千鳥・大悟

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 彼らをテレビで見ない日はない。千鳥のことだ。地上波だけではなく、ネットテレビにも番組を持つ彼らは、直球のバラエティー番組でMCを務めつつ、子ども番組にもレギュラー出演している。さらにMCだけでなくゲストとして出演する姿も多く見る。そんな千鳥の魅力を支えているものは何なのだろうか。今回は大悟(39)に注目してみたい。

【写真】コンビ仲のよさが伝わってくる厳選カット

 大悟には昔気質の“破滅型”の芸人というイメージがある。たとえば、ロケ中に喫煙所を見つけると、走って灰皿に抱きつきタバコを吸う。お酒が好きで、むくんだ顔で番組の収録現場に現れる。趣味はボートレース。’16年と'17年には不倫スキャンダルもあった。

先輩・後輩から慕われる人柄

 大悟の姿には、彼が親しくしている志村けん(69)の姿が重なる。志村は本当に大悟を可愛がっているようで、たとえば2人で歩いているときに、前を歩く志村がふと「振り向いてお前がいるとうれしいんだよな」と大悟につぶやいたりするらしい(テレビ朝日系『テレビ千鳥』2019年8月12日)。

 先輩から可愛がられているだけではなく、後輩思いでもある。後輩の芸人がコンテストで賞を獲ったりすると、大悟はまだ自身が売れていないときでも「お前ら運ええな。今日たまたま金入ってん。寿司行くぞ」と言って、カウンターの寿司屋に連れて行っていたらしい。後輩の南海キャンディーズ・山里は、こう振り返る。

「そのお金、全部借金なんですよ。(中略)だから僕ら後輩は、初めての賞金で大悟さんに、メシおごるっていうのが目標だったんです」(テレビ朝日系『ロンドンハーツ』2019年10月29日)

 そして、相方・ノブとの仲のよさも印象的だ。料理をほとんどしたことがないという大悟が、イメージだけで料理を作りノブに振る舞うという企画が行われたときのこと。ノブが「これめっちゃうまい!」と感想を述べると、大悟はノブにしか見せないような笑みを浮かべてはにかんでいた(テレビ朝日系『テレビ千鳥』2019年5月20日)。

 もし千鳥を解散するなら? そう問われた大悟は、こう答えている。

「もともとツレなんで。ツレというか友だちから入ってるんで。その状態が続く限りはたぶん(解散は)ないと思う」(フジテレビ系『TOKIOカケル』2019年9月25日)。

 先輩からも後輩からも慕われ、友情に厚い。そんな大悟は、要は“いいヤツ”だ。

冷静な観察眼

 もう一方で、“破滅型”の芸人にも思える大悟には、冷静な観察者という面も感じる。

 たとえば大悟は、高岡早紀を「2杯酒飲んだ女の雰囲気をずっと出してる」(テレビ朝日系『イッテンモノ』2017年11月9日)、野性爆弾・ロッシーを「焼酎を1本空けた感じの人間でずっとおる」と、それぞれ端的に評したことがある(朝日放送『相席食堂』2018年12月2日)。

 また、アンタッチャブル・山崎弘也についてはそのスゴさを認めつつ、「何がスゴいかようわからん。『クレヨンしんちゃん』みたいなもん。尻こそださんけど、ずっと尻出して笑かしよるみたいな」(テレビ朝日系『金曜★ロンドンハーツ』2018年6月15日)と語った。

 いずれも、特徴を的確にとらえた表現だろう。『相席食堂』(朝日放送)を見ても、出演者がカメラにふと向ける視線の動きや、ちょっとしたビジュアルの違和感など、見逃しがちな細かなポイントにツッコむことが多いのは、ノブよりも大悟のほうだ。

 また、自身が携わるお笑いについて次のように語る(テレビ朝日系『テレビ千鳥』2019年8月12日)。1980年生まれの大悟は、思春期にダウンタウンの笑いを全身に浴びて育ってきた。しかしそれは、「お笑いの教科書でいうと10ページ目から始めちゃってる」ことを意味するのではないか、そして同世代の芸人たちの多くもそうなのではないか。

「ダウンタウンさんに憧れて芸人の世界入ってるから、実は20年、お笑いの1ページ目をやらずに育ってきたわけ」

 それに気づいたきっかけが、ほかでもない志村けんとの出会いだ。芸人になって20数年。大悟は志村のコント番組にレギュラー出演しながら、自分や周囲の芸人たちが読み飛ばしてきた「お笑いの教科書の1ページ目」を学んでいるのだという。自分のお笑い観もまた大悟は冷静に観察し、更新しているのだ。

「悲哀」と「可笑しみ」

 大悟には昔気質の芸人というイメージがある。だが他方で、冷静な観察者でもある。共演者を、お笑いを、そして自分自身をもじっと観察しているのだ。そう考えると確かに、ロケ中に灰皿に飛びつく大悟は、昔気質の芸人のパロディーのようにも感じる。そこには一歩ひいた視線がある。イメージだけで料理が作れてしまうのも、その観察眼ゆえかもしれない。

 東京のテレビで活躍するようになった大悟は、瀬戸内海の小さな島で生まれた。採石を地場産業とするその島は、雇う側と雇われる側の差が子どもながらによくわかるとこだったという。そこで大悟は、雇われる側の家で育った。そんな幼少期の思い出を、大悟はしばしば悲哀と可笑しみが絡み合ったエピソードとして語る。

 大悟はずっと昔から、日本の周縁の、さらにその周縁から社会をじっと観察し、笑いに変えてきたのだ。

文・飲用てれび(@inyou_te)