女優・つみきみほ「実は、昨年離婚しました」生放送で結婚発表、“逆プロポーズ”も振り返る
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1985年、中学校在学中に「The Audition‘85−吉川晃司主演映画 第3弾ヒロイン募集」で10万人のなかからグランプリを獲得し、映画『テイク・イット・イージー』(1986年)でデビューしたつみきみほさん。
ボーイッシュで目ヂカラの強い美少女としてブレークし、映画やドラマに多数出演。歌手としても活躍。子育てのため、一時期休業していたが、本格的に女優復帰を果たし、2017年には26年ぶりとなる主演映画『話す犬を、放す』に出演。現在、映画『明日、キミのいない世界で』と映画『花と雨』が公開中のつみきみほさんにインタビュー。
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◆ショートカットにしたのは「小泉今日子さんに憧れて」
幼い頃から早く働きたいなど自立心が強く、雑誌に漫画を投稿したりしていたと話すつみきさん。オーディションに応募したときは、まだ14歳だったという。
「早くから仕事がしたいと思っていて、姉がたまたまオーディションの応募用紙を持っていたので、自分で応募させていただきました。
大きなオーディションだということは全然知りませんでした。でも、何かやりたかったんですよね。働きたくて」
−吉川晃司さんの相手役に10万人のなかから選ばれたということで話題になりましたが、自信はありました?−
「全然ありませんでした。ゼロでした。オーディションは第三オーディションまでありました。自分で応募したのに、いざとなったら怖くなって、行くのをやめようと思ったんですが、友だちに相談したら、『せっかくだから行ったほうが良い』って言われたので、付いて来てもらって行きました。
最初に受かったときには『やったー』みたいな感じと驚きで、2次に受かったときには心臓バクバクっていう言葉にするのもできないぐらいでした。
1次と2次は書面で結果が送られてきたのですが、最終オーディションは、会場でマスコミを入れて発表されることになっていました。発表を待っている間、ずっと早く帰りたいなと思っていました。
というのも、レオタード姿にも自信はないし、歌も音痴だっていう自覚があったからです。それでも開き直って歌ったのですが、合格するわけはない、もう帰りたいなあって(笑)」
−グランプリに決まったときは?−
「記憶にないというのが本当のところです。合格発表のときのカメラのフラッシュのことしか覚えていないです。姉が付き添ってくれていたので、無事に家に帰り着けましたが、どうやって帰ったのかも全く覚えていない。すべてが夢のなかという感じでした」
−つみきさんがデビューされたときは、ボーイッシュで目ヂカラがあって印象的でした−
「まだ少なかったですよね、こういう感じって。でも、私は小泉今日子さんが好きで、小泉今日子さんがサイドを刈り上げたりとかしていて、他のショートの方とも違う感じで。
すごく自由にされているのを見ていたのでショートにしていたんですよね。オーディションで歌った歌も『スターダスト・メモリー』だったくらい、小泉今日子さんが好きでした」
−グランプリに選ばれてデビュー、人生が大きく変わったわけですがいかがでした?−
「全く知らない世界で大変だったんですけど、すばらしい方たちに出会うことができて、すごく楽しかったです。
でも、ほかのアイドルの方とか、華やかな方たちのような活躍の仕方が自分はできてないという思いが、すごく当時は強かったですね。
自分なりに一生懸命、『どうやったら自分もそうやって輝けるんだろう?』みたいなことを探ったりしていたんですけれども、なかなか思うようにいかなくてすごく悩んでいました。とにかく必死だったというのは、当時から今も変わらないんですけど」
−14歳で大々的に芸能界デビューとなったわけですが、ご両親はどのように?−
「父は今になって、当時は反対だったという本音を教えてくれますけど、所属した事務所が大きな老舗事務所だったこともあり、面と向かって反対とは言わなかったようです。
母や姉妹は割と浮かれていたように感じましたが、父が反対なのか賛成なのか、はっきりしたことを言ってくれなかったので、ちょっと心細かったです。
仕事の現場で不安なことがあって相談したくても、父がものすごく忙しかったので、相談に乗ってもらえなかったんですが、4人姉妹で仲が良かったので、それが多分いちばんの救いでした」
※つみきみほプロフィル
1971年4月13日生まれ。千葉県出身。1986年、映画『テイク・イット・イージー』でデビュー。映画『花のあすか組!』(1988年)、映画『櫻の園』(1990年)、映画『話す犬を、放す』(2017年)、ドラマ『愛はどうだ』(TBS系)、ドラマ『御宿かわせみ』(NHK)、蜷川幸雄演出舞台『夏の夜の夢』など映画、テレビ、舞台に多数出演。歌手としてシングル4枚、アルバム2枚をリリース。現在は女優業をベースに福祉の勉強やボランティア活動も行っている。
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◆現場では興味津々、カメラやマイクを手に…
小さい頃からモノづくりが大好きだったというつみきさんにとって撮影現場は興味津々。現場の空気は大好きでワクワクしていたという。
「音声さんのところに行ってマイクを持たせてもらったり、撮影現場の取材に来た雑誌のカメラマンさんのカメラを借りてフィルム何本も撮ってしまったり、そういうことばかりやっていました。多大なご迷惑をおかけしたと思いますが、すごく楽しかったです」
−よくカメラを貸してくれましたね−
「そうですね。心の広いカメラマンさんなのだと勝手に解釈していましたが(笑)。
カメラの方は、私が撮った写真のなかで使える写真があったら使おうと思って許したと言っていました。
私は全く現場のことを知らず、そんな風にお仕事の邪魔をしてしまっていることに気付かずにいたので、吉川さんがよく注意してくださいました。
隣で話をしてくださったり、聞いてくださったりして、至近距離から写真を撮れる位置にいたので、カメラマンの方よりアップが撮れたんです。
私の写真を見て『あぁ、これ惜しいな。もうちょっとピントが合っていたら使えたのに』なんて言われたりして、私も『悔しいな』なんて思いながら、撮った写真を記念にいただいたりしていました。
その後、カメラを事務所の社長にプレゼントしてもらって、撮影を楽しみました。
仕事で、カメラの宣伝をすることがあったとき、『つみきさんもいっぱい撮ってきて』と言われたことがありました。撮り慣れていたおかげで良い写真が撮れて、使われたこともありました」
−女優をずっと続けようというお気持ちはありました?−
「『女優だけやらせてください』と社長やマネジャーさんにはいつも伝えていました」
−でも、歌手活動やバラエティー番組にも出演されていましたね−
「自分では女優だけでと思っていたんですけど、歌もバラエティーもという時期がありました。ほかの方たちみたいに器用にやることができなくて、『ダメだなあ』って落ち込んで、次の仕事で駄目だったらやめようぐらいに思った時期がありました」
−それはいつ頃だったのですか−
「実は、それが『櫻の園』(1990年)だったんです。試写を見て、落ち込みました。
自分ではあの頃、『本当にもうダメだ』と思っていて、『芸能界を辞めて一般社会に行こう』みたいなことを考えていました。けれど、世の中何がどうなるのかわからないものですね。『櫻の園』が大評判になりました(笑)。
『櫻の園』のオーディションでは、私は中島ひろ子さんが演じた部長役がやりたかったのですが、杉山紀子役になりました。タバコを吸ったことがなかったので、一生懸命タバコを吸う演技の練習をしたりしていました」
−ちょっと不良でクールなカッコいい印象的な役でした。つみきさんと中島さんが演じた役は徒党を組んで群れるタイプではないので、一人にさせられていたと聞きました−
「そうですね。孤立している感じの役だったので、自分でもそうしていました。一昨年、10数年ぶりに(中島)ひろ子さんと会ったんですけど、ひろ子さんもそう言っていましたね」
−『櫻の園』では毎日映画コンクール女優助演賞も受賞されました−
「そうですね。自分で思っていることと客観的に監督が見たりお客さんが見たりして感じ取ることって全然違うのだということを実感しました。
その後はもう必死でした。急に映画の仕事が増えて。台本を理解するのに私はすごく時間がかかるんです。
だから、あの後はもう本当に何も考えずに目の前のことをやっていくのに必死でした」
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◆逆プロポーズで結婚、そして離婚
10代ですでにブレークしたつみきさんだが、自分自身で「昭和の残りカス」と自虐的な冗談を言うぐらい、昭和を満喫して生きてきた不器用な人間だという。
「今の若い方たちは本当に器用だなって思います。見た目もすごいし、お芝居もうまくて。
先日亡くなられた八千草薫さんとご一緒させていただいたことが忘れられなくて。
八千草さんと岩城滉一さんと二谷英明さんと私の4人のシーンで、八千草さんのセリフが8ページにも及ぶ膨大な量でした。
その長セリフに時々誰かが一言二言挟むのですが、そこで間違えたら、最初からやり直しになる! それがプレッシャーで、手に汗握ったことを覚えています。
本当に全てが緊張の連続で、体がもうガチガチになっちゃって、10代でカイロプラクティックに行っていました。首に石が入ったみたいになっちゃって」
−ストレスもすごかったでしょうね−
「ストレスを発散させるために、いっぱい遊びました。ディスコが大好きでした。
姉妹と割と仲が良いので、姉妹で運動代わりにディスコに行ったり、ジャズダンスとかもやったことが、発散や補給になりました」
−お顔も知られていたと思いますが、自由に遊びに行けました?−
「そうですね。当時はそういう窮屈さもあったのは確かです。その後、免許を取って車を買ったので、車で遠出するようになりました。車だと人に見られませんから」
−今の時代と違って、少しは自由に行動できたのでしょうね−
「今だと誰がどこで何をしているのか、SNSで投稿されたりして、すぐ伝わっちゃいますものね。今に比べるとちょっとは自由を味わえる時代ではありました」
映画、テレビ、舞台に多数出演し、多忙な日々を送っていたつみきさんだが、1996年、25歳のときに舞台俳優だった方と結婚。そして生放送番組『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」のコーナーで結婚を発表する。驚くことに結婚はつみきさんの逆プロポーズだったという。
「初対面のときからすごく話が合って、意気投合して、いろんなお話をして『一緒に居られたらいいな。結婚したいな』と思っていました。それで、私の方から彼のご両親に『息子さんをください』って言いました。
そのことを公表したのが、『笑っていいとも!』の『テレフォンショッキング』でした(笑)。
そのときは何気なく言ったことだったんですけど、『公共の場で調子に乗っちゃってすみません』という感じでした(笑)。
自分ではちょっと笑えるつもりで言ったんですけど、その反響に『えっ?そんなに珍しいことなの?』とビックリしました。『息子さんを下さい』というのはインパクトがあるのかと思いました」
−本人に言うのはあるかもしれませんが、相手の方のご両親にというのはあまりないかもしれませんね−
「実は、去年離婚しました。
すごく好きで結婚して、2人の子供にも恵まれ、10年ほど女優業を休業して、家事や子育てを一生懸命やっていました。生活していくうちに、子育てに関する考え方の違いだとか、いろんなことがあって…。
この数年、夫の仕事の関係で、石川県で暮らしていたのですが、娘が20歳になって独立したのを機に、私だけ東京で一人暮らしを始めました。そして昨年、離婚することに」
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ショートカットとまっすぐなまなざしに10代の頃の姿がオーバーラップする。今は精力的に女優業に取り組んでいるつみきさん。次回後編では26年ぶりとなった主演映画『話す犬を、放す』、公開中の映画『明日、キミのいない世界で』と映画『花と雨』の撮影裏話も紹介。(津島令子)