日本ハムで活躍した田中幸雄氏【写真:荒川祐史】

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ブレークのきっかけは相手チームだった巨人の須藤豊2軍監督の目

「イップス」とは、あらゆるスポーツで主に精神的な要因から、突然ごく当たり前のプレーができなくなる現象を指す言葉だ。時おりプロ野球選手にも、急にまともな送球ができなくなり、目の前にボールをたたきつけてしまうようなことが起こる。日本ハム一筋に22年間活躍し通算2012安打、287本塁打を誇った田中幸雄氏もプロ2年目に、イップスに苦しんだ1人だ。後に“ミスター・ファイターズ”と呼ばれるまでになった男は、いったいどう克服したのか。

 宮崎・都城高からドラフト3位で日本ハムに入団した田中氏は、1年目の1986年6月10日、早くも初の1軍昇格を果たした。当時の1軍監督は巨人OBの高田繁氏。実は、巨人の須藤豊2軍監督(当時)がかつて同じ釜の飯を食ったよしみで、高田監督に「おまえのチームの2軍にいる田中というやつは伸びるぞ。体幹が強くて、リストワークが抜群だ」と強く推したのだという。

 田中氏は1軍に上がったその日、本拠地・後楽園球場での南海(現・ソフトバンク)戦に「9番・遊撃」でスタメン出場。2打席目にプロ初安打を左翼席への初本塁打で飾った。だが、その後はパタリと当たりが止まり、2軍と1軍を往復。結局1年目の1軍成績は14試合出場、27打数4安打(打率.148)、1本塁打4打点に終わった。

 翌87年、高田監督は田中氏に英才教育を施そうと、開幕から遊撃のレギュラーに抜擢。ところが、西武球場(現メットライフドーム)で行われた開幕戦が思わぬ苦難の始まりとなった。

「僕は平凡なショートゴロを捕った後、一塁へ悪送球を放ってしまったんですよ。そこから手の感覚がおかしくなって、送球イップスになっちゃった。すっぽ抜けるのが怖くなって、逆に引っかけてワンバウンドになったり、横にそれることが多くなりました。1試合3エラーが2〜3度ありましたよ」と振り返る。それでも高田監督は起用し続け、最終的に田中氏は112試合に出場。失策数はリーグ最多の25に上り、そのほとんどが送球ミスだった。打つ方も打率.203、9本塁打、33打点とパッとしなかった。

 田中氏は野球選手として致命的ともいえるイップスを、どう克服したのか。当時の猿渡寛茂1軍内野守備走塁コーチによる、シンプルで過酷な猛練習があった。「ホームゲームが終わって、当時多摩川にあった寮に帰ると、毎日守備練習が待っていました。よく体が壊れなかったな、と思うくらいやりましたよ」と肩をすくめる。

 単調な練習を延々と繰り返すうちに、感覚に変化が起こり始めた。「悪送球を直すために、いろんな練習をしましたが、考える暇がないくらい、ボールを捕って投げることを何百回、何千回と繰り返しているうちに、無心になり、やがて体が勝手に元に戻ってきたんですよ」

 とはいえ、イップスは“完治”したわけではなく、田中氏は現役生活を通じてたまにとんでもない送球をしてしまう症状と付き合い続けたが、頻度を激減させることによって、ゴールデングラブ賞に5度も輝いた。

イップスの治療薬はあるのか?田中氏「怖さを取っ払うくらいの…」

 イップス治療の処方箋があるとすれば、「反復練習によって“怖さ”をとっぱらうくらい自信をつけるか、勝手に動く体をつくるかだと思います」と実感。「考えたら、たぶんダメです。僕もあのまま何もせずに、周囲からああやって投げろ、こうやって投げろといろいろ言われていたら、改善されなかったかもしれない」と語る。

 一方、持ち味の打撃でも、無心にバットを振り続けた。2年目のオフには、千藤三樹男1軍打撃コーチが合宿所まで足を運び、12月末まで付きっ切りで指導。「当時は正直言って、コーチに言われるがまま、何も考えずにがむしゃらにやっていました」と田中氏。手のひらにはマメができてはつぶれ、冬にはひび割れができて、血だらけになった。バットから手を離すと傷口が開いて痛むので、1時間でも2時間でも握ったまま。練習を終えると、慎重に少しずつ、バットから手のひらをはがしていった。風呂に手を入れると、飛び上がるくらいしみた。いつしか、暇さえあればバットを握り、場所さえあればスイングするようになり、その習慣は現役引退するまで続いたのだった。

 また、当時二塁のレギュラーで寮に住む先輩だった白井一幸氏にならって、まだプロ野球界に浸透していなかったウエートトレーニングを導入。その結果、田中氏の上腕と前腕の太さは球界随一を誇るようになった。

 プロ3年目に弱冠20歳にして全130試合に出場し、打率.277、16本塁打をマーク。チームの主軸となり、95年に打点王のタイトルを獲得するなど、球界を代表するスラッガーに成長していった。猛練習でスターの座に上り詰めた名残で、52歳となった今も、田中氏の前腕は人一倍太い。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)