ミリタリー、特に戦闘車両に興味を持つとまず混乱するのが車両の分類です。第2次世界大戦中に登場する戦車はおもに軽戦車、中戦車、重戦車の3種ですが、「駆逐戦車」と呼ばれるそれらには分類されないものがあります。

自走する砲を持つ戦車のようで戦車でない車両

 履帯(いわゆるキャタピラ)で走り、大砲がついていて、見た目も戦車っぽく、名前に「戦車」と入っているにも関わらず、戦車ではない戦闘車両があります。一般に「駆逐戦車」と呼ばれるものです。

 その名前から大体、察しがつくと思いますが、「戦車」を「駆逐」、つまり追い払うために設計された車両をそう呼称します。広義な意味だと、自走する砲を意味する「自走砲」の一種になります。ただ、各国で運用方法に違いがあり、大雑把に分類するとドイツ・ソビエト連邦タイプとアメリカタイプに分かれます。


ドイツ軍の駆逐戦車「ヤークトパンター」。「パンター」戦車の車体に88mm砲を積んだ。ほぼ戦車(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

ドイツでは戦車不足を補うためにどんどん戦車の代わりに

 戦中のドイツ軍では、慢性的な戦車不足を補うために、既存戦車の生産ラインを流用しつつ、生産が面倒な砲塔を撤去し、代わりに車体に砲を搭載する車両が現れました。砲塔がないぶん、スペースが大きく確保でき、砲塔を持った戦車より大口径の砲を搭載できることがメリットでした。

 駆逐戦車は、元々は装甲猟兵という対戦車砲を用いて敵戦車を撃破する目的の兵科に、「自走可能な対戦車砲」的な役割で配備された自走砲でした。最初は車台正面に装甲板を付けた砲を搭載するという簡易的なものでしたが、後に「ヘッツァー」や「ヤークトパンター」などのような、装甲を施した車体内部に砲を収容したより本格的なものが登場しました。これが駆逐戦車と呼ばれるもので、戦車不足のため、ほぼ戦車と同じように運用されました

結局ほぼ戦車じゃないの? WW2期独ソの運用

 これら駆逐戦車が敵戦車と対峙した際は、強力な砲でそれらを素早く撃破することが期待されました。砲塔を持っている戦車よりも、車高が低くできるので隠密性も高まりました。しかし、射線を変更する場合、砲塔がないので車体ごと動く必要があり、機動力を活かした戦闘より、車両が潜伏している場所まで敵車両をおびき寄せる待ち伏せ戦法に適していたといわれています。

 なお、類似した車両に「突撃砲」というものがありますが、これは砲兵科に所属する固定砲を持った車両で、元々は歩兵に随伴し、拠点攻撃などで火力支援するのがおもな任務でした。しかしこちらも、大戦中盤以降は明確に対戦車任務も付与されることになり、兵科が違うだけで、運用の方法は駆逐戦車と同じく戦車の代わりという役目になっていきます。


ソ連軍のSU-152。ほぼ戦車(画像:Bundesarchiv、Bild 101I-154-1964-28/Dreyer/CC-BY-SA 3.0、CC BY-SA 3.0 DE〈https://bit.ly/3FtqHWj〉、via Wikimedia Commons)。

 一方ソ連軍では、ドイツ軍の突撃砲に影響され、旋回する砲塔を持たない装甲車両の開発が行われました。それらは突撃砲、駆逐戦車の区別なく自走砲と呼ばれ、様々な任務で運用されます。やがて、敵対していたドイツ軍のティーガーIなど、既存の中戦車では撃破が難しい重装甲の戦車に火力面のみでも対抗するため、SU-85、SU-152のような大型の対戦車砲や榴弾砲を搭載した自走砲が開発され、これらがドイツ軍の駆逐戦車と同じような働きをしました。

アメリカでは戦車を撃破する専門家として開発されたが…

 アメリカ軍では、第2次世界大戦に参戦する直前の1941(昭和16)年12月3日に「戦車駆逐大隊」というものが作られましたが、その部隊のモットーは「探し出し、攻撃し、駆逐せよ」で、敵戦車が出現したら素早く現場に急行し、火消し役になることが求められていました。当時アメリカ軍では、戦車対戦車の戦いは遭遇戦のような偶発的な戦いでしか想定しておらず、おもに戦車を撃破するのは専門の部隊であるべき、という考え方がありました。


M10駆逐戦車。GM(ゼネラル・モーターズ)の工場で大量生産された。ほぼ戦車(画像:アメリカ国立公文書館)。

 戦車駆逐大隊で使用される戦車駆逐用の車両はGMC(Gun Motor Carriage)と呼ばれ、初期のものはM3 GMCというハーフトラックを改造して榴弾砲を取り付けた車両や、M6「ファーゴ」のように、軍用車両のWC-51に37mm M6対戦車砲を取り付けるという、機動性を重視した動く対戦車砲でした。しかしドイツ軍との戦いが始まると、戦車を相手にするには対戦車砲の威力や装甲が非力なことが露見します。これを受けより本格的な対戦車車両を目指し、1942(昭和17)年6月には3インチ砲を搭載したM10駆逐戦車という車両が制式化されます。

 M10駆逐戦車で特徴的なのが、オープントップ(露天)ながら砲塔があるという点です。これには軽量化のほかに、3人の乗組員全ての目を使っていち早く敵戦車を発見し、有利な位置で待ち伏せや先制攻撃を行いやすくするという狙いがあります。なおシャシーはM4中戦車のものを流用していますが、上部は軽量化の目的で装甲厚を減らしており、砲塔も動力ででは旋回せず、手動で動かします。

独ソとは設計思想から異なる米の駆逐戦車とその運用

 アメリカではその後もM18「ヘルキャット」、M36「ジャクソン」と駆逐戦車の投入が続きますが、搭載している砲の威力こそアップしたものの、既存のシャシーを軽量化する点や砲塔をオープントップにすることは共通でした。敵より優位な位置で戦闘を行うために身軽さを重視した設計思想で、敵の側面や背後を脅かす戦法なども多用する、独ソの駆逐戦車より機動力を活かす攻めの姿勢の車両となります。ただ、敵戦車に先に発見された場合や対歩兵戦の場合は装甲の貧弱さが仇となったため、戦場に急行し、敵攻撃後は即離脱するというヒット&アウェイ戦法を取るのが絶対条件でした。


欧州戦線に投入された、アメリカのM36「ジャクソン」駆逐戦車。90mm砲を搭載。ほぼ戦車(画像:アメリカ国立公文書館)。

 結局、アメリカ軍の思惑とは違い、戦中から「戦車の相手は戦車がする」というのが定説になり、独ソでは早い段階から駆逐戦車をほぼ戦車と同じ扱いとしました。

 戦後もしばらくは、コストパフォーマンスの良さや待ち伏せやヒット&アウェイ能力を期待されて駆逐戦車的な位置付けで設計された車両が存在し、西ドイツの「カノーネンヤークトパンツァー」や、アメリカ海兵隊のM50「オントス」自走無反動砲、陸上自衛隊の60式自走無反動砲がそれに当たります。しかし、対戦車ミサイルや歩兵が携帯できる対戦車兵器が発展していくと段々、その座を譲ることになっていき、現在ではほとんど見ることのない兵器となりました。