復興支援のあり方 栃木と震災10年の歩み
東日本大震災から10年の特集です。
宮城県山元町は津波によって637人が犠牲になり、2200棟の家が流されましたが、震災から2年後の2013年、栃木の人が中心となってつくった図書館「みんなのとしょかん」がオープンしました。
あれから8年たって図書館の様子、そして支援のあり方について見てきました。
震災から10年、取材した場所は今どうなっているのか。宮城県山元町に向かいました。
山元町を取材したのは、震災から2年目の2013年3月と6月。みんなのとしょかんプロジェクトが始まった時です。
足利市の川端秀明さんが中心になって、栃木をはじめ全国から本を寄付してもらい被災地に図書館をつくりました。
川端さんは地元の実情に合った運営をしてもらおうと、住民が管理できるシステムをつくり、オープン3カ月で早くも花壇ができるなど大きく変貌。栃木の子どもたちとの交流もできました。
8年たって常磐線が別ルートで復旧するなど変化もありましたが…海岸部は見渡す限り更地。
としょかんは変わっているのか。訪ねてみると建物はオープンの時と同じでした。
当時から管理を続ける菊地慎一郎さんと8年ぶりの再会です。
菊地さん:「気が付いたら8年たっていた、本は黙って持っていかれて返ってくる。使われている」
8年たった今、建物は基礎工事を行って正式な建築物として登記する準備を進めていました。
図書館の周囲も様変わりし、立派な遊具ができていました。
毎年3月11日には追悼のつどい、栃木の人たちからは灯ろうが集まり、さらに定期的な人の交流、花のプレゼントもあり、図書館はさらに大きく成長していました。
菊地さん:「『やめないで』って言われた。必要とされていたんだと感じた」
ここまで続けられた秘訣を聞くと…
菊地さん:「1日1日の積み重ね。拠点があるから何でもできる。栃木の人たちの支援があるから」
図書館プロジェクトを主導した川端さんがこの日、山元町を訪れました。
川端さんは文化活動を応援する財団をつくって図書館に財政支援のみを行っています。運営には一切携わっていません。
一方で順調に成長してきた図書館ですがオープンから8年がたち、地元の人たちの高齢化が進んでいます。
菊地さんと話し合ったテーマは「次の10年をどうするか」。
地元の人の図書館に対する熱意は川端さんの想像以上だったといいます。
なぜここまで続けられたのでしょうか。
川端さん:「図書館はしょせんツールで集まった人が何をやるか。ワクワクしそうだね、が見えるのはとても大事で、人も集まる」
支援の種が被災地に根付き、地元の人が自分のペースで育てやりたいことを実らせ、あすの力にする。
本当の支援、本当の復興の姿がここにあるのかもしれません。
山元の皆さんが教えてくれた。川端さんはそれを生かそうとしています。
川端さん:「地方の衰退への対応にとしょかんのやり方はマッチする。被災地から支援されている。共助の関係があるから続けられる」