※この記事は2016年08月10日にBLOGOSで公開されたものです

債券市場に大きな変化の兆し?!

7月28、29日の金融政策決定会合で、日銀は、ETF購入枠の拡大(3.3兆円から6兆円へ)を決定した。「3次元金融緩和」の枠組みでは、これは、「質的緩和」の拡大といえなくもない。だが、マネタリーベースの拡大ペースは年間80兆円のまま据え置かれ、「量的緩和」の拡大は実現しなかった。

その結果、円高が進み、現在、1ドル=101円前後の円高で推移している。株価も当初はETF購入額の拡大を評価する動きがみられたが、その後はさえない状況が続いている。約3兆円分のETFの買い増しは、日経平均株価の上昇幅に換算すると1000円以上になるとの見方もあったが、残念ながらそうはなっていない。

このように、為替市場や株式市場は、なんとなくさえないムードが漂っているなか、債券市場で大きな変化の兆しが出ているのではないかという見方がある。9月20、21日開催予定の次回金融政策決定会合までは、まだ1カ月以上の期間があるが、この金融政策決定会合に対する思惑が、主に債券市場で台頭しているというのだ。

次回会合でマネタリーベースの拡大政策を放棄?

黒田東彦日銀総裁は、7月の金融政策決定会合後の記者会見で、①これまでの金融緩和の効果についての総点検を行ったうえで、②次回決定会合が開催される9月に、政府の経済対策と連携してあらためて追加緩和を実施する用意がある、との発言を行なった。

この発言を受けて、債券市場では、日銀が9月の金融政策決定会合で、これまでの「3次元緩和(マイナス金利つき量的質的緩和)」を見直し、これまでとは異なる新たな枠組みで金融政策が運営されるという思惑が台頭している。とくに債券市場関係者が期待しているのが、①国債購入額の減額、②マイナス金利政策の廃止、③マネタリーベースの拡大政策の放棄、である。

この政策が9月に実現すれば、これは事実上の「テーパリング」である。「テーパリング」とは、過去に購入した国債などが償還を迎えたぶんの再投資を除く新規の国債などのオペを停止し、マネタリーベースの拡大を中断する政策である。2014年から2015年にかけて利上げ前のFRBが採用した金融政策だ。これは将来の金融引き締めの前段階を意味するため、長期金利が急上昇するのは当たり前である。

もちろん、当時のFRBと現在の日銀とでは、直面している政策環境がまったく異なる。当時のFRBは景気の回復がそこそこ観測され、そろそろ金融政策の正常化(すなわちゼロ金利政策からの脱却)を意識すべき環境であった。一方、現在の日銀は、むしろ「再デフレの危機」に直面している。

だが、現在の日銀の金融政策はデフレ解消に効果がなく、いたずらに緩和を続けていてもムダなのではないか、という見方が台頭していることが、現在の「日銀のテーパリング期待」につながっている。

グローバル規模で、ドルの調達コストが上昇


このような見方を主張する識者は、「完全失業率も3.1%とかなりの低水準であり、デフレは人口要因などの金融政策では誘導不可能な『構造問題』から生じており、これを無理やり引き上げることはできない」と声高に叫んでいる。そして、無理やりインフレ率を引き上げようとするあまり、無理な金融緩和を実施しており、これが「債券市場の機能麻痺」につながっているという批判が、債券市場関係者から強く出ている。

現在、日銀は、主に国債流通市場から、「オン・ザ・ラン(On-the-Run)」といわれる新発の流通量の多い銘柄を集中的に購入している。そのため、現行の金融緩和では、新発国債の大部分を日銀が買い取ってしまうことになり、国債流通市場の機能が著しく低下しているという指摘がある。

とくにマイナス金利政策の下では、最終的に、流通している国債が、高値で日銀に買い取られることになるため、債券投資家は、近い将来、日銀が高値で買い取ることを前提とした「債券トレーディング」を積極化させている。

このため、「3次元金融緩和」によって、長期金利(債券利回り)が急低下している。現在、10年国債利回りもマイナスで推移している。また、債券市場では国債だけではなく、社債などのその他の債券も利回りが急低下している。そのため、債券投資で高い利回りを確保することが困難になりつつある。

さらにいえば、このところ、グローバル規模で、ドルの調達コストが上昇している。これは、①米国が利上げ局面に入り、FRBがマネタリーベースを削減しつつあること、②中国などの海外投資家がドル資産の需要を強めていること、③新興国やヨーロッパの不安定なマクロ経済状況から「安全通貨」としてのドル需要が高まっていることが、その背景にあると考えられる。

なお、「安全通貨」とされる先進国通貨のなかで、ドルが、「金利がついている」数少ない通貨であることもドル需要を高めている。このあたりについては、新著『英EU離脱 どう変わる日本と世界 』(KADOKAWA)でも紙幅を割いて論じた。本書はイギリスのEU離脱が世界と日本に及ぼす影響をテーマにしているが、2016年の世界経済のトレンドや、危機のなかでドルよりもさらに「安全通貨」として買われる円についても、分析している。

長期金利の上昇は債券市場関係者の「誤解」

さて、このようなドル調達コストの上昇は、ドルを保有している投資家にとっては、割安で日本円を調達できることを意味している。そのため、ドルを保有している投資家は、マイナス金利で日本国債を購入しても、十分利益を確保できる。ましてや、将来も日本がマイナス金利で国債を購入するという「期待」があれば、債券価格はさらに上昇することも期待できる(いわゆる「日銀トレーディング」)。

以上の要因から、日本の長期金利は急低下してきた。さらにはこうした要因に加え、ドルベースの安全資産に対する需要増は、海外投資家の米国債への選好を高めたことから、アメリカの長期金利をも低下させてきた可能性がある。そして、先進国の長期金利はグローバルに連動しているため、これも日本の長期金利低下に寄与してきたと推測される。

このような長期金利急低下の構図を、9月の日銀の金融政策スタンス変更の思惑が変えた。日銀が「3次元金融緩和」を放棄すれば、前述の「日銀トレーディング(日銀の国債購入による長期金利のさらなる低下を前提とした債券投資)」が機能しなくなる。さらに、2016年7月29日の金融政策決定会合で、日銀は、日本の投資家・企業のドル資金調達コストの増大に対応するため、米ドル資金供給枠の拡大を決めた。この措置は、ドルの調達コストを急速に低下させた。そのため、ドルを保有する海外投資家が「日銀トレーディング」を進めるインセンティブが失われ、海外投資家の日本国債売りが増加したことも、一時的な長期金利の上昇につながった側面もある。

以上のような、一連の長期金利上昇のメカニズムは、日銀によるドル資金供給のスキームを除けば、債券市場関係者の「誤解」、もしくは「希望的観測」に基づくものである可能性が高い。従って、長期金利の上昇も一時的であると考える。

政府・日銀は、現在の日本経済の状況が厳しいこと、とくに再デフレ懸念が台頭しつつあることを十分に認識している。デフレ克服に際して、日銀が採りうる政策メニューは、金利引き下げか、マネタリーベースの拡大以外に考えられない。前述のとおり、債券関係者を中心に台頭した思惑は、金融政策の枠組みでいえば、いわゆる「テーパリング」を意味しており、これは、デフレ脱却後の「出口政策」のスキームにほかならない。デフレ懸念が台頭するなかで、日銀が「テーパリング」することはありえない。

成長戦略の実施はデフレ圧力を高める


また、多くの識者は、日本経済が長期停滞から脱するためには、「構造改革」が必要であるとして、「成長戦略」の実現を強調する。だが、もし仮に、有効な「成長戦略」が実施された場合、日本の潜在成長率が上昇するため、マクロでみた日本経済の「需給ギャップ」は拡大し、逆にデフレ圧力が高まることになる。従って、政府が「成長戦略」を本気で実施する際には、金融緩和は逆に強化されなければならないはずだ。

日銀が9月にどのような追加緩和策を出してくるかは不明だが、アメリカの学界では、量的緩和による「流動性の供給」が、金融資産のリスクプレミアムの低下を促す効果が注目されつつある。しかも、この「流動性の供給」という観点では、「On-the-Run」よりも「Off-the-Run(発行されて相当期間が経過し、流通量が減少したもの)」銘柄の購入がより効果が高いとされつつある(Christensen and Gillan[2016])。現行の日銀の金融緩和政策の限界が「On-the-Run」中心の国債購入によってもたらされているとすれば、このアメリカの学会での研究結果は要注目であろう。

そう考えていくと、長期金利は再び低下基調で推移していく可能性が高いのだ。

なお万が一、日銀が「テーパリング」を選択した場合、日本は再びデフレに襲われるだろう。この場合、国債への選好が高まることが想定されるため、あっという間に長期金利はゼロパーセント近辺まで低下することになろう。そこでマイナス金利政策が廃止されていれば、その時点で債券市場の機能は失われる。残念ながら債券市場の機能回復は、デフレ脱却による「出口政策」局面入り以外に考えにくく、「日銀がテーパリングする」という「希望的観測」も、債券市場にとっては決して希望ではないのではなかろうか。

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