吐瀉物、血液、ネズミの死骸…ディズニーキャストが困惑した"イレギュラー対応"の中身
※本稿は、笠原一郎『ディズニーキャストざわざわ日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
■イレギュラー対応でもっとも多い「嘔吐処理」
カストーディアルキャスト(清掃スタッフ)泣かせ、それがイレギュラー対応である。なかでも一番多いのは嘔吐(おうと)処理だ。“夢の国”ではあるものの、嘔吐処理はかなり多い。週に1回程度、発生する(季節や混雑度合いなどにも関係し、日に2回のこともあれば、半月以上ないこともある)。
SVがグループ通話でカストーディアルキャストに発生場所を流してくる。このメッセージがあったら、発生場所の近くにいるキャスト2〜3名が駆けつけて対応する決まりになっている。とはいえ、SVは誰がそばにいるかを把握しているわけではない。キャストそれぞれが自分が近いと思ったら自主的に駆けつけるだけだ。
私はというと、PHS(簡易型携帯電話)に嘔吐処理のメッセージが届くと、その場の掃除に集中し、勇敢な有志たちが駆けつけるのを息を潜めて待った。1分ほど待っても、有志が現れないとき、意を決して現場へ向かった。
嘔吐処理は新型コロナ以前から感染対策としてマスクと防菌手袋をし、殺菌剤が目に入るのを防ぐため防御メガネをかけて行なう。暑い日は息苦しいし、汗がメガネに落ちるので難儀する。できる限りゲストの目に触れないよう、また処理範囲がわかるようペーパータオルをかけ、トイブルーム(スイーピングする際に使用するホウキ)を駆使して嘔吐物をダストパン(L字グリップのプラスチック製チリトリ)に入れ込む。作業するそばで気をつけて通行していただくようキャストがゲストコントロールをする。
■「吐いてスッキリしたでしょ。早く次のところ行くよ」
嘔吐物の量が少なければいいが、大量だと作業も相当の手間と時間を要する。8月の不快指数の高い日のこと。私の目の前で、小学生くらいの男の子が突然嘔吐した。
さすがに目の前の出来事に有志の登場を待つわけにもいかない。すぐに駆けつけて、「大丈夫?」と男の子に声をかけ、足元に広がった嘔吐物の処理に取りかかった。ペーパータオルをかけ、嘔吐処理をしていると、横にいた母親らしき女性が、「吐いてスッキリしたでしょ。早く次のところに行くよ」と言うと、あわててその子の手を引いて去っていった。私は茫然と親子の後ろ姿を見送った。
オンステージでの作業が終わると、バックステージに戻って後処理をしなければならない。使用したトイブルームとダストパンを水洗いした後、さらに殺菌処理が必要になる。ダストパンのペーパータオルをゴミ袋に入れ、口を縛って赤のテープを巻く。それを近くのコンテナに持って行き、所定の場所に置く。
さらに嘔吐処理の発生時間や場所などを所定の記録用紙に記入する。この作業もなかなか手間がかかる。水洗い中、ダストパンの隅にひっかかりなかなか流れていかない吐瀉物(としゃぶつ)の断片を見ているうち、さきほどの母親の顔が頭に思い浮かび、腹が立ってきた。
気まずかったのか、本当に急いでいたのかはわからない。それにしても目の前で処理をしている人に何も言わずに立ち去るなんて。ムカムカしながら、作業を続ける。ようやく処理を終わらせて、再び持ち場に戻る。イヤな気持ちを引きずっていても仕方ないので、目の前の掃除に集中する。
■揺れ動くアトラクションの上での嘔吐処理
すると30分もしないうち、また別のキャストが私のところへ急いで近寄ってくる。今日のように、真夏の不快指数の高い日には嘔吐処理も増えるのだ。よりにもよって、2回連続で嘔吐処理の当たりの日か、ツイてない。
息を切らせながらキャストはこう言った。「向こうでゲストの男の子がポップコーンをぶちまけちゃいまして。処理していただけませんか?」「お安い御用です!」私は喜び勇んで駆けつける。
ゲストは嘔吐する場所を選ばない。とくに揺れ動くアトラクションは嘔吐を誘引しやすい。アトラクションの中での嘔吐処理もまたわれわれカストーディアルキャストの仕事である。
その日、私は「ジャングルクルーズ」のボート上での嘔吐処理を依頼された。ゲストがひとりもいない客船に私がひとりで乗り込む。「ジャングルクルーズ」が貸し切り状態で、人によっては貴重な体験かもしれないが、私の目の前にはこんもりとした吐瀉物が残されている。気分が盛りあがることはない。
船が一周するあいだに吐瀉物をきれいに取り除き、消毒し、その後始末まですべてを終わらせなければならない。それが私に課せられたミッションなのだ。すぐに取りかかるが、大きく揺れ動くボート上での下を向いての作業で早々に気分が悪くなってくる。とはいえ、タイムリミットは10分。休んでいるヒマはない。
私はゾウやワニ、カバたちにわき目もふらずに清掃作業を続けた。そして、ちょうど一周が終わろうとするギリギリのところで、無事に後片付けを済ませることができた。揺れる船内での下を向いての急ぎ作業はもう少しで私に新しい吐瀉物を作らせるところであった。
■“ネズミの死骸”を処理することも
楽しかった体験もある。「イッツ・ア・スモールワールド」のボートでの嘔吐処理だった。
吐瀉物の量が少なかったのと、「ジャングルクルーズ」ほど揺れが大きくないためか、下を向いての作業も苦にならず、ものの1〜2分で処理を終えた。ここでもゲストは乗せず、私ひとりでコースを一周したのだが、すぐに処理を終え余裕のあった私はゴール地点に戻るとき、ボートの中から並んで待っているゲストに向かって手を振った。
すると並んでいるゲストみんながいっせいにこちらに向かって手を振り返してくれた。老若男女がみな笑顔でこちらに手を振っているその光景は壮観で、私にしか経験のできない貴重な体験となった。
そのほかのイレギュラー対応としては、血液処理や動物の死がい処理がある。血液処理というのは、ほとんど鼻血である。興奮のためか、鼻血を出すゲストも多い。地面に飛び散っている血ほど“夢の国”に似つかわしくないものはなく、これまた迅速な処理が求められる。
園内には、動物の死がいもたまにある。私が実際に処理したものでは、スズメ、ムクドリ、ハトなど鳥類がほとんどである。東京ディズニーランドにはカラスがいないという都市伝説があるそうなのだが、実際にはカラスはたくさん生息している。
ネズミの死がいを処理したこともある。基本的には嘔吐処理の場合と同様だが、処理する前に必ずSVに連絡を入れる。死がいを入れたゴミ袋にはわかるように「ネズミの死がい」とメモ紙を貼り、コンテナの所定の場所に置く。処理後は、所定の専用用紙に記入し、SVに提出する。ネズミだからといって、手篤く葬られることはない。
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笠原 一郎(かさはら・いちろう)
元ディズニーキャスト
1953年生まれ。山口県山口市出身。一橋大学卒業後、キリンビール入社。マーケティング部、福井支店長などを経て、57歳で早期退職。東京ディズニーランドに準社員として入社。65歳で定年するまで約8年間にわたりカストーディアルキャスト(清掃スタッフ)として勤務。
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(元ディズニーキャスト 笠原 一郎)