88年前の12月29日、京阪の蒲生信号所〜守口間が複々線になりました。

高速化・大容量化を図る新線建設


京阪の複々線区間(画像:写真AC)。

 1933(昭和8)年の12月29日。京阪本線の蒲生信号所〜守口間の複々線化工事が完了。当時国内で最も長い複々線区間となりました。

 それまで京阪は蒲生駅(現在の京橋駅に相当)を出発すると現在のルートの西側を通り、現在の大阪メトロ谷町線のルートである都島通など、市街地を縫うように走っていました。高速化・高頻度化のために行われた大規模な改修が、守口までを線路4本で、さらに高架で真っすぐ結ぶ新線の建設でした。

 この新線の開業により、京阪は大幅にスピードアップ。翌年には天満橋〜浜大津(滋賀県大津市)までをわずか72分で直通する「びわこ号」が運行開始しました。1970(昭和45)年には複々線区間が天満橋駅まで延長。1982(昭和57)年に、現在の形である寝屋川信号所までの複々線化が完了しました。

 現在、私鉄で最長の複々線区間は、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の北千住〜北越谷間で18.9km、JRでは琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線の草津〜西明石間で120.9kmです。ちなみに首都圏では、「上野東京ライン」を形成する大宮〜小田原間で線路が4本以上ありますが、複々線として扱われることは少なく、「別の路線や貨物線が並行しているだけ」とみなされるのが一般的です。また距離も合計113.9kmで、関西の例にわずかに及びません。