忘れない 紡いだ絆これからも 栃木と震災10年の歩み
東日本大震災から10年の特集。最終日は、さくら市と東北が10年かけて紡いだ「絆」についてです。
市の社会福祉協議会では、震災が発生した2011年から現在まで地元ボランティアと被災地に通い、支援活動を続けています。
大空に舞う色とりどりの風船。11日、さくら市で行われた東日本大震災の追悼セレモニーです。
市の社会福祉協議会などが震災の風化を防ごうと2014年から開いています。
1週間前の3月4日。会場の喜連川社会福祉センターでは、当日のイベントとあわせて行う、展示の準備が進められていました。
写真に写っているのは、さくら市のボランティアが10年続けてきた東北の支援活動の様子です。
さくら市社会福祉協議会 大越順子次長:「この写真に写っているのが私。女川で鍋を持ち込み料理をつくって被災者に提供した。その時にはありがとうおいしかったと声をかけてもらった」
活動は震災発生直後からスタートしました。
福島県双葉町の人が避難した埼玉県加須市の避難所や宮城県石巻市、女川町、東松島市南三陸町などを訪れました。
被災した人にホッと一息ついてもらおうと、避難所などで挽きたてのコーヒーを提供したり、夏は体と心に心地よい涼を届けようと、かき氷を振る舞ったりしました。
被災者とボランティアが語らう「茶話会」も開催。地元の高校生なども一緒に東北を訪ねて心の交流を重ねました。
支援活動は10年で100回以上、携わったボランティアは600人を超えます。
さくら市社会福祉協議会 桃谷誠至副会長:「被災した人の思いにどれだけ寄り添えるかが、私たちに一番できることかと思っていた」
東北と、さくら市。その橋渡し役を務めた社会福祉協議会で中心になったのが鈴木稔夫さん63歳です。
震災当時は事務局長。市民ボランティアから寄せられた「東北に行って何か助けをしたい」という声に応え、10年間、東北とさくら市をつなぎ続けました。
鈴木さん:「最初に行ったときには震災の話はタブーだった。私たちも聞けないし、心が通じるようになったことで、子どもたちに大きな財産になったのではないかと思う」
3月11日。追悼セレモニー当日。 鈴木さんや社会福祉協議会の職員が、朝から仕上げに取り掛かっていました。
震災から10年。催しは今回が最後になる見通しです。
さくら市社会福祉協議会 仲根信行事務局長:「10年はあっという間。忘れようにも忘れられない記憶」
およそ180個の灯篭を並べて3月11日の文字を作りました。
思いを込めて準備を進めます。
午後になり地元の人などが集まり始めました。
追悼の思いを込めて100個の風船を大空へー。
宮城県東松島市の自宅が津波で被害を受けた栗原 信一郎さんです。
さくら市には、交流ができた縁で何度も足を運んでいて、感謝の気持ちを語ってくれました
栗原さん:「10年で復興が順調に進み落ち着けるようになった。さくら市の皆さん長々とお世話になりました。つながりを続けていけたらと思っている」
あの日を「忘れない」。この思いは東北に確かに届き、これからも生き続けます。