連日お送りしている東日本大震災から10年の特集です。

栃木県内では4人が亡くなり、2,000棟以上の住宅が全半壊しました。

那須烏山市には県内唯一の仮設住宅が建てられ、現地のボランティアグループが支援にあたりました。

被災者とボランティア、隔てのない心の交流は、あせることなく残っています。

那須烏山市の南那須運動場です。

この場所には、東日本大震災で県内の被災者が暮らした唯一の仮設住宅がありました。

那須烏山市は、震災による土砂崩れで2人が亡くなり、50棟を超える住宅が全壊するなど、県内でも被害が大きかった地域の一つです。

そのため、直後に仮設住宅が建設され、5月に被災者を受け入れました。

閉鎖されるまでの2年間、最も多い時で20世帯67人が生活の再建を目指して暮らしました。

谷田由香里さん50歳です。

谷田さんがもともと暮らしていた家は、震災で全壊。

夫婦と子ども4人の6人で仮設住宅の生活を経験しました。

夏は暑く冬は寒い、湿気にも悩まされました。

3DKの間取りに家族6人で暮らすには苦労も多くありましたが、残っている写真は皆が笑顔です。

震災から1年半後の2012年9月、仮設住宅からわずか数百メートルの所に新居を構えることができました。

この間、数多くの交流が生まれたといいます。

当時の映像を谷田さんに見てもらいました。

顔中に綿あめをくっつけていた末っ子の凰生(こうせい)くんは、この春、中学生になります。

緊張しながら大役を務めた次男の龍心(りゅうしん)くんは高校2年生です。

家族の絆はより強くなり、子ども4人は素直に育ってくれました。

当時中学1年だった長男の秀人さんは、被災した経験から丈夫な家を作りたいと、父の背中を追って建築の道に進みました。

仮設住宅で暮らした人たちが暗い気持ちにならなかったのは、地元のボランティアグループの支えがあったからと皆が口をそろえます。

月明かりのようにやさしく、そっと周囲を照らしてくれました。

被災者も一緒になってイベントを開催し、それまでよりも確かに季節の移り変わりを感じることができました。

ボランティアグループ、チーム龍JINの代表、小堀道和さんです。

グループは、那須烏山市の仮設住宅をはじめ、宮城県石巻市の被災者支援を続けてきました。

もうすぐ震災から10年。また春がきました。

県内の被災者も、それぞれの歩みを進めています。

仮設住宅があった場所は元の運動場に戻りました。

しかし、この場所で重ねた心の交流は今もあり続けています。