スノーピーク、「32歳3代目新社長」でどう変わる
3月に新社長に就いたスノーピークの山井梨沙氏(右)と、父親で前社長の山井太氏(記者撮影)
新型コロナウイルスが猛威を振るうさなかの3月27日、キャンプ用品大手・スノーピークの新社長に、創業家の3代目で、副社長CDOの山井梨沙氏が就いた。
山井氏は1987年生まれの32歳。2012年にスノーピークに入社し、アパレル事業本部長や企画開発本部長などを経て、2019年1月から副社長CDOを務めていた。
近年、上場企業のコーポーレートガバナンスの重要性が叫ばれている中、「世襲」ともいえるトップ交代の狙いは何だったのか。山井新社長に今後の経営戦略やガバナンスのあり方などについて、ビデオ通話でインタビューした。
30代社長で「新しいスノーピーク」を
――山井新社長は32歳。東証1部上場企業の社長としては飛び抜けて若い社長の誕生です。「世襲人事」に対し、ガバナンス意識に欠けるのではないかという株主の意見もあるようですが、周囲の反響をどのように受け止めていますか。
ポジティブな意見、ネガティブな意見、両方あった。若いことに加えて女性であること、ファッションブランドのデザイナーとして働いた後、スノーピークに入社している経歴から、経営者としては力不足ではないかと感じられる人もいるようだ。
一方で、スノーピークだから英断できたことだと評価してくれる人もいた。女性で30代前半の私が社長となり、世の中に示していかないと、固定観念に縛られた男性優位の社会は変わらないと応援してくれる人もいる。とにかくやり続けて結果を出すしかない。
会長(で、前社長の山井太氏)が先代から社長を引き継いだのも30代だった(編集部注:太氏の社長就任は1996年で、36歳のとき)。創業者である祖父が60歳で亡くなったことで、父(である太氏)は若くして社長に就任することになった。父はこのときを振り返り、「クリエイティブな力、会社を変革するエネルギーにあふれている30代で社長になったから今のスノーピークがある」と感じているようだ。
だから私も30代前半で社長に就任させ、新しいスノーピークを作ってほしいと考えたようだ。私もその考えに共感している。
世襲に関して会長は常々、「初代が金物問屋を起業し、2代目として私がキャンプ用品事業を立ち上げ、娘がアパレル事業を立ち上げた。社内起業は社員のだれもがやろうと思えばできるが、たまたま山井家の人間が3代続いて起業家精神を持っていた」と言っている。キャンプ用品とはまったく異なる分野のアパレルという新規事業を、入社7年で売上高20億円にまで育てたことが評価され、社長に抜擢されたと考えている。
――社長就任の話はいつ頃にあったのですか。
2018年末に会長から社長交代の打診があったが、当初、交代のタイミングは2019年3月と言われた。当時はアパレルの事業責任者だったことに加え、2018年1月から企画開発全体の責任者にもなっていた。アパレル事業を引き継ぐことと、開発部門を作り上げるのにもう少し時間が必要だった、そのため、「あと1年待ってほしい」と伝えた。
1年かけてアパレル事業を後任に手渡せるよう準備を進めていた2019年末に会長から改めて社長交代の打診があり、「やります」と伝えた。
コロナ禍で高まったキャンプ需要
――コロナ禍で景気悪化による消費の冷え込みも想定されます。スノーピークにとって逆風が吹き荒れる中の船出となりました。
山井梨沙(やまい・りさ)/1987年新潟県生まれ。文化ファッション大学院大学修士課程修了後、国内ファッションブランドでのデザイナーアシスタントを経て、2012年にスノーピーク入社。その後、アパレル部門を立ち上げる。2020年3月から現職(記者撮影)
混乱した状況の中でわかったのが、人にとっての「自然」の存在の重要性だ。今後はわからないが、2月末の時点では密閉、密集、密接の「3密」を避けつつ、余暇を過ごせる場所としてキャンプ場の需要が高まり、当社直営キャンプ場の2020年1〜3月の稼働率は前年比130〜150%となった。
「自然」を軸にするキャンプ用品メーカーとして、社会的な問題と対峙しながら、世の中に必要とされる事業展開ができると改めて確信した。
今回の新型コロナウイルスだけでなく、大災害に備えるためにも、キャンプスキルは役に立つ。自然の中で与えられた条件や状況を判断し、行動することに慣れていれば、不安に駆られてトイレットペーパーを買いだめするようなことはなくなる。キャンプスキルがある人を増やして、環境問題や社会的な問題の解決につなげていきたい。
――2代目から3代目へ社長のバトンが渡され、今後の経営体制はどのように変わるのでしょうか。
会長は、先代が金物問屋からスタートさせた会社をキャンプ用品の会社として発展させ、創業家社長として強力なリーダーシップで「第2創業」を成功に導いた。私の頭の中だけで考え、仕事をするスタイルではなく、役員とのコミュニケーションの中から出てくる新しいアイデアや問題点をみんなで考え、作り上げていく経営スタイルに変えたい。
もちろん、最終的に決断するのは私だが、結果や成果を得るまでの過程を大事にしたい。例えば、私が企画開発全体の責任者となった当初、企画開発部門との関わりは、キャンプの新商品やアパレルデザインの批評、見直し、検証を私が行うことが中心だった。そこで、新たに「未来開発会議」を設け、レビューや通常業務の報告だけではなく、通常の業務では考えることのない未来について意見を出し合うようにした。
社員の「地固め」を進める
役員会や経営会議といったオフィシャルな場以外に、「井戸端会議」のような、役員で議論する場を増やした。そこは報告ではなく、議論をする場にしている。役員全員で考え、解決をしていく中で、未来につながる新しい事業のアイデアが出てくる。その内容をプロジェクトチームに落とし込んで実行に移している。
変えるのは経営陣だけではない。従業員数は500人規模に拡大し、以前より現場の初動が遅くなったり、実行力に欠ける部分が出始めている。今後は社員一人ひとりが自発的に行動できる体制作りが必要だ。副社長時代からもっともエネルギーを注いだのは、社員の「地固め」だ。
2019年は中長期的な成長への基盤固めとして、人材投資を積極的に行った。報酬だけでなく、従業員全員がスノーピークの仕事を自分事にできるよう人材育成に努めた。従業員のモチベーションや使命感を再度、醸成するよう働きかけた。
スノーピークの核となるマインドは、自然や人に対する「愛情の深さ」にあると思っている。自然や顧客、会社の同僚に対する愛情が深ければ深いほど、商品やサービスの品質を高めることができる。企画開発や小売りスタッフ、生産管理など、機能別に分かれ、横の連携が弱かった組織体制も見直した。
――経営者として山井太会長はどのような存在ですか?
経営者として、誰より信頼しているのが父だ。長年気にかけてきた社員が大きな成果を上げて報告する会議で、感極まって号泣するような人間味あふれる人。
私と意見がぶつかることはあるが、スノーピークとして目指しているところは同じ。たとえぶつかっても、「親父が言っていることもわかるな」と考え、次の日にはころっと仲直りしている。
この考え方は、子どもの頃からの山井家の教育方針の賜かもしれない。失敗したり問題が起きたときには、「他責化ではなく、自責化しなさい」と言われていた。人のせいにせず、「自分のこういうところが悪かったかな」と考える癖がついている。
父と私は「いいライバル関係」
――今後、太会長と新社長の役割分担は?
会長はアメリカ市場の開拓、私は社長として日本の事業を拡大させていくという役割分担でやっていく。父がアメリカで売り上げを伸ばしたら、負けるのはくやしいから私はそれ以上に頑張ろうと思う。いい意味でライバル関係にあると思っている。
梨沙氏が副社長だった2019年夏には、親子そろってインタビューに応じた(記者撮影)
私がスノーピークに入社して新たにアパレル事業を立ち上げ、半年で売上高1億円の事業にしたことは、父にも刺激を与えたようだ。以前、ふとした瞬間に「おまえは俺が30歳のときよりすごいからな。よく頑張っているよ」と言われたことがある。
スノーピークで働く全員を家族だと思えて、その家族のために頑張りたいと思えるのは、オーナー企業ならではだと思う。オーナー企業で働けてよかった。
上場企業として、コミットしたことに対して結果を出すのは当たり前。人として正しいかどうかを基準に判断していける経営者になりたいと思っている。