ミモザ、菜の花…春の植物ラッシュで感じた生命力<暮らしっく>
作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。今回つづってくれたのは、ようやくすぐそこに来ている春。春の植物が次々と芽を出すこの季節で感じたことです。
●春は桜と同じくらいミモザに囲まれて過ごす
徹夜明け、寝ぼけ眼で階段を降りていくと、食卓の上に黄色い子がいるのに気づいた。庭のミモザを夫が朝飾って仕事に行ったのだろう。二人ともミモザが好きなので庭で色々な種類を育てている。外で打ち合わせがあって自転車で家に帰ってくるたびに金平糖のようにかわいいミモザが出迎えてくれる今の季節は幸せを感じる。
お気に入りの花器に生けられたミモザ
3月8日は国際女性デー。イタリアでは「ミモザの日」と呼ばれ、男性が日頃の感謝の気持ちを込めて奥さんや恋人にミモザの花を送るのだそうだ。そういうことをきっと夫は知らないだろうけれど私の誕生日が近いこともあって、春は桜と同じくらいミモザに囲まれて過ごす。
オリーブや柚子、レモン、ユーカリ、アカシアななどなど、私たちは花というよりも木が好きなので、庭にはいろんな木々が並んで夏は森のようになる。ミモザというのはじつはアカシアの花のことで、わが家には色々な種類のアカシアの木がある。パールアカシアや三角葉アカシアはその中でも香りが強くて切り花でよく楽しんでいる。
木を剪定(せんてい)したついでに部屋に飾るという気軽さが丁度いい。家の中に飾られた木々はまた違った存在感だ。生きている、呼吸するものが家にあるとほっとする。
やかんを火にかけて、ミモザの花を見ながらお茶を飲む。つい先月までは椿が真紅の大きな頭をもたげていたこの花器に、柔らかいミモザの花。春だねえ。今だけだから、余計に美しく感じるのかな。植物は日々がライブだ。
●ようやく花を咲かせた椿から感じた特別な力
花屋さんに行くのも好きだし、家のまわりにある植物に暮らしの中に参加してもらうのも楽しい。椿と南天の木は、引っ越してくる前から玄関先に植わっていた。若い夫婦だしきっと剪定せず近所から苦情が来るに違いない、と不動産屋さんが切ろうとしていたところをなんとか思い留まってもらった。東京の住宅街は密集しているからきっとそういう問題も起こりがちなのだろう。
玄関先の椿の木
「きちんと剪定しますので置いといてください」「本当ですかー?」と不動産屋さんのいぶかしげな顔。なんとか許しを得て、でもかなり小さく切られた椿は一年目は花を咲かせなかった。もうダメになってしまったのかなと思っていたが、今年はぐんぐん成長して冬には驚くほどたくさんの花をつけた。うれしかった。緑の葉っぱの中に紅一点顔を見せる花には特別な力を感じる。咲く前から見ているから余計に感動するのもあるが、木々の力を一心にもらって咲くプリンシパルのようだ。
南天の葉っぱも今年はかなり成長して、剪定のたびに大きな枝ごと家の中に飾ってみた。バケツにそのまんまワイルドにね。花もいいが、木を枝ごと飾ると部屋の表情も変わる。花にはない大地の力強さやたくましさを感じ、そこで生活する私たちは気づかぬうちに植物から影響を受けているに違いない。
●手間をかける植物を育てるのはやめようと誓った
ユーカリはドライフラワーにしている最中
先日、庭で青々と茂っているユーカリを剪定をかねて大胆に切って、逆さまにつるしてそのままドライフラワーにしている。3月は意外にも乾燥しているので庭木をドライにするにもいい季節だ。ユーカリはミントのような清涼感のある香りがするので通るたびに匂いをかいでしまう。ミモザもドライにしてみたが乾燥すると花がぽろぽろ溢れてしまうので不向きだった。その瞬間を精一杯咲いてくれたらそれでいいということだろう。
じつは私はサボテンすら枯らしたことのある人間。苔や、多肉植物、バラだって…思えばけっこうやらかしている。私の身長より大きく育っていたユーカリの木も長期の旅をしている夏の間に枯らしてしまった前科あり! なにかに夢中になるとすぐにほかのことが見えなくなってしまうのでそこまで手間をかける植物はやめようと心に誓った。枯らしてしまうとやっぱり悲しい。へこむ。ユーカリのように大きい植物であればあるほどに胸が痛んだ。だから地植えにしたり、なるべく自力で生きられるタフな植物を育てることにした。
●「菜の花」が咲いた。春になると植物は自分で目を覚ます
お茶を飲みながら、ぼんやりと窓の外を眺めると、小さな家庭菜園で収穫し忘れた青梗菜や小松菜の真ん中からとうが立ち、小さな花をつけている。ここにも花。野菜の真ん中を食い破って花が咲く光景は何度見てもロックだ。野菜と名づけているだけで、彼らはれっきとした植物なのだ。子孫を残すために花をつけ、やがて種を土に落とす。
畑でとれた菜の花
私は窓を開けビーチサンダルをはいて、花の咲いた野菜たちを収穫する。菜の花と一言でいってもいろいろある。「菜」の「花」なのだからどんな菜っ葉からも生えてくるのだ。青梗菜の花、小松菜の花、白菜の花、キャベツの花、パクチーの花だっておいしい菜の花だ。それぞれの菜がつけた花は種類ごとにその性質を引き継いで、個性豊かな味わいがある。私はその中でも小松菜の花が好きで、あえて畑に放置して花が出るのを待つ。
さっと湯がいた菜の花は苦味があって柔らかくてなにも味つけせぬままペロリと食べてしまった。今だけしか食べられないぜいたくな野菜の花。ほかにも春は山菜や木の芽、タケノコなど多少アクのあるものが出てくる。春にはアクのあるものを自然と食べて育ったが、旬のものを食べることは、生物として本能的に意味のあることだなあと思う。そろそろ愛媛ではタケノコやワラビが取れる季節、収穫が楽しみだ。
春ですよとお知らせしなくても植物はちゃんと知っている。タケノコが伸びる音、桜が蕾をふくらませる音、野菜が花を咲かせる音。沈黙の中にもきっとそれぞれの音があり、騒がしい世間に惑わされることなく植物はきちんと目を覚ます。ここからは、芽吹きのラッシュ! ミントやパセリ、ハーブ、家庭菜園はどんどんにぎやかになることだろう。その前に残りの大根を早く引いて食べないとなあ。
地球がいっぺんに命を吹き出す季節が来た。私たちも負けずに、それぞれの呼吸を続けよう。
【高橋久美子さん】
1982年、愛媛県生まれ。チャットモンチーのドラムを経て作家・作詞家として活動する。主な著書にエッセイ集「いっぴき」
(ちくま文庫)、絵本「赤い金魚と赤いとうがらし」
(ミルブックス)など。翻訳絵本「おかあさんはね」
(マイクロマガジン社)でようちえん絵本大賞受賞。新刊の詩画集「今夜 凶暴だから わたし」
(ちいさいミシマ社)が発売中。原田知世、大原櫻子、ももいろクローバーZなどさまざまなアーティストへの歌詞提供も多数。NHKラジオ第一放送「うたことば」のMCも。サイン入り詩画集の予約やトークイベントなどの情報は公式HP:んふふのふ
第15回「春だ春だ春だ」
●春は桜と同じくらいミモザに囲まれて過ごす
徹夜明け、寝ぼけ眼で階段を降りていくと、食卓の上に黄色い子がいるのに気づいた。庭のミモザを夫が朝飾って仕事に行ったのだろう。二人ともミモザが好きなので庭で色々な種類を育てている。外で打ち合わせがあって自転車で家に帰ってくるたびに金平糖のようにかわいいミモザが出迎えてくれる今の季節は幸せを感じる。
お気に入りの花器に生けられたミモザ
3月8日は国際女性デー。イタリアでは「ミモザの日」と呼ばれ、男性が日頃の感謝の気持ちを込めて奥さんや恋人にミモザの花を送るのだそうだ。そういうことをきっと夫は知らないだろうけれど私の誕生日が近いこともあって、春は桜と同じくらいミモザに囲まれて過ごす。
オリーブや柚子、レモン、ユーカリ、アカシアななどなど、私たちは花というよりも木が好きなので、庭にはいろんな木々が並んで夏は森のようになる。ミモザというのはじつはアカシアの花のことで、わが家には色々な種類のアカシアの木がある。パールアカシアや三角葉アカシアはその中でも香りが強くて切り花でよく楽しんでいる。
木を剪定(せんてい)したついでに部屋に飾るという気軽さが丁度いい。家の中に飾られた木々はまた違った存在感だ。生きている、呼吸するものが家にあるとほっとする。
やかんを火にかけて、ミモザの花を見ながらお茶を飲む。つい先月までは椿が真紅の大きな頭をもたげていたこの花器に、柔らかいミモザの花。春だねえ。今だけだから、余計に美しく感じるのかな。植物は日々がライブだ。
●ようやく花を咲かせた椿から感じた特別な力
花屋さんに行くのも好きだし、家のまわりにある植物に暮らしの中に参加してもらうのも楽しい。椿と南天の木は、引っ越してくる前から玄関先に植わっていた。若い夫婦だしきっと剪定せず近所から苦情が来るに違いない、と不動産屋さんが切ろうとしていたところをなんとか思い留まってもらった。東京の住宅街は密集しているからきっとそういう問題も起こりがちなのだろう。
玄関先の椿の木
「きちんと剪定しますので置いといてください」「本当ですかー?」と不動産屋さんのいぶかしげな顔。なんとか許しを得て、でもかなり小さく切られた椿は一年目は花を咲かせなかった。もうダメになってしまったのかなと思っていたが、今年はぐんぐん成長して冬には驚くほどたくさんの花をつけた。うれしかった。緑の葉っぱの中に紅一点顔を見せる花には特別な力を感じる。咲く前から見ているから余計に感動するのもあるが、木々の力を一心にもらって咲くプリンシパルのようだ。
南天の葉っぱも今年はかなり成長して、剪定のたびに大きな枝ごと家の中に飾ってみた。バケツにそのまんまワイルドにね。花もいいが、木を枝ごと飾ると部屋の表情も変わる。花にはない大地の力強さやたくましさを感じ、そこで生活する私たちは気づかぬうちに植物から影響を受けているに違いない。
●手間をかける植物を育てるのはやめようと誓った
ユーカリはドライフラワーにしている最中
先日、庭で青々と茂っているユーカリを剪定をかねて大胆に切って、逆さまにつるしてそのままドライフラワーにしている。3月は意外にも乾燥しているので庭木をドライにするにもいい季節だ。ユーカリはミントのような清涼感のある香りがするので通るたびに匂いをかいでしまう。ミモザもドライにしてみたが乾燥すると花がぽろぽろ溢れてしまうので不向きだった。その瞬間を精一杯咲いてくれたらそれでいいということだろう。
じつは私はサボテンすら枯らしたことのある人間。苔や、多肉植物、バラだって…思えばけっこうやらかしている。私の身長より大きく育っていたユーカリの木も長期の旅をしている夏の間に枯らしてしまった前科あり! なにかに夢中になるとすぐにほかのことが見えなくなってしまうのでそこまで手間をかける植物はやめようと心に誓った。枯らしてしまうとやっぱり悲しい。へこむ。ユーカリのように大きい植物であればあるほどに胸が痛んだ。だから地植えにしたり、なるべく自力で生きられるタフな植物を育てることにした。
●「菜の花」が咲いた。春になると植物は自分で目を覚ます
お茶を飲みながら、ぼんやりと窓の外を眺めると、小さな家庭菜園で収穫し忘れた青梗菜や小松菜の真ん中からとうが立ち、小さな花をつけている。ここにも花。野菜の真ん中を食い破って花が咲く光景は何度見てもロックだ。野菜と名づけているだけで、彼らはれっきとした植物なのだ。子孫を残すために花をつけ、やがて種を土に落とす。
畑でとれた菜の花
私は窓を開けビーチサンダルをはいて、花の咲いた野菜たちを収穫する。菜の花と一言でいってもいろいろある。「菜」の「花」なのだからどんな菜っ葉からも生えてくるのだ。青梗菜の花、小松菜の花、白菜の花、キャベツの花、パクチーの花だっておいしい菜の花だ。それぞれの菜がつけた花は種類ごとにその性質を引き継いで、個性豊かな味わいがある。私はその中でも小松菜の花が好きで、あえて畑に放置して花が出るのを待つ。
さっと湯がいた菜の花は苦味があって柔らかくてなにも味つけせぬままペロリと食べてしまった。今だけしか食べられないぜいたくな野菜の花。ほかにも春は山菜や木の芽、タケノコなど多少アクのあるものが出てくる。春にはアクのあるものを自然と食べて育ったが、旬のものを食べることは、生物として本能的に意味のあることだなあと思う。そろそろ愛媛ではタケノコやワラビが取れる季節、収穫が楽しみだ。
春ですよとお知らせしなくても植物はちゃんと知っている。タケノコが伸びる音、桜が蕾をふくらませる音、野菜が花を咲かせる音。沈黙の中にもきっとそれぞれの音があり、騒がしい世間に惑わされることなく植物はきちんと目を覚ます。ここからは、芽吹きのラッシュ! ミントやパセリ、ハーブ、家庭菜園はどんどんにぎやかになることだろう。その前に残りの大根を早く引いて食べないとなあ。
地球がいっぺんに命を吹き出す季節が来た。私たちも負けずに、それぞれの呼吸を続けよう。
【高橋久美子さん】
1982年、愛媛県生まれ。チャットモンチーのドラムを経て作家・作詞家として活動する。主な著書にエッセイ集「いっぴき」
(ちくま文庫)、絵本「赤い金魚と赤いとうがらし」
(ミルブックス)など。翻訳絵本「おかあさんはね」
(マイクロマガジン社)でようちえん絵本大賞受賞。新刊の詩画集「今夜 凶暴だから わたし」
(ちいさいミシマ社)が発売中。原田知世、大原櫻子、ももいろクローバーZなどさまざまなアーティストへの歌詞提供も多数。NHKラジオ第一放送「うたことば」のMCも。サイン入り詩画集の予約やトークイベントなどの情報は公式HP:んふふのふ