12月30日は旧ソ連のジェット戦闘機MiG-15が初飛行した日。同機は朝鮮戦争でアメリカを始めとした西側の戦闘機を圧倒した機体であるものの、ドイツの先端技術とイギリス製ジェットエンジンがなければ生まれませんでした。

技術流出よりも友好関係を選んだイギリス労働党政権

 1947(昭和22)年の12月30日。旧ソ連(現ロシア)が開発した戦闘機MiG-15が初飛行しました。

 MiG-15は、ミグ設計局が第2次世界大戦後に開発したジェット戦闘機で、ポーランドやチェコスロバキア、中国などでも製造されたため、総生産機数は1万5000機以上にもなる傑作機ですが、基本となった技術は、ドイツとイギリスで生まれたものでした。

 第2次世界大戦でドイツの首都ベルリンまで進撃し、最終的に勝者となったソ連は、ドイツから大量の先端航空技術や各種実験データを自国に持ち帰り、さらにはドイツ人研究者や技術者らも連れ帰ります。それらの技術やデータを活用することで、優れた軍用機を開発できる素地を、短期間で作り上げたのです。

 このとき、ドイツから手に入れた後退翼の研究資料を基にMiG-15の機体は設計されました。


朝鮮戦争後の1953年9月、韓国へ亡命してきた北朝鮮軍のMiG-15戦闘機(画像:アメリカ空軍)。

 ただ、ネックになったのがジェットエンジンです。こちらについては国内開発がどうしてもできなかったことから、急きょイギリスからロールスロイス製エンジンを調達することにしました。

 当初、イギリスは技術流出を危ぶんだものの、ときの労働党政権がソ連との友好関係を改善する方向にシフトしていたことが幸いします。最終的にロールスロイス製エンジンの輸出が許可されたことで、ソ連は最新ジェットエンジンを約40基手に入れることに成功、これをコピー生産することでジェット戦闘機を完成させました。

朝鮮戦争後も50年近く現役だった名機

 MiG-15は前述したように1947(昭和22)年12月30日に初飛行に成功すると、翌1948(昭和23)年から量産に着手し、1949(昭和24)年から部隊配備が始まっています。

 ただ、同機を一躍、有名にしたのは、1950(昭和25)年6月から始まった朝鮮戦争での勇戦でしょう。


朝鮮戦争後の1953年9月、韓国へ亡命してきた北朝鮮軍のMiG-15戦闘機(画像:アメリカ空軍)。

 当初、北朝鮮軍にジェット戦闘機は配備されていなかったものの、中国人民志願軍(中国義勇軍)が参戦するようになると、それとともにMiG-15も最前線に投入されるようになり、アメリカを始めとした国連軍の軍用機を圧倒するようになります。

 MiG-15に対抗するためにアメリカ軍も当時、最新鋭のF-86「セイバー」を投入、ジェット戦闘機同士の熾烈な空中戦が朝鮮半島上空で繰り広げられました。

 その後も1960年代から1980年代にかけて各国で運用されたほか、2人乗りに改造した複座の練習機型は2000年ごろまで使われていました。

 なお、世界中で使用され、戦争における鹵獲や亡命などで様々な国が手に入れたことから、飛行可能な機体含めて多数現存している戦闘機でもあります。