ギヨーム・ニクルー監督

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 第二次世界大戦末期のフランス領インドシナを舞台に、心に傷を追ったフランス人の青年兵士の目を通して、戦争という極限状態での人間の残虐さを描いたギヨーム・ニクルー監督が、自身の映画『この世の果て、数多の終焉』に込めた思いを語った。

 本作の冒頭で、穴の中に無造作に捨てられたおびただしい数の死体が映し出され、ショッキングなことに、その残虐な行為をしているのはほかでもない日本人だ。1945年3月、日本は敗戦が色濃かったにもかかわらずフランス領インドシナに攻撃を仕掛けた結果、約半年で軍人と民間人を合わせて約3,000人のフランス人を虐殺した。そんな我々にとっても非常にショッキングな歴史的事実が冒頭から突きつけられる。実際、フランス兵が数多く殺されたインドシナ戦争については、フランスでもあまり語られてこなかった。ニクルー監督は「1945年から47年に行われていたインドシナ戦争は多くの国が支配しようとした非常に複雑な経緯があった。多くのハリウッド映画ではベトナム映画が描かれていますが、このインドシナ戦争を戦った人たちのことがほとんど描かれてこなかったからこそ、そこに挑戦して描きたかった」とインドシナ戦争下のフランス兵にフォーカスした映画を作ろうとした理由を挙げた。

 ニクルー監督のルーツを聞くと、「私の祖母はユダヤ人だったからパリのユダヤ人狩りではとてもつらい目にあったと聞いています。だからこそ、自分は占領する側に対する抵抗する気持ちが強い」とユダヤ人の祖母を持っていたことが、自身の作品に大きく影響しているのだとルーツについて語った。

 若い兵士が兄を残酷に殺され、人間に対してどんどん残酷になっていく。映画の中で描かれる現実と向き合うと、戦争がいかに残虐で恐ろしいかを改めて感じることになる。監督が映画の残酷な暴力シーンについてこだわったのは兵士たちの時間だったのだそう。「彼らが目の前の暴力に対峙する時、彼らが見ている残虐な景色を静止画で表現した。彼らが暴力を目の当たりにしたときの時間が止まる瞬間を表現したかったんだ」と描写へのこだわりを語った。

 映画の中では、映画『ハンニバル・ライジング』などでハリウッドでも活躍するギャスパー・ウリエル演じる青年兵士ロベールの目を通し、戦争で心が壊れていく様子を丁寧に描いていく。「あの時代に生きていた兵士がどんなことを考えながら、戦いの日々を過ごしていたのか。そういう心の奥深くまでを、自分自身の考えと向き合いながら作り上げていきました」と語った監督。兵士の心の奥へと深く潜り込んで描いているからこそ、観客もまた非常に過酷な時間とはなるが、戦わざるを得なかった兵士の心を追いながら蒸し暑いジャングルの中で戦う恐怖、憎しみ、暴力性を感じることができる。終戦記念日である8月15日から公開となる本作で、改めて戦争の恐ろしさを訴える異色作だ。(取材・文:森田真帆)

映画『この世の果て、数多の終焉』は8月15日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開