宇多田ヒカル「Fantôme」がCD販売モデルに止めを刺した? 音楽ジャーナリスト・宇野維正氏が語る日本の音楽業界復活のカギとは - BLOGOS編集部

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※この記事は2016年10月21日にBLOGOSで公開されたものです

「1998年の宇多田ヒカル」に続いて「くるりのこと」を上梓した音楽ジャーナリスト・宇野維正氏。宇野氏は、近年、日本とアメリカをはじめとする海外では音楽シーンの盛り上がりに「絶望的な差がある」と指摘する。こうした「差」はなぜ生まれてしまったのだろうか。そして、今後再び日本の音楽シーンが輝きを取り戻すために、どのようなことが必要なのだろうか。前回に引き続き、宇野氏に聞いた。(取材・文:永田 正行)

日本はストリーミングへの対応が遅すぎた

-前回、「1998年の宇多田ヒカル」を上梓した際に話をうかがった時、現在の日本の音楽業界のビジネスモデルは、多くの人にCDを買ってもらうという形から、ライブやファンクラブに注力するように変化しつつあって、それぞれのアーティストのファンがどんどん囲い込まれていると指摘されていました。

宇野:日本の音楽業界による囲い込みという点で最も顕著なのは、ストリーミング配信の出遅れですよね。つい先日、Spotifyのサービスが始まりましたが、ここまで日本でこぎつけるのに7年かかったと聞いてます。でも、既にアメリカでは、音源による収益の半分がストリーミングで、残り半分がCDとダウンロードという状況になっているんですよ。

海外ではSpotify、Apple Music、そして日本にはまだ進出していないPandraといったストリーミング・サービスの普及によって、音楽のいわゆるライト・リスナーが増えたんです。一方、日本の音楽業界はヘヴィなリスナーや熱心なファンにお金をつかわせる策ばかりを練って、なんとか減収のペースを遅らせようとしてきた。今は、そのツケが全部回ってきているような状況にあります。

特にアメリカの音楽シーンは急進的で、今やCDを出さないどころか、ダウンロード販売すらしないチャンス・ザ・ラッパーのようなアーティストも出てきています。彼は地元シカゴでフェスを主宰するとスタジアムをいっぱいにするほど人気があって、そこにはカニエ・ウェストがサプライズ・ゲストでやって来たり、つい先日もオバマ大統領からホワイトハウスに招待されたりと、今年の音楽シーンの顔となっています。

また、海外ではレコード会社がこれまでの権利ビジネスから排除されつつあって、例えば、フランク・オーシャンは、わざわざレコード会社との契約を満了するために、セカンドアルバム「Blonde」をリリースする前日にまったく別の音源をビジュアルアルバムとしてApple Music独占でリリースしました。

つまり、レコード会社から完全に自由な状態になってから、正式なセカンドアルバムをダウンロードとストリーミングでリリースしたのです。「Blonde」はまだCDとして商品化されていませんが、自分も含め、おそらく世界中の批評家が今年のベスト・アルバムに挙げることになるでしょう。海外では、もう完全にCDの時代は終わってしまったんです。

-日本の音楽業界とは、もうまったく違う状況になっているんですね。

宇野:音源に対する考え方は、もう完全に別の星のようですね。もちろん、ストリーミングのビジネスモデルは、ドレイクやウィーケンドのような世界中で何億ストリーミングもされるような、英語圏の一部の人気アーティストにとって有利にできています。ネットの世界はどのジャンルもそうですけど、一極集中しがちですよね。でも、もうメインストリームはそこにしかない以上、遅かれ早かれ、野心を持った日本のアーティストもそこに飛び込んでいくしかないでしょう。

そういう意味では、インディーズは別として、日本のメジャー志向のアーティストの未来は相当厳しいと思います。実際、現状でも全体のCDセールスからジャニーズと48系グループとLDH系グループ(EXILE、三代目J Soul Brothersなど)を引いたら、何が残るのかという話です。そこと、ドリカムやサザンのCDを買う40代以上の人たちが支えているような状況ですから。

今年の年末に、SMAPのベストアルバムが出ますが、それが日本では最後のメガヒットアルバムになるのではないでしょうか。でも同時に、「最後に買ったCDがSMAPのベストアルバム」となってしまう人も多いと思います。

ただ、若い世代にはかなり期待もしているんです。残念ながら、今の30代前後の世代は、戦後の日本の中でも突出してドメスティック志向の強いリスナーの割合が多くなってしまった。その背景には、レコード会社が洋楽CDのレンタルに規制をかけたり、洋楽部門の縮小によってまともに日本盤をリリースさえしなくなったり、ストリーミング・サービスに非協力的であり続けたことがあります。でも、そこに変化の兆しはあります。

実際、一部の20代以下のミュージシャンの作品には、これまでの日本の音楽とは確実に違う空気が流れていると感じることが多い。彼らにとって、チャートの上位はアイドルと90年代にデビューしたベテラン・ミュージシャンばかりの日本よりも、フランク・オーシャンやチャンス・ザ・ラッパー、あるいはアヴィーチーやスクリレックスのようなEDMのDJでもいいですけど、そういう若いアーティストがどんどん成功を収めている海外の音楽シーンの方が魅力的に見えるのは当然でしょうからね。

「Fantôme」はCD時代に出た最後の宇多田ヒカルのアルバム?

-欧米と日本では、それほど音楽シーンの勢いに差があるのでしょうか。

宇野:それはもう絶望的なぐらい差があります。

例えばストリーミングが主流になりつつあるこの状況に対して、アーティストがそれを渋々受け入れるのか、それを「利用してやろう」と考えるのかでまったく違ってくる。日本のアーティストの多くは、レコード会社や事務所の方針に従って、受け入れている人たちも渋々受け入れている感じがするので、ユーザー側としてもそこで沸き立つものがないですよね。

フランク・オーシャンやチャンス・ザ・ラッパーのように、CDを出さないことでそこに人を誘導するようなことをする動きもありません。普及率が違うといえばそれまでですけど、じゃあ普及率を上げるにはどうすればいいのかということを誰も考えていないように見えます。

9月末に宇多田ヒカルの「Fantôme」が発売されましたが、これはある意味とても反動的ではありますが、非常にチャレンジングなリリース形態でした。初回盤限定だとかDVDだとかで様々な特典が付いて、複数形態でリリースするのが当たり前の時代に、完全に通常盤一種のみでリリースされたからです。発売日にCDショップを回りましたが、よくある店頭特典のようなものもまったくなし。それで、3週連続でアルバム・チャートの1位ですから(10月19日現在)、大したものです。もしかしたらこれを読んでいる人は普通のことと思うかもしれませんが、今はそんなCDの売り方をしている人気アーティストはほとんどいません。

ただ、自分はそこに「CDの時代に出す最後の宇多田ヒカルのアルバムだ」というメッセージを受け取りました。一切のドーピングなしでどこまで売れるのか、それを見極めようとしたのではないでしょうか。

-純粋な作品の力だけで勝負しようと考えているわけですね。

宇野:そういうことだと思います。さらに、アルバムの内容においても、今の日本の音楽シーンの空気とはまったく違う空気を吸っているアーティストならではの、極めて今日的なものになってました。

「Fantôme」には、他のミュージシャンとコラボレーションした曲が、今回11曲中3曲含まれています。同期であり同窓の椎名林檎とのコラボは「待ってました!」と言うべきものでしたが、小袋成彬とKOHHという、どちらも20代半ばのインディペンデントで活動しているアーティストと一緒にやっている曲は、その楽曲の仕上がりにおいても、その重要性においても、アルバムの中でも抜きん出ていました。

これは特にアメリカのヒップホップのシーンで以前から顕著で、それが近年はポップ・ミュージックのすべてのジャンルに及んでいるのですが、人気アーティストには、新しい才能を発掘して、それを多くの人に紹介する使命があるんです。それがそのアーティストのフレッシュさを保つ鍵でもあり、また、シーンやリスナーからの信頼の証にもなっている。

実際、今の音楽シーンの隆盛も、カニエ・ウェストがいち早くダフト・パンクと繋がり、ボン・イヴェールと繋がり、というかたちでヒップホップやR&Bと他のジャンルの音楽が混ざっていったことが大きなきっかけとなっています。それと同じようなことを、遅ればせながら、宇多田ヒカルがやり始めているというのは、「さすがだな」と思いました。

また、これは偶然というか、ある意味では必然でもあると思うのですが、宇多田ヒカルが今作でフィーチャリングしているKOHHという韓国人と日本人のハーフのラッパーは、先ほど話したフランク・オーシャンの新作「Blonde」にも参加しているんですよ。先日、「Fantôme」が世界中のiTunesチャートで上位にランクインしたことが話題になりましたが、それ以上に自分が興奮させられたのは、間違いなく今世界で最もクールなアーティストのアンテナと、宇多田ヒカルのアンテナが、そこで一致していたことです。

「クリエイティブな繋がり」が音楽シーン復活のカギ

-今後、日本の音楽シーンが力を取り戻して行くためには何が必要だと思いますか。

宇野:今後鍵になってくるのは、アーティスト同士の“繋がり”だと思います。日本ではまだ作品として結実されることはあまりないですが、興行の面ではもうとっくにその段階に入っています。くるりや10-FEETや氣志團がやっているアーティスト主催のフェスは、そのいい例ですよね。そこではビジネス的な理由ではなく、アーティスト同士の繋がりによってブッキングが行われています。そういうフェスは、バックヤードの雰囲気もいいですし、その雰囲気はオーディエンスにも伝わるんですよ。アーティスト主催フェスじゃなくても、これまで考えられなかったような大物同士の対バンや共演が、近年目に見えて増えてきています。

つまり、商業的な共演ではなく、よりクリエイティブなアーティスト同士の繋がりが重要になっていく。現在のアメリカの音楽シーンが面白いのは、そうした交流が本当に盛んになったことが理由です。これはレコード会社や事務所の権利ビジネス的な囲い込みとは真逆の発想でしょう。レコード会社の力が強かった時代は、レコード会社の垣根を超えるのにいろいろな手続きが必要でしたが、今、アメリカではレコード会社よりも人気アーティストの力が強くなったことで、その垣根がほとんどなくなって、ほとんどその場の思いつきやノリによって結果的に互いの表現を高め合うといったことが起こっています。

もちろん、そこではビジネスとして大金も動いているのですが、アーティストの動機自体はどんどんピュアになってきているんですよね。背景として、今のアメリカ社会で起こっている出来事、ドナルド・トランプの台頭や、人種間対立の激化に対する、カウンター意識もかなり大きいと思いますが。

最近自分がすごくいいなと思ったのは、中田ヤスタカが映画「何者」の主題歌「Nanimono」で米津玄師と組んだことですね。中田ヤスタカといえば、Perfumeやきゃりーなどの女性ボーカルもののプロデューサーの印象が強いですが、自身名義の作品で、米津玄師のような普段は全部自分で音を作っているアーティストをボーカリストとしてフィーチャリングしてみせた。こういうことは、これからもどんどん増えていくと思います。

ただ、こうした実のあるコラボレーションの大前提は、それぞれのアーティストにお互いの作品へのリスペクトがあることなんです。そういう意味で、今はシビアな時代だと言うこともできるでしょう。同業者からつまらない仕事をしていると思われている人は、そのサークルに加われないわけですから。一方で、今回のフランク・オーシャンとKOHHのように、突出した表現をしているアーティストにとっては、簡単に世界の壁を越えていくということもある。そういうチャンスがいくらでも転がっているという意味では、今は夢のある時代だと思います。

(うの・これまさ)
1970(昭和45)年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。「ロッキング・オン・ジャパン」「CUT」「MUSICA」などの編集部を経て、現在は「リアルサウンド映画部」で主筆を務める。著書に『1998年の宇多田ヒカル』『くるりのこと』(共に新潮社、2016年)。

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