離れても心は故郷に 伝統の踊り守り続ける 栃木と震災10年の歩み
東日本大震災から10年の特集です。福島第1原子力発電所の事故で福島県から栃木県内に避難し、その後、宇都宮市に移住した女性がいます。
女性は離れ離れになった仲間とともに伝統の踊りを守り続けています。
福島県二本松市です。この日、東日本大震災で散り散りになった人たちが故郷の伝統の踊りを届けました。
福島第1原子力発電所の事故により福島県双葉町から宇都宮市に移住した半谷 八重子さん74歳です。
先月、半谷さんの元に福島県から通知が届きました。
そこにはイベントの知らせとともに離れ離れになった仲間の名前が書かれていました。
半谷さんは双葉町でおよそ680年続く伝統芸能「前沢女宝財踊り」の踊り手を半世紀近く続けています。
この踊りは、南北朝時代に戦に敗れた武将の家来が敵の目を欺くため変装して踊りながらご神体を運んだことが起源とされ、女性のみの構成は希少な存在です。
半谷さんが大切にしているファイルがあります。
この先、踊りを継承するために資料をまとめました。
その最初のページにあるのは、踊りを続けるきっかけになったイベントのチラシです。
震災の翌年の10月、復興を願い全国の伝統芸能が福島県に集結しました。
しかし、半谷さんは故郷を追われ混乱が続く中、進んで参加しようとは思えなかったといいます。
半谷さんは、原発から3.5キロほどの所に住んでいました。
今でも月に1度は必ず双葉町の自宅に戻り、あの日より以前の暮らしを思い返しています。
国の事業で取り壊すことが決まっていても心を決めることはできずにいます。
半谷さんを元気づけたのはふるさとの踊りでした。
あのイベントに参加し仲間と一丸となったことで、郷土の宝を自分で守っていきたいと思うようになりました。
今月7日朝、半谷さんは民族芸能の催しに参加するため二本松市に向かいました。
再会を喜んだのも束の間、皆で踊りを合わせられるのは、本番までのわずかな時間しかありません。
双葉町は去年3月に一部の地域の避難指示が解除されたものの、町全体の5%に満たず、ほとんどの場所が帰還困難区域のままです。
町民それぞれが別の場所での生活を定着させる中、震災後に2人のメンバーが加入してくれました。
その一人が谷津田 敬子さん62歳です。
舞台に向けて、できる限りのことはやりました。
顔を作り、準備は万端です。
イベントには、福島県内の被災地の3つの団体が参加しました。
新型コロナウイルスの影響で、この1年、披露の場が限られたうえ、今回のイベントに参加できない団体もあったため、インターネットで生配信しました。
とりは、半谷さんの団体が務めました。
震災前に悠々自適に暮らしていたこと、家族のこと、友人の事、今の生活と人生のさまざまな出来事が浮かびました。
半谷さん、見せ場もきっちり決めました。やり切りました。
双葉町は来年春頃に居住開始を見据えていて、その5年後をめどに2千人にまで住民を増やす計画です。
復興とは何か…「答えが見つからない」が答え。
ふるさとは一つ、その思いは変わりません。