安田依央さん 撮影/坂本利幸

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 大企業を定年退職し、妻を亡くして郊外の一軒家で ひとり暮らしをする武田清は、ある日、手作り弁当の宅配を頼む。そのサービスを提供するのは、介護施設「ゆたかな心」。介護業界の風雲児・高坂万平の経営する注目の「オーダーメード介護」施設だ。

【写真】笑顔でインタビューに答える安田さん

人としての尊厳を失っていく

 物語のキーマン、武田清はエリート意識が高い72歳。身体も思考力もまだまだ健在。老後の蓄えも1億5000万円ほどと、ひとり身ながら恵まれたリタイア生活を送っている。

 介護とは無縁の暮らしを送る彼が、ある介護施設に関わり、入居したことで、判断力、体力、そして財産を奪われていく。

 それも、奪われているとは気づかないうちに、施設側の巧妙な手口によって、徐々に人としての尊厳を失っていくのだ。タイトルどおり「人を喰う」介護施設が舞台。ひと言でいえば「恐ろしい」話である。

 著者の安田依央さんは、1年の連載を終え、改稿を重ねた6か月を振り返って、
「連載時はもちろん、連載では描き切れていなかった部分をより鮮明に、より深く掘り下げる作業は、本当に(精神的に)キツかったです」と振り返る。

 物語には、介護される人、介護する人、その家族、そして介護業界の中心で闇を支配する人など、さまざまな立場の人々が登場する。

 そのひとりひとりが、私たちの身近にもいそうな存在で、物語のパズル全員が興味深い。現代人が避けては通れない「介護」の闇を彼らの視点で描いて見事だ。

ノンフィクションをフィクションに

「実は小説のベースになっているのは実話なんです」インタビュー冒頭での言葉に、その場にいた私たちは言葉を失った。司法書士としても仕事をしている安田さんが、実際に経験した依頼人と介護施設との関係をモチーフに物語は作られたという。

「もちろん、登場人物や施設などは小説として面白いように変えていますが、介護施設に入居したことで、財産や生きる力、すべてを奪われたというベースの話はあります。この物語を読んで、“ありそうな話だなぁ”と思っていただけたら、ありがたい。多くの方々に、『これは実際にあった話をモチーフにしている』と伝えることも私の使命です」

 安田さんは当時、問題に気づきながらも、司法書士という立場上、きちんと踏み込むことをしなかった自分の贖罪の意味も込めて、この物語に向かったという。

「被害にあわれた依頼人の姪御さんから、問題を告発したいと相談されて。私も罪の意識から、新聞社などを巡ったのですが、明白に法律に触れていない限りは記事にできないと言われました。私は小説家、それならばフィクションで、私自身が書くしかないと思ったんです」

 安田さんのこの苦い経験が珠玉の一冊を生んだのだった。

もしサイコパスが介護事業者だったら

 物語はエンディングを予想させながら、テンポよく進み、ページをめくる手を止めさせない。介護施設の罠におちていく武田の変化は痛々しく、それに呼応するように輝きを増すのが、主人公のひとり、介護施設のチーフ・新海房子だ。

「房子はいわゆるサイコパス。サイコパスが介護事業者だったら、という視点から、彼女を描きました」

 人の心を読むことがうまく、聞き上手。誰にでも共感するそぶりを見せながら何も感じてはいない。特に人の痛みにはまったくシンパシーを覚えないのが房子だ。

「彼女の目的は誰にもわからない。お金でも、愛情でもなく、ただ人を痛めつけたい、そこが彼女の常人には理解できない怖いところです」

 房子は巧妙に罠を張り巡らし、周りを懐柔しながら、狙った獲物を追いつめていく。前述した介護施設のカリスマ経営者・高坂万平をはじめ、登場人物のほとんどが、彼女のコマとなって動かされてしまう。

 専業主婦を経て、ヘルパーのトップとなる日垣美苗と富永怜子も、そのコマたちだ。

「私は彼女たちとほぼ同世代。彼女たちが若いころには、女性は仕事か結婚かを選ばなければいけませんでした。

 ところが、いまは“女性が輝く時代”と言われ、輝く場を求められる。長く家庭に入っていた女性たちが今、社会のどこで輝けるんですか? という思いを彼女たちに乗せました」

 施設経営者・万平の長年の愛人で、彼のそばに寄り添うように仕事をしていた砂村千草や武田清の姪である菅原汐織など、登場人物は多彩だ。

「新海房子を除く登場人物は全員が悪人でもあるけれど、善人でもある。善意を持った悪人とでもいうのでしょうか。みんな無自覚に悪事を働いているんです。流されているうちに悪事に加担していて、さほど悪いことをしているつもりがない。見て見ぬふりをする人であったり、何も行動しなかったことで、結果、悪事に加担しています」

 確かに安田さんの言うとおりだ。しかし、だからこそ怖いともいえる。そして物語は、最後の節に、終わらない闇を綴っている。それは、読んでからのお楽しみ、としておこう。

《ライターは見た!著者の素顔》
 次回作として考えているのは「ジェンダー」のテーマ。「私自身が、無性、もしくは両性のXジェンダーであることが最近わかって、これまでの生きづらさやどこにも所属できない無力感の意味がわかったんです」。

 これまで意味なく避けていたジェンダー問題も自身が定まったことで、テーマにする覚悟に変わったという。

「とてもハードだったこの本を全うしたからこそ、自分のことがわかりました。いまは、これまでの壁を破って、新たな何かを始めたいという気持ちです」

(取材・文/池野佐知子)

●PROFILE● やすだ・いお。1966年、大阪府生まれ。関西大学法学部政治学科卒業後、バンド活動、役者活動を経て、司法書士に。2010年、『百狐狸斉放』で第23回小説すばる新人賞を受賞(『たぶらかし』に改題して単行本化)。著書に『終活ファッションショー』『人形つかい小梅の事件簿』など。現在は小説家のほか、警備員なども。さまざまな職種でそれぞれの仮面をかぶる日々。