4年前の西日本豪雨で家族と自宅を失った男性。

被災したその場所に再び家を新築し、27日に引っ越しを終えました。そこにはどうしても戻りたかった故郷への思いがありました。

水尻忠道さん(59)は朝から荷造りにおわれていました。

水尻さん「3年半経ってるんだけど実際時は早く経ったような気がしますね」

みなし仮設住宅の生活に慣れてはいました。でもどうしても戻りたい場所がありました。

坂町・小屋浦。西日本豪雨で土石流が山裾に広がる住宅地を襲い15人もの命を奪いました。

現在も1人の行方が分かっていません。

水尻さんの自宅には大量の土砂が流れこみ、同居していた母のキク子さん(当時85歳)と叔母の須磨子さん(当時82歳)を亡くしました。

住み慣れた土地を離れるかそれとも戻るか。たった1人残され、悩んでいました。

2020年7月荒れ果てた自宅跡地に水尻さんはいました。

仮設住宅での暮らしが続く中、決断を下したのです。

2年前の水尻さん「(小屋浦に)帰りたい気持ちが強くなった。生まれたところで、空気が良くて、自然が豊かで」

そして、2月27日…

水尻さん「上のこの窓があるじゃないですか、あそこに置いてもらおうか、とりあえず」

災害ボランティアの力を借り、できたばかりの新居に荷物を運び込びこみます。

最後、大切に運んだのは母と叔母2人の写真でした。

水尻さん「元の家に帰りましたよ、というかたちですかね」

今後の災害に備え家の地盤は約1メートルかさ上げ。

リビングやキッチンなど生活空間は2階に設置しました。

一番のお気に入りは故郷を見渡すことができるベランダです。しかし、そこから見えるのは見慣れた景色ではありません。

水尻さん「生まれたところだから、(その思いが)一番強い。今からは、災害で無くなったから大変ね、はもう終わり。街づくりの青写真を早く出してもらって人口が増えるようにしてほしい」