題などを論ずる立場から、ブラック企業に対しては怒りを感じている。
 しかしその一方で僕が全くわからないのは、ブラックではない企業に対する「ホワイト」という評価である。ましてや「ホワイト企業だから偉い」などという考え方は、あまりにおかしなものではないかと思っている。そして「社長がいい人だからホワイト企業であり、立派である」というレベルまで行くと、一体何を言っているのか、わからなくなってしまう。

 たとえば僕は、41年間生きてきた中で、一度たりとも殺人を犯したことがない。そしてそれは当然であるとも言える。大半の人は一生に一度だって殺人なんて罪を犯すことはない。もし僕が誰かに「おまえ、殺人犯したことないの? すげーじゃん!」と言われたとしても、褒められているとはとても思えないし、むしろそれが褒められるような社会があるとすれば、それは大半の人が一人くらい他人を殺していて当たり前の社会であろう。

 「ホワイト企業」という考え方も、これと同じである。企業がホワイトであることは当たり前なのであって、労働基準法を守らず従業員を使い殺しにしてデカイ顔をしているブラック企業が一方的におかしいのである。
 また、ホワイト企業における「ホワイト」であることの根拠が「社長の意思」であることについても、考えなければならない。なぜなら、企業というもの体制は常に変化するものである。富士そばだって何らかの事情で丹道夫氏が前線を退けば、他の社長が富士そばを背負うことになる。そのときに新しい社長が丹道夫氏ほど従業員を大切に思っていなかったり、またちょっと収益が落ち込んだときに変なコンサルがやってきて「従業員にボーナス払ったり、最賃以上の時給を与えるのは収益性にとってマイナスだから辞めよう」などと囁やけば、途端に従業員の待遇は揺らいでしまう。

 つまり、ホワイト企業であっても、ブラック企業であっても、従業員の運命が社長の考え方ひとつに左右される状況そのものが問題視されなければならないのである。

 ブラック企業が増えるのは、社長の心がけが悪いからではなく、そうした社長の下であっても働き続けなければ生活が成り立たない「社会保障の不全」という問題があるからである。
 ブラック企業に務めている人も、何も好きでサービス残業や薄給に苦しんでいるわけではない。そうした状況は労使間の強弱関係が対等ではなくなっており、労働者は極めて不利な状況にあるから発生する。本来であれば、そのような場合は労働者が会社を辞めて、別の真っ当な待遇の会社に移ることによって、ブラック企業で働く人がいなくなり、会社として成り立たなくなることで、ブラック企業は駆逐されるハズである。
 しかし、真っ当な社会保障がなく、生活のためにその会社の給料に依存せざるを得ない状況では仕事をやめた途端に露頭に迷う危機があるために、労働者は不利な労働条件でも働き続けざるをえない。

 いわば国や行政が真っ当な社会保障を与えないからこそ、会社は労働者に対して、その生活を人質にして、不利な労働条件を飲ませ続けることができる。つまり、社会保障が不全であることによって、健全な労働市場が形成されず、そのためにブラック企業がはびこっていると言える。  ブラック企業の問題というのは、まさに労働市場の不全という問題であり、どこかの社長の善意によって解決されるものではないのである。

 少し話は変わるが、ロイヤルホストが24時間営業を辞めることが報じられた。(*2)
 これも本質としては自社の利益を考えた上で、24時間営業を辞めるほうが損益が少ないというだけのことであろう。
 しかし、ネット上では「24時間ファミレスが開いているなんておかしい」という、さも労働者を気遣ってのことであるかのように賛美されている。  これも富士そばの件と同じように、ただ企業が利益を追い求めているだけのことを、さもその企業体の「善意」であるかのように解釈してしまっている例である。

 こうした理解の悪い点は、先程論じたように、本来はシステムの問題としてシステマティックに解決されるべきことが、さも誰かの善意で解決できるように思い込んでしまうことである。問題をシステムではなく個人のがんばりによって解決することを善しとする姿勢は、むしろ、人手不足を従業員の尻を叩くことで解決させるかのようなブラック企業の論理に等しいのである。

 企業は営利を求めて働くものである。
 また、労働者も自分の利益のために働くものである。
 そのお互いにとって重要なことは、決して相手のことを思いやる善意ではない。
 そうではなく、互いの利益のために対等に渡り合うことのできる「労働市場」の存在である。
 僕にとってはブラック企業が発生するのも、当たり前の存在であるホワイト企業が褒め称えられてしまうのも、市場が不健全であることの証拠であるように思える。

 市場の健全化に必要なことは、労働者が不利な条件を飲まなくても良いように、社会保障が充実することである。  労働せずとも生きていける社会こそが、労働者が会社を選ぶことのできる、真っ当な労働市場と、人材獲得のための正しい競争を産むのである。

*1:アルバイトにもボーナスを支給する理由とは? 「富士そば」会長が語る、超ホワイトな経営哲学(週プレNEWS)http://wpb.shueisha.co.jp/2016/11/15/75095/
*2:ロイヤルホスト、24時間営業廃止へ 定休日導入も検討(ハフィントンポスト)http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/17/royal-host_n_13058342.html