「お母さんは親父のせいで死んだ」虐待から逃れて施設へ、ある兄弟がダメ親と決別するまで
長引くコロナ禍が家庭環境にも影響しているのでしょうかーー。2020年の児童相談所への虐待相談件数は、19万件を超え、過去最高となりました。
報道される事件は氷山の一角で、身体的虐待だけではなく、心理的虐待、性的虐待など発見しづらい事案も多いのが実情です。
その中でも「ネグレクト(育児放棄)」は、「子どもが必要とするものを保護者が提供しない状態」を指し、児童相談所事案のうち約4分の1を占めるといいます。
今回紹介するのは、実父によるネグレクトと経済的虐待から施設に保護されたある兄弟の実話。「父親とはもう関わりたくない」という強い意思を法律は守り抜けたのでしょうか。
血縁に悩みながらも、周囲の大人に支えられ、強く生き抜いた兄弟の青春を、西日本に暮らす弟への取材をもとに綴ります。(ライター・野林麻美)
※特定を避けるため一部の数字等を変えています
●大反対された結婚、働かない父と勤勉な母のもとに生まれて
振り返れば、幼心に、父がいつも家にいることに違和感があった。兄と僕は、早朝から夜遅くまで働き詰めの母に、甘えることを我慢した。繰り返される引越しも負担になって、いつしか友人を作ることさえ億劫になった。
きつい、きついと言いながら、お金がなくて病院にかからなかった母は40歳でこの世を去った。お母さん、苦しかったやろなーー。僕は13歳、中学生になったばかりだった。
父は若い頃からギャンブル好きで、どの仕事も長続きしなかったという。「結婚するなってあれだけ反対したのに!」。妹を亡くした伯母は、母の棺を抱きしめて慟哭した。
「あんた達、これからどうすんの。まさかお父さんと暮らすなんてアホなこと言わんのよ?」。そう投げかけられた兄は「お父さんと暮らすよ」と答えた。
兄ちゃん、どうやって生活するつもりなん? 僕は父との生活なんて想像するのも嫌だった。そんな僕を察してか、「お父さん、一人にしとられんからな」。兄はそう言った。
●諦めた修学旅行、空腹の日が続く
母の葬式後、高校生の兄が真っ先に始めたのはアルバイトで、放課後はバイト先に直行していた。僕は校納金や給食費を滞納するようになった。
兄はバイト代はもちろん、通学定期券までも父に取り上げられ、換金した父はギャンブルに投じていたのだった。
毎日2時間かけて徒歩で通学する兄を見ていると、僕は修学旅行の相談なんてできなかった。一方で、兄は親戚に頼ろうとしなかった。伯母が「これで何か買って食べなさい」と小遣いをくれようとしても、かたくなに断っていたのを鮮明に覚えている。「お金が見つかると、どうせ取られるからいらん」と。
僕は、とにかく腹が減って仕方なかった。兄に隠れて、ときどき学校帰りに伯母を訪ねて、おにぎりを一心不乱に食べた。
母が死んで2年。どんどん痩せていく僕ら兄弟を見て、伯母が学校にSOSを出してくれたことを聞いたのは、児童相談所に保護された日だった。
●「あんた達の父親はおかしい!」そして僕らは保護された
ある雨の日、早朝から父が兄を無理やり連れ出そうとしていた。「どこ行くん?」と尋ねると、父は僕にも同行を促した。
兄は「ついて来んな!」と言ったが、兄一人に負担をかける訳にはいかないと、変な責任感が芽生えていた僕はついて行った。
僕らが雨の中向かった先は伯母の家で、父は「10万円貸してって言うんやぞ」とそそのかし、物陰に隠れて見張っていた。
玄関先で兄は歯を食いしばりながら「おばちゃん…お金貸してください」と声を絞り出した。伯母は今まで見たことのない怒りの表情で僕らに言い放った。
「子どもをダシにしてまで、こんなことさせて! よぉ考えり、子どもにこんなことさせる親がどこにおんの。あんた達の父親はおかしい!」
そう言って僕らを抱きしめてくれた伯母に対して、隠れていた父が出てきて「おい、金貸してくれや!」と叫んだのだ。「死んだ妹の息子達がかわいそうやろ、10万でええから」と。
それを聞いて、兄が声を上げて泣いた。「もう嫌や。お母さん、なんで死んだんや」。僕もつられて大声で泣いた。
それから程なくして、僕らはそれぞれの学校にいたところを保護され、養護施設に向かった。そこで聞かされたのは、母の死後、伯母が担任の先生に対して継続的に働きかけてくれていた事実だった。
伯母は「どんなに憎たらしくても、あの子らにとっては、たった一人の実の親だ、と悩んでます。でも、あの子らの人生はどうなりますか。妹も成仏できないと思います」と訴え続けてくれたそうだ。
伯母は僕らの生活について事細かにメモし、父の行いを書き留めていたという。そこで担任の先生らは一丸となって、児童相談所に繋いでくれた。
「おばちゃんと先生に感謝して、お母さんのためにも、しっかり生きていかないかん」。僕は、父との決別を心に誓った。
●突然降って湧いた「相続問題」、弁護士までも動き出した
保護された僕らは、お金の心配をせず、毎日食べられることが幸せだった。僕は第一志望の高校に合格し、兄は優良企業に就職が決まった。
面会に来た伯母から聞いた話によれば、父は母方の親戚一同の説得で、「姻族関係終了(※1)」の届けを出し、母方(姻族)と縁を切ったとのことだった。
【※1 死亡した配偶者側の血縁一族との姻族関係解消の意思を示すため、配偶者の死亡届が受理された後であれば、役所にていつでも届け出ができる制度。配偶者の相続や遺族年金等には影響しないが、その姻族について扶養義務は消滅する。このケースでは、妻は実父の権利を相続しないまま亡くなって、数次相続(後述)が発生しているが、その後姻族関係終了届が受理されたため、夫には相続の権利がない】
施設に入って2年が経ち、落ち着きを取り戻していたころ、突然、施設の先生から呼び出された。
「お母さんの実家の山に道路が通るらしい。名義がおじいちゃんのままだから、相続の手続きをしないといけないんやけど、お母さんは亡くなってるから、その子どもが引き継ぐんや。でも君はまだ20歳になってないから、自分では手続きできん」
ということはまさか、二度と会わないと決めた父に頼まなければいけないのか。先生は続けた。「お父さんのことは心配せんでいい。伯母さんが、法律の専門家に頼んでくれとるよ」。僕は胸をなでおろした。
数日後、面談した中年の男性弁護士は、「よぉ頑張ったなぁ。兄さんも君も偉かったなぁ」と涙を流して、僕たちのことを褒めてくれた。
母は祖父の遺産分割が成立する前に亡くなったので遺産を相続することができない。そこで、僕らには「数次相続」(※2)という権利が発生するらしいのだ。
【※2 被相続人(今回は祖父)が死亡した後、遺産分割協議をしないうちに相続人(母)が死亡してしまったことにより、次の相続が開始された状況のことを指す。一次相続、二次相続が2回以上続いて発生している状況。遺産分割を行う地位は、次の相続人に引き継がれるので、一次相続の遺産分割協議(祖父)に、二次相続の相続人(孫)も参加することになる】
僕たちのようなケースでは、先に父が出した「姻族関係終了届」によって、母方姻族の相続の権利がないため、利益相反にならないことから、父親が子どもの代わりに手続きをするのが一般的なのだそうだ。その説明を聞いた伯母が真っ青になって「そんなことしたら、絶対に父親がギャンブルに使ってしまいます!」と、僕らが保護されるまでの経緯を話してくれていたのだ。
「僕も父には会いたくないし、伯母の言う通りになると思います」とキッパリ伝えると、弁護士は「お母さんの権利を引き継ぐために、お父さんによる君への親権を停止(※3)してもいいね? でも、親子の縁が切れるわけやないよ」と言った。
僕は「あんなにひどいことをされてまで、切れない親子の縁って何だろう」と、ぼんやり考えながら「はい」と答えた。
【※3 父または母による親権の行使が困難または不適当であることにより、子どもの利益を害するときに、子どもの親族、児童相談所長、子ども本人などの請求によって、家庭裁判所が2年以内の期間に限って親権を行使できないようにする制度。2012年の民法改正によって創設された】
●父の代わりに「未成年後見人」がついた
伯母が申立人となった父の親権停止申立事件は、僕の実情に間違いがないか、家庭裁判所からの聞き取りも行われた。
そして、父による親権が停止され、続けて「未成年後見人選任申立」(※4)により、あの弁護士が選任され、親権者不在となった僕の代わりに相続手続をしてくれることになった。
【※4 親権が制限された親に代わって、子どもの世話をしたり権利を守ったりする役割を担う人。2012年に親権停止制度が導入された際、児童福祉法の改正によって見直された制度である】
面談の日、弁護士は、祖父から僕らまでの家系図のようなものを見せてくれた。僕ら兄弟の上には母の名前と「●年●月●日 死亡」と記載されていて「こうやって、君のご先祖さんが大事に守ってきた土地なんやから、君と兄さんが、お母さんの代わりに権利を引き継ぐことが供養にもなる。君が成人になる日まで、私が君の親代わり。よろしくな」と握手を交わした。
僕の財産を管理する口座には、相続で得た代償金が振り込まれ、僕が成人する日まで、弁護士の管理のもと、定期的に家庭裁判所へ報告していくのだと教えてくれた。通帳の残高を見て、僕は「お母さんは、このお金があったら幸せになれたんかな」と泣きそうになった。
●僕がこれから生きていくということ
その後、僕は高校を卒業し、兄にも負けないくらい立派な会社に就職した。施設を退所し、地元を離れた僕は、未成年後見人をしてくれた弁護士と、今も定期的にメールでやり取りしている。大した内容ではないが、それに対して必ず返信をくれる頼れる人だ。
お互いに社会人となった僕ら兄弟は、つらかった日々を笑い合えるような関係になったが、決して父のことは口に出さない。心配性の兄のことだから、僕に黙って父に連絡をとっているかもしれないが、今となっては親戚に頼ろうとしなかった兄の気持ちも理解できる。
僕らは、母が大好きだったのに、その母を幸せにしてあげられなかった。僕は、助けてくれた大人に感謝しながら一生懸命働いて、空から母に見守ってもらいたい。そうしたら、いつか母が夢に出てきて「よぉ頑張ってるなぁ、偉いなぁ」と頭を撫でてくれると信じている。