不人気説は間違い? 「宮形霊きゅう車」を最近見かけなくなった理由とは
「霊きゅう車を見たら、親指を隠せ」。そんないわれが筆者の子どもの頃にありました。家業として葬祭業を営んでいる筆者の家では、霊きゅう車を見るのはごく日常的なことで、「どうして、僕らは親指を隠さなくていいの?」と親に聞いたものですが「仕事にならないだろ」と極めて実務的な答えが返ってきて、ちょっとがっかりした記憶があります。
霊きゅう車が通ると親指を隠す理由には、主に2つの説がみられます。一つは「心は心臓にある」と考えられていた昔、心臓と強くつながりのある親指から魂が出入りすると考えられており、霊きゅう車が通るときに魂を連れていかれないように親指を隠すという説です。もう一つは、野犬や幽霊といった怖いものに出会ったとき、親指を握り込むと、おびえないでいられるという一種のまじないのような『怖さ封じ』の手の形であるというものです。
ところで最近、街中で、お宮の付いた霊きゅう車をあまり見掛けなくなったと思いませんか。今回は、宮形の霊きゅう車を昔ほど見なくなったのはなぜか、話していこうと思います。
平成以降の不景気も影響か
一般的には「時代の移り変わり」「人気がなくなったから」、そして、「住民の反対運動で少なくなった」などといわれていますが、実際の理由はそうではありません。「人気がなくなった」といいますが、筆者の調べでは、霊きゅう車は特別「不人気」というわけではありません。むしろ、若い世代には「かっこいい車」として受け入れられている部分もあり、霊きゅう車を忌避する割合は少ないのです。
実際、筆者は葬祭系YouTuberとして、本当に宮形霊きゅう車が不人気なのかを調べてみたくなり、宮形霊きゅう車とコスプレのイベントを開いたことがあります。その際、宮形霊きゅう車を初めて見た若い人たちも多かったようで、口々に「すごい」「かっこいい」「人気がないって、信じられない」と言っていました。
不人気というよりは、平成に入ってからの不景気の方が影響があるでしょう。昭和の時代の葬儀は「葬儀一式」のプランが多く、そのグレードによって、霊きゅう車、ひつぎ、祭壇、骨つぼなどが決まっていました。葬儀代金を節約しようと、下位グレードのプランを選択すれば、必然的に宮形霊きゅう車は使わないことになります。
下位プランでは、宮形ではない、ストレッチャー(台車)が付いた「寝台車」が使われます。寝台車は病院から、遺体をシーツなどにくるんで運ぶ搬送車であり、内部・外部に装飾がされた霊きゅう車より使用料金が安かったため、下位グレードの葬儀プランはセット料金に寝台車を使うことが多かったという背景があります。
もう一つは、テレビでの葬儀中継の影響です。芸能人の葬儀などでは宮形霊きゅう車ではなく、キャデラックやリンカーンといった外国車の、宮形ではない洋風の霊きゅう車を使う場面が多く見られました。助手席に座る喪主の芸能人をカメラで中継する際、屋根上のせりだしのある宮形霊きゅう車では喪主の表情を撮影しづらいため、芸能人の葬儀では洋形の霊きゅう車を使うことが多かったのです。
これを見た一般の消費者が「今どきは宮形霊きゅう車を使わなくなった」とテレビの影響を受けて、洋形を使うようになったというのが一つの流れでした。テレビがもたらす経済への影響というのは非常に大きなもので、こうした流れから、宮形の稼働率が減っていったのは事実です。
「住民の反対運動」の背景
まことしやかにいわれる、もう一つの理由が「住民の反対運動があった」というものです。確かに、火葬場の新設や改築などを機に、宮形霊きゅう車の乗り入れが禁止になった火葬場もあります。近隣住民が「毎日、霊きゅう車が目に入ると気がめいる」というのが反対の理由とされています。
しかし、実際には「火葬場の新設に伴う地価の下落を恐れている」ことが反対運動の本質で、その理由の一つとして挙げられたのが、宮形霊きゅう車の運行だったにすぎません。行政としても、宮形霊きゅう車の運行禁止は懐が一切痛まない譲歩案ですから、火葬能力の増強、新設をしたいときに容認しやすいことでした。こうして、火葬場の宮形霊きゅう車の乗り入れ禁止は、行政によって採用されるケースがあったのです。
筆者は都内在住ですが、住んでいるのは江戸時代から、火葬場のある地域です。小さい頃は霊きゅう車が学校の前を通り、大通りはいつも、宮形霊きゅう車やハイヤーマイクロバスが通っていました。1日30〜40件の火葬があるわけですから、少なくとも半分程度は町内や小学校の前を通っていたでしょう。
生まれたときから、当たり前の風景ですから、子どもも大人も気にすることもなく、たまにふざけ合う程度に「やーい、親指隠さないとまずいぞ」などと遊んでいる程度のことでした。日常の風景の中に火葬場があれば、「気がめいる」などと言っていられないですし、そういうものだと慣れているのが実際のところです。
「文化」としての宮形霊きゅう車
一度、近くでよく見てほしいと思うのですが、宮形霊きゅう車は立派な工芸品であり、さまざまに施された彫刻は見事なものです。人生の最後の旅立ちに、立派な乗り物で、神仏として送り出すことを示した車にふさわしい装飾といえます。
一般的には「宮形」と表現しますが、実は、あのお宮の名称は「輿(こし)」といいます。身分の高い人を運ぶ乗り物であり、神輿(みこし)などにいわれるように、神様や仏様を運ぶ乗り物なのです。ちなみに、日本で使わなくなった宮形霊きゅう車はモンゴルで、「走るお寺」として大人気で、「仏教徒として最高の栄誉だ」と現地の人に喜ばれているそうです。
宮形霊きゅう車は不景気によって、葬儀にお金をかけられなくなったこと、そして、行政の火葬場新設における“いけにえ”として差し出されてしまったことなどから、不遇の時代を迎えていました。しかし、それは、宮形霊きゅう車自体に魅力がなくなったわけではなく、さまざま、かつ、不当な“宮形差別”ともいえるものの結果、市中で見る機会が減ったといわざるを得ないのです。
宮形霊きゅう車に乗せる意味や、人気がないわけではないことを正しく分かってもらえれば、「最期は宮形で」が復権するのではないかと筆者は考えています。実際の現場では、孫の世代から、「宮形がいいよ」と言われて、宮形霊きゅう車を採用するご遺族のケースも数多く見てきました。
宮形霊きゅう車は日本的な美しさを持つ誇らしい文化です。「故人を大切に送り出すために、立派な乗り物にしよう」というのは非常に温かく、優しい心意気ではないかと思います。