デジタルマーケティングやネット広告の歴史を振り返る意欲作『欲望で捉えるデジタルマーケティング史』を上梓した森永真弓氏。現在のネット業界は、かつてとは大きく様相が異なっていると語る(撮影:今井康一)

変化の激しいネット業界。業界にいる人であっても、「たった数年前と今で、大きく状況が変わっている」と感じている人も少なくないだろう。
そんななか発売されたのが『欲望で捉えるデジタルマーケティング史』だ。

「mixi」や「前略プロフ」など懐かしのインターネットサービスやキーワードとともに、ビジネス的な潮流から、デジタルマーケティングやネット広告の歴史を振り返る意欲的な一冊となっている。

その著者が、博報堂DYメディアパートナーズメディア環境研究所にて、上席研究員を務める森永真弓氏。「化石を発掘し、歴史を紡ぐ作業のよう」だったという、資料集めの苦闘を中心に聞いた前編に続き、後編では彼女とネットとの出会いや、昨今のデジタルマーケティング業界の実態、ビジネスを取り巻く環境の変化などを聞いた。

千葉大でのインターネットとの出合い

1995年はWindows95の発売された年で、世界的にネットの利用人口が増えた年として、多くの人に記憶されている。だが、千葉大学工学部の1年生だった森永氏のネットとの関わりはそれよりももう少し早かった。

「Windows95の発売は12月なのですが、私が大学生になった1995年4月の段階で、大学生が全学的にネットを自由に使える環境が用意されていたのは、千葉大と慶応のSFCでした。

当時の千葉大には少しマニアックな先生がいて、スーパーコンピューターで環境を作っていたので、全学必修の授業で全員UNIXを使わなきゃいけなかったんですね。今思えば、文系学部の学生には地獄みたいな環境だったかもしれません(笑)。

そんななか、私は同じ工学部の、ガチでプログラマーを目指している情報系の学生たちと仲良くなるうちに、次第にネットに関心を持つようになっていったんです。ちなみに、SFCは千葉大と違ってMacを使っていて、『オシャレだなあ』と思っていたのを記憶しています(笑)」

その後、森永氏は学生バイトとして、コンピューター関連の雑誌制作などを手がけていた『アスキー』での仕事も経験。インターネットに関わる仕事につくことを、真剣に考えるようになっていくことになる。

だが当時、インターネット関係の就職先は「ヤフーやアスキーといった当時できたばかりのベンチャーか、NTTのような通信系の会社、もしくはNEC、IBM、富士通といったBtoB系のシステム会社くらい」で、まだまだ選択肢は限られていたという。

結果的に、森永氏は新卒でNTTに入社。2000年代に入るとさまざまな会社で1人1台のパソコンが与えられることが普通になり、ビジネスの世界でインターネットに参入する企業も増加していき、インターネット人材の採用も本格化。それを背景に、現在の会社に転職したのが2001年のことだった。

「27歳以上で社歴5年以上の求人が多いなかで、当時24歳の私が応募条件をクリアできていたのが博報堂と警視庁のサイバー犯罪対策系の人員募集でした。もともと生活者やネットユーザーに近い仕事がしたいと考えていたこともあり、先に博報堂で採用が決まったので、そのまま転職したという感じですね」

「ブランディング広告」を巡り生まれる齟齬

そうしてネット業界で20余年を過ごした森永氏。

テレビや雑誌、新聞広告が強かった時代から、デジタルマーケティングの存在価値が高まり、メディアプランニングの世界でマスとデジタルが同じ土俵で語られるようになった昨今だが、現場で生まれた新たな混乱も目撃してきた。その代表例が「ブランディング広告」を巡る、解釈の齟齬だ。

市場での自社のポジションの明確化やスペック・価格以上の付加価値付けを目的とする「ブランディング」だが、デジタルマーケティング出身/マスマーケティング出身で微妙に定義や捉え方が異なる言葉となっていると、森永氏は指摘する。


森永真弓(もりなが・まゆみ)/株式会社博報堂DYメディアパートナーズメディア環境研究所上席研究員。千葉大学工学部を卒業後、NTTを経て博報堂に入社し現在に至る。コンテンツやコミュニケーションの名脇役としてのデジタル活用を構想構築する裏方請負人。テクノロジー、ネットヘビーユーザー、オタク文化研究などをテーマにしたメディア出演や執筆活動も行っている。自称「なけなしの精神力でコミュ障を打開する引きこもらない方のオタク」。WOMマーケティング協議会理事。著作に『欲望で捉えるデジタルマーケティング史』、『グルメサイトで★★★(ホシ3つ)の店は、本当に美味しいのか』(共著)がある。(撮影:今井康一)

「デジタルマーケティングのみに携わっている人は『ログで計測できて短期的に広告効果を発揮するパフォーマンス重視の獲得系広告』が広告の基本だと思っています。クリックできる広告が「普通の広告」なんですよね。デジタルマーケティングはクリックやコンバージョンを目的とする獲得系広告から始まっているので。なのでクリックできない広告は「それ以外」として一括りに捉えがちなんです。

一方で、マスマーケティングでは広くコミュニケーションマーケティングの中に獲得系広告のメニューがあって、さらにそこにクリックできる広告とできない広告があるという分類をします。広告の整理論が感覚的に違うんです。

これは年齢ではなく職業的な出自・立場の問題もありますし、学問的にマーケティングの勉強をした人かどうかでも違ってきます。いろんな現場で『なんかこの人と言葉がかみ合わないな?』と感じる場面が頻発しているようです」

そんな齟齬の要因を、本書では歴史的な流れを示しつつ、丁寧に説明。読者からは「マーケティングしている者同士で同じ言葉を使っているのに、なぜ話が食い違うのか。ずっとモヤモヤしていたことを言語化してくれた」といった内容の感想が寄せられているという。

「30年弱の間にいろいろな分岐や進化を経たインターネットの歴史のルーツをたどれば、新しくネット業界に入った人も、自分がどういう流れの中にいるのか理解できます。

ネットのビジネスやデジタルマーケティングって、人間とは関係ない数字と一生懸命に向き合っているイメージを持たれがちですが、結局その歴史をつくってきたのは人間の欲望なんです。人間の本質が変わらない以上、一定の周期で繰り返される可能性が高い。

過去に来た道を知ることで、将来また起こることかもしれないことに対する構えもできるし、それだけでも目の前の仕事に対する向き合い方が変わり、気持ち的にもラクになるかなと思います」

成熟するネット業界では人材も多様に

取材の中で、森永氏から一貫して感じたのは、「成熟したネット業界に、今、新たに入ってくる人々へのあたたかい眼差し」だ。

「上の世代はついつい『若い人はデジタル得意でしょ?』と考えがちですが、今はもう『20代で若いから詳しい』とか『上の世代だから詳しくない』などとは、一概には言えない時代なんですよね。

実際、ネット系の会社に、『家にパソコンないです』という若者が入社してくるケースはわりと珍しくありません。ネット系の会社が就職先・転職先として、それだけ幅広い人たちに選ばれる時代になったということだと思います。

ただ、成熟するなかで仕事の内容はどんどん細分化され、それぞれのスキルを身につける難易度もあがっています。DX化の影響で、人材を広く募集しているネット業界ですが、ハードルの高さを感じてしまう人がいるのも自然なことだと思うんです」

森永氏がそう思うのは、自身がネット業界の黎明期を過ごし、いわば先行者利益を享受できた側という自覚があるからだ。

「私がデジタルマーケティング業界で特殊で幸運だったのは、まさに1995年に大学生だったことなんです。

インターネット黎明期に初心者として業界に入り、基礎から覚えられたので新しいサービスや技術が出ても、インターネットの歩みとともに自分の歩みも止めなければ、それほど苦労して勉強する必要もなかった。例えばプログラミングを例に出すと、私も今ここで『Pythonでプログラムを書け』と言われたらすぐには書けないけど、基礎は知っているから、何冊か読めば書けるイメージはあるわけです。

でも今、新卒で入ってきたり、異業種からネット業界に新しく関わる人たちは、すでに30年の歴史の積み重ねがあるなかで仕事をする必要がある。目の前の業務に手いっぱいなのに、30年分を振り返るのは大変なことだと思います。

だからこそ、この本が、そういう人の役に立てばうれしいですよね」

森永氏によると、周囲から一番反響があったのは先述した「ブランディング広告」の項目だったそうだが、本書ではさまざまな細かいトピックを「欲望」という切り口で、流れの中で解説している。

さまざまな職種や業界から、ネット業界に就職・転職する人も増えている昨今なだけに、複雑化・細分化した現代のネットビジネスに向き合ううえで、最初に読むべき手引き書になりうるだろう。

「飲むときのネタにもちょうどいい」


もっとも今の時代、多くの業界が、ネットが仕事に関わってくるだろう。たとえば出版業界は、インターネットの影響を大きく受けた業界だが、本書の編集担当者からは「出版の歴史の振り返りにもなる」といった声もあったという。

「それぞれの業界で当時の仕事の状況を思い出して整理するきっかけになるし、ミドル以上の世代の方には、昔の仕事を思い出しながら飲むときのネタにもちょうどいい本かなと思っています(笑)。

個人的にはこの本を書いたことでライフワーク的にネットの歴史を振り返るうえで大切な証言や史料を集めやすくなれば、おもしろいなと密かに思っていますね」

(伊藤 綾 : フリーライター)