今、どんな「政治教育」が行われているのか?高校の先生に聞いてみた (1/3) - BLOGOS編集部
※この記事は2016年09月28日にBLOGOSで公開されたものです
18選挙権がスタートしてから初めての国政選挙となった7月の参院選。注目されていた18歳投票率は、全国各地で予想を上回る結果を見せた。この結果を一過性で終わらせないために、選挙期間外の「平常時」において何が必要なのか。BLOGOS編集部では、今後の課題をこれまで現役大学生や全国紙記者などとともに考えてきた。今回は、「主権者教育」の当事者でもある高校の先生たちに、学校での政治教育の課題や現状について話を聞いた。
なお、今回の座談会では、学校側からの要請により直前に欠席となってしまった先生がいた。図らずも、教育現場と政治の間に横たわる問題の根深さを象徴する座談会になったのではないだろうか。【大谷広太、永田正行】
■出席者
・渡辺研悟 神奈川県立大和南高等学校教諭・黒崎洋介 神奈川県立湘南台高等学校教諭
・原田謙介 NPO法人YouthCreate
・西田亮介 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授
■高校ではどんな「政治教育」が行われているのか?
-90年代後半に中高生だった私の場合、中学校の社会科で公民分野を学びました。高校では現代社会を共通で履修しましたが、それ以外は私も含め、ほとんどの人が地理や、日本史、世界史を選択していました。渡辺:すごくいい質問です。政治教育のことを議論する上で、カリキュラムについて細かく見ていかないと分からないことが多いです。学校ごとに異なりますから。
社会科分野には、いわゆる地歴(地理・歴史)と公民という2本柱があります。そのうち公民で2単位を必修にしなければいけませんが、カリキュラムを決める権限は各学校にありますので、2単位は「現代社会」「倫理」「政治経済」のどれでもいいわけです。
テクニカルな話ですが、「倫理」「政治経済」が国公立理系の2次試験の科目にあるということで、「倫理」と「政治経済」を必修にしている学校もあります。
一方で、「現代社会」のみを必修として置いている学校もあります。そうした学校の生徒は政治経済を履修せず卒業する場合があります。「現代社会」も政治経済の分野は扱いますし、大変おもしろい科目であるのですが、これで十分な政治的素養が身につくかといえば、甚だ心もとない。
ですから、政治について中学校とほとんど変わらない教養で高校の学習過程を終える生徒がいても不思議ではありません。ただ、政治や経済についてほとんど知識を身につけずに社会に送り出すということを、多くの社会科教員は快く思ってはいません。
西田:高校進学率はすでに98%近くに達しているわけですから、義務教育に準ずるといえるでしょう。ところが、そこで具体的な現実の政治について学ぶ機会は乏しく、大学入試のための穴埋め問題や暗記が多くを占めます。18歳になって、選挙権を得る頃には全部忘れてしまっていますよね。現実政治を理解し、判断するための道具立てという観点にたつと、とてもチープな政治教育の機会しか用意されていないのが現状です。
-いま、「主権者教育」として、教科書ではありませんが、副読本として「私たちが拓く日本の未来」が配布されています。「主権者教育」の授業が「政治・経済」と補完関係にあるのでしょうか。
黒崎:私の学校では主権者教育を「総合的な学習の時間」に位置づけて、学校全体で実施しています。
「模擬投票を行えば主権者教育である。」ということではなく、事前の学習において争点に関する習得の学習を行った上で、それらの知識を活用して模擬投票に取り組む一連の学習が主権者教育になりうると思います。
原田:この副読本の作成協力者の一人として危惧しているのは、”何かを考えさせる教育”ではなく、投票所の絵が描いてあるページを見ながらの”選挙のことを知る教育”になってしまっているのではないかということです。主権者としての素養を身につけたり、政治そのものを考えたりするきっかけとして使って欲しいですね。
渡辺:神奈川県では弁護士グループが積極的に主権者教育に関わっています。
例えば、商店街にカラオケボックスを建てるという計画について、隣の八百屋さんはうるさくなるから反対、向かいのコンビニの店長は賛成、保護者としては子どもたちが入り浸らないか心配。そういった状況下で、どうやってルールを作っていこうかという授業を展開します。そして議論を重ねる中で、お互いの意見を聞いて、自分達なりの結論を出して、合意形成が図れれば良い。
政治の役割は利害調整とも言えますが、弁護士という仕事はそれに長けていると感じました。外部の様々な方に関わって頂くのも、一つの手段だと思います。
-そうすると、同時にゴールも基本的にはないわけですよね。「選挙権が与えられた時点で最低限このぐらいの知識はあったほうがいいよね」という基準や、確認のためのテストみたいなものを作るべきではないか、という考え方も出てくるのではないでしょうか。
西田:正式な科目ではありませんし、したがって達成度についても先生方の間での共通見解はないはずです。副読本についても、大変コンパクトにまとまってはいるんだけれども、内容的には従来の公民の知識の範囲を出ていません。
渡辺:目新しさがあるかといったら、そんなにないですね。
西田:さらに、総務省の報告書などでは「主権者教育を実施する学校が非常に増えた」と言っていますが、それでもたとえばもっとも身近な「外部」であるはずの選挙管理委員会の出前授業を受講したのは、高校生の10分の1ぐらいとされています。質量ともに、日本でとても主権者教育、政治教育が提供されているといえる状況とは思えません。。
原田:体育館に学年全員を集めて選挙管理委員会の人の講演を聴くだけ、というような学校も多い。高校生に話を聞くと、それで「やっぱり政治はおもしろくないんだ」「自分と関係なさそうだな」と思うだけで終わってしまったと(笑)。そうした内容であっても「主権者教育を実施した」の統計にカウントされてしまっています。
-すぐ働きに出る子が多い学校ならば労働基準法の問題を取り上げてもいいかもしれないですし、進学率が高い学校なら、奨学金の問題を取り上げてもいいですよね。
■政治の現場と教育の現場の「遠い距離」
-先ほど、弁護士が授業をサポートするという話が出ましたが、政治家と一緒に授業を作るという考え方はいかがでしょうか。渡辺:今回、お話ししたかったことの一つに、”学校と政治がすごく離れてしまっている”という問題があります。「政治的中立」という言葉が一人歩きし、「先生たちが偏向しているんじゃないか?」という社会の目もあり、学校自体が非常に及び腰です。
まさに、今日来ることが出来なかった先生がいらっしゃるのも、この傾向の現れだと思います。ですから、政治家を学校に呼ぶのも、まずムリです。
-でも、政治家にインタビューすると、学校で現実の政治や議員の話をしないとダメだと皆さんおっしゃいます。(笑)。
原田:一度だけ、ある私立高校で政治家を呼んで授業をさせてもらったことがあります。自民党と民主党(当時)の地方議員を1人ずつ招いて、生徒が質問をしまくるというものでした。質問を生徒ができるように事前に2回授業を行ってから、議員を招いた授業に臨みました。
理想としてはそういう授業がもっとできるようになればいいのですが、現状はその手前の段階です。教育と政治が離れすぎた結果、そもそも政治家が学校のことをあまりにもご存じない。1コマでもいいので、まず授業を見ていただきたいという思いもあります。
実は僕のところにも、「主権者教育の現場を見に行きたい」という政治家からの問い合わせが結構あります。でも、それを学校側に伝えると「ちょっと政治家の視察はリスクがあるから、ご遠慮願いたい…」となってしまいます。
渡辺:保護者から何か言われる可能性もありますからね…。
―先生方の間に、政治家を巻き込むことが学習の上で良い材料になるという認識はあるのでしょうか?
黒崎:メディアを通したものではない、リアルな姿を見てもらう必要があります。やはり、政治家の熱意や切実感を生徒たちに見せることが「不信感」を払拭することにつながると思います。
西田:政治について批判的な眼差しを持つというのは基本的なスタンスであるべきです。それが政治史の教えではないでしょうか。政治家に「有権者は常にチェックしているんだ」と常に緊張感を与えることができる、そういう意味での「不信感」は根幹にあるべきです。
原田:ただ、やはりメディアを通した情報だけで「なんか政治家、お金の問題ばっかりだよね」みたいなところで止まっている部分も大きいと感じています。
渡辺:自治体の首長であっても学校に呼ぶのは、難しいと思います。
西田:たとえば東京から近い政令指定市の千葉市を例に挙げると、市の広報広聴事業のなかに市長の出前講座というものがあります。一定の人数が集まっている場に呼ばれたら出席を検討するというものです。ですから自治体にもよりますが、首長が自ら出て行くのは微妙ですが、学校から声をかければ可能性はあるのではないでしょうか。
原田:せめて、政治家が身分を生徒に伝えない状態でも良いので、後ろのほうで授業を見学できるような環境は整えていかないといけません。
-つい先日も、自民党が公式サイトに「学校教育における政治的中立性についての実態調査」という投稿フォームを設置し、”密告”の奨励ではないのかという非難を浴びました。神奈川県では、県警が「投票率の高さの理由が知りたい」と高校に電話をかけていたことも、異例なこととして報じられましたね。
西田:政治はいざとなったら、軽々と教育にプレッシャーをかけるということがよくわかります。しかし学校の現場の先生方がそれに対抗していくのはとても難しい。電話をかけて「今から見に行くんで、よろしくお願いします」というだけでも現場には十分なプレッシャーがかかりますよ。教育と政治の昭和史を紐解いてみても、たしかに教員が家庭訪問で政治活動をした事例があったり、いろいろややこしいのも事実です。ただし、今日の座談会にも、急遽管理職から参加を拒否された先生がいらっしゃったり、政治教育は「ややこしい」と思われてしまっているだけに、擁護する具体的な仕組みが必要です。幾つかの、直接的な禁止事項を定め、それ以外は原則として、教育現場に委ねる仕組みづくりが必須です。
原田:あの投稿フォームを作った方々は「いいことをやっている」と思っているのではないでしょうか。「真っ当なことやっているのであれば、何もプレッシャーに感じることはないだろう」と。ですから、批判を受けた理由も分かっていないのかもしれません。
西田:保守系議員の中には、”学校現場を日教組が牛耳っている”という言説を信じている人も結構いるのではないかと思います。
原田:結局、保護者やマスコミ、周囲の大人たちが自分が受けていた頃の知識で教育を語ってしまいますからね。議論に参加するためには、僕たち自身も常に情報をアップデートしていかなければいけません。
■授業でマニフェストが使えない
-原田さんの模擬授業を見せていただいた時に、架空の候補者のマニフェストを作成し、教材として使っていらっしゃいましたね。実際のマニフェストや、特に自分が住んでいる自治体のイシューを扱うことができれば、生徒たちも”自分事”として考えられるのではないでしょうか。西田:選挙期間中の場合は特に公職選挙法に抵触してしまう可能性があります。細かなガイドラインは自治体ごと、教育委員会ごとの判断ということになるのでしょうか。
黒崎:神奈川県の場合、政治的中立性を担保するという観点から、マニフェストは使用できません。
渡辺:学校側が配るのはダメなんです(笑)。
原田:選挙期間外や、過去の資料など、グレーゾーンの中で上手く活用しているケースもありますが、公職選挙法の「文書図画の頒布」、つまり選挙活動とみなされてしまう可能性がありますからね。「全生徒に、全候補のものを等しく配ったのか?」という話になってしまいますね(笑)。新聞の記事も複数提示するなど、“中立性”への配慮が求められます。
■今後の政治教育はどうあるべきか?
-2022年度以降、地理歴史は「歴史総合」と「地理総合」に、公民科は「現代社会」を廃止して、今の主権者教育も盛り込んだ「公共」に科目が再編されます。今後の政治教育に求められるものは何でしょうか。西田:「生活に政治は関係ない」という多くの生活者の認識が「合理的」でこそあれ、端的に誤った認知に基づくものであることを周知していく必要があるように思います。
国立大学の学費は、法律によって決まっているし、電車の運賃でさえ鉄道事業法という法律によって決まっていく。電車のダイヤも変更する際は国交省に届け出を出さなければならない。ビジネスで契約をするなら民法の影響を受けるし、最新のドローン・ビジネスや自動運転車、民泊事業の日本での展開も、法律との整合性がカギになっています。そう考えていくと、生活の中で政治家が無関係という領域を探す方が難しいわけですよ。愛とか友情くらいでしょうか(笑)
東京五輪後、2020年代以後の日本の社会は、投資理由も見当たらず、社会保障費が重い足かせとなり明らかにダウントレンドな社会になるでしょう。そのような局面における政治の舵取りはとてもデリケートなものになってくるはずです。右肩上がりの時代には丼勘定でいけたけれども、下り坂の時代には既得権益とのタフなネゴシエーションになります。しかし、そのような中で政治は自分達と関係ない、発言しないでいるとそこにしわ寄せがくるのは明白です。この将来像を直視すべきではないでしょうか。
先日、小学校の先生に「西田さんは暗いことばっかり言っている。子供たちが暗い気持ちになってしまう」と怒られました(笑)。でも、我々の社会が直面するのは、客観的にはそういう社会だということは認識しないといけない。認識したうえで、政治などどうでも良いというのはそれはそれで各自の選択なのでありだと思いますが、いまの日本社会ではそもそも選択の前提が自覚されていない。日本における政治教育、主権者教育はこの主題にコミットすべきではないでしょうか。
さらに言えば、最近政治参加としてよく語られる「選挙以外にも政治はある。社会を良くする、地域を良くすることが大事だ」という話は、これは行政的な問題であって、ちょっと問題がずれている、ずらされている気がします。この問題は、官庁や公務員などの行政が担うのか、NPOが担うのかという担い手の問題であって、やはり政治教育というときには、政治の本丸を見据える必要があるように思えます。つまり、結局次の選挙で、自民党なのか民進党なのか、あるいは共産党なのか、政党と候補者を選べる主体、主権者を育てるための方法ということです。ただこれを政治的中立のもとでというのは大変困難ですから、せめて政治的価値の問題を扱える場を作る必要があるのではないでしょうか。「大きい政府がいいのか、小さい政府がいいのか」。「外交はタカ派がいいのか、ハト派がいいのか」「緊縮財政がいいのか、緩和策がいいのか」といったように、多くの政治的な主題はあくまで暫定的に二項対立図式の組み合わせで考えられます。自分の認識と好みを自覚し、選択の対象、政党や候補者を分析できるようにしながら考えてみたり…などというのはどうでしょうか。
社会科教育というのは出発点が他の科目と違って、教育を通して公民的性質を身につけていくということが目的に含まれているますから、先生方も知識はもちろんのこと、議論をしていくような授業を作りたいと思ってらっしゃるのではないかと思います。政治教育、主権者教育でもぜひ新しいプログラムを開発していただきたいですね。
渡辺:学校のレベルにもよるかもしれませんが、私は以前、そうした価値の問題を扱う授業ができました。4ヶ月ぐらいかけて、日本の累積債務について調べさせ、考えさせた上で、「増税か、それとも減税するか」を最終的に判断させたのです。
例えば「増税しちゃうと、消費が減退するから、それは避けた方がいい」などの知識を前提として、数値も出して理解を深めていく。時間をかけて順番にやっていけば、できると思います。皆さん1年生でしたが、最終的には本当に素晴らしい小論文が書けました。
黒崎:これまで通りに基礎的な知識も大事にしながら、最終的には価値の問題を考えるまで取り組みたいですね。学校は、単発ではなく中長期的に教育が行える機関ですので、実社会が抱える社会課題について、“考える場”を提供することが大切です。
原田:そのような観点で、小学校からの積み上げでカリキュラムを考えている自治体もありますね。小中高のそれぞれの段階に応じて知識や経験を積み上げていく主権者教育の方法もあるでしょう。
黒崎:今、主権者教育がいわば”外付けのハードディスク”になってしまっていることがそもそもの問題点です。しかし、そもそも公教育の本来的な意義を考えれば、主権者教育は学校教育の中核に位置づくべきものです。今後、主権者教育を“内部化”し、学校教育の中核にきちんと位置付けていくことが重要です。
西田:戦後間もないころに使われていた教科書『民主主義』を編纂した法哲学者の尾高朝雄が、後年、政治と教育について面白いことを書いています。少し乱暴にまとめると、「教育が中立でなければいけないというのは当たり前だ。だけど、政治と教育を比較すると、政治について批判的な眼差しを持った、批判能力を持っている主権者を教育において作らなければいけないんだから、教育の方が尊重されるのが当然だ」という趣旨です。
現状の課題を踏まえると、まず教育の現場を守るためのルール作りが必要だと思います。基本的にはノイズから隔離しつつ、きちんと管理職がマネジメントしつつ、最終的には現場の先生方が創意工夫と試行錯誤をこらせる環境を擁護する具体的な仕組みを規定しなければいけません。
原田:本当に必要なことですから、きちんと法令やカリキュラムで定めていくべきですよね。