子供に「早く死ねばいいのに」と思う母親の理屈
※本稿は、岡田尊司『死に至る病』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
※本文中の事例は、具体的なケースをヒントに再構成したものであり、特定のケースとは無関係です。
■子どもを愛せず、煩わしく感じてしまう
愛着障害の人が抱えやすい最大の困難は、子育てがうまくいかないというよりも、そもそも子育てに対して意欲や熱意を持てないということである。親から適切な愛情や世話を受けずに育った愛着障害の人にとって、子どもの世話をすることは、喜びよりも苦痛ばかりが大きくなってしまう。そもそも子どもを愛せず、煩わしく感じてしまうことも少なくない。
四十代はじめの女性Nさんは、子どもや夫に対してキレてしまうことを繰り返していた。それは、子どもが不登校になった頃から激しくなっていたが、もともと潔癖なところがあり、子どもがNさんの言う通りにしなかったりすると、イライラして突き放すようなことを言ってしまっていた。
それでも、子どもが勉強を頑張って、成績も良かったうちは、まだ許せていた。ところが、学校を休みがちになり、進学どころの話ではなくなったことで、急にすべてが虚しくなり、子どもに対しても怒りが抑えられなくなったという。
思い返すと、Nさんは、子どもがもともと嫌いだったという。抱きついてきたり、オッパイを吸われたりするのも嫌で、つい拒否してしまったこともあった。子どもは母親の顔色をうかがい、機嫌をとってきたり、隙があれば甘えてこようとしたが、そんなときも、「煩わしいな、この子」としか思えなかった。
■親子の会話は勉強や進学の話ばかり
教育のこととなると、一生懸命になれた。愛し方がわからなくても、勉強をやらせることは、目的がはっきりしているのでやりやすいからだ。娘も母親に認めてもらおうと、勉強を頑張っていたので、成績も良かった。ただ、百点をとるのが当たり前になって、九十五点でも、「何を間違えてんの!」と、できなかったところばかりを厳しく責め立てた。
Nさん自身も、教育に熱心な家庭で育った。母親はどの大学に進むかということにしか関心がなく、親子の会話は、勉強のことか、誰それがどこの大学に行ったとか、親戚の子がしょうもない大学にしか行けなかったといった話ばかりだった。母親からは、Nさん自身がどんなことに興味を持っているかとか、どんな気持ちでいるかといったことを尋ねられたこともなかったし、母親は、人はするべきことをしたらいいという考え方で、気持ちなどは、余計なものくらいにしかみていなかったようだ。
Nさんもいつのまにか、母親と同じように、一流の大学に進むことこそが価値だと思うようになっていた。塾に通い、勉強にも励んだ。その甲斐あって、超一流とはいかなかったが、偏差値もそこそこ高い進学校を経て、中堅クラスの大学に進むことができた。特別にやりたいことがあったわけではないが、名の通った会社に入り、とりあえず無難に就職もできた。
■子に「早く死んでくれたらいい」とさえ思う
結婚など、本当は興味なかったし、男の人に体を触られるのも正直好きでなかった。
それでも、年齢が上がるにつれて、周りが結婚していき、母親からもせっつかれるようになったとき、たまたま交際を申し込んできた今の夫を、結婚相手に選んだ。別に好きだったわけでもないが、学歴が高かったので、まあ、いいかと思ったのだ。
だが、結婚生活は失望と苦痛の連続だった。娘が生まれたが、正直、可愛いとも思えなかった。育児も家事も苦手だった。私ばかり、嫌なことをさせられてという思いが強かった。唯一一生懸命になれたのは、娘の教育だった。娘は物覚えがよく、Nさんの期待に応えてくれていた。
希望といえば、娘が良い高校、良い大学に進んでくれることだったが、娘が学校にさえ行けなくなったことで、その希望さえも崩れ去ってしまったのだ。今では、あんな子は生きていても意味がないので、早く死んでくれたらいいとさえ思ってしまうことがあるという。
■「熱意」を「愛情」だと勘違いする親
ありのままの子どもを愛せない親にみられやすいのは、勉強や習い事、スポーツなどに熱心に取り組ませ、優れた能力や才能を子どもが発揮することばかりを期待することだ。子ども自体をあまり好きではなくても、優れた能力や才能ゆえに、子どもを愛することができるからだ。
オキシトシン系による愛着をベースにした本来の愛情は、その子をありのままに肯定し、安全基地を提供するものであるが、そこがうまく働かないため、子育ての喜びが、何かの目標に向かって頑張り、成果を出すというドーパミン系(報酬系)をベースにした、努力と達成による満足感に置き換えられる。
それは、本来の愛情というよりも、熱意といった方がいいだろう。教育熱というべきものに親もとらわれ、それに熱中することで、子どものために頑張っているような気持ちを味わうのである。その人自身がオキシトシン系の働きが弱く、自然な愛情が抱きにくい場合には、取り組みやすい代替行為となるのである。
ただ、それは無条件にその子を受け止め、共感し、肯定する愛情とは、決定的に異なっている。子どもが努力しても目標を達成できなくなったり、もうその努力自体を放棄してしまうようになったとき、Nさんがそうなったように、わが子を「失敗した存在」としか見ることができず、心の中で見捨ててしまうということになってしまいやすいのだ。
■子どもを愛せないのは自分が愛されなかったから
子どもが可愛くない、子どもを愛せない、煩わしいと感じる母親は、急速に増えている。同じ子どもでも、一人は可愛いが、もう一人は可愛くないという場合もある。溺愛するほど可愛がっていたのに、あるときから手のひらを返したように愛情が薄れ、腹立たしさや怒りの方が強まってしまう場合もある。
何が起きているのだろうか。
子どもが可愛くない、愛せないという場合、背景としてまず多いのは、その人自身が親からありのままの自分を愛されておらず、安定した愛着が育まれていないという場合だ。そういう人がしばしば口にするのは、「自分さえも愛せないのに、子どもなんか愛せる自信がない」ということだ。「自分と同じような不幸な存在を増やそうとは思わない」という言い方をする場合もある。
ある意味、その人自身が子ども時代の課題を引きずっていて、子ども時代を卒業できないでいる。その人は、まだ子どものように自分の方が優先され、愛される必要があるのだ。
そんな状態なのに子どもを持てば、ただでさえ危うい状況を、さらに脅かすことになってしまう。子どもは自分にとってライバルや侵入者となってしまい、無意識の敵意を向けかねない。
そのことを本能的に感じ取っているから、「子どもなんか、ほしくない」「子どもは嫌いだ」と思うのである。それは、正直な発言であり、正しい認識だともいえる。そこを無理して親になってみても、どちらにとっても不幸な状況にならないとも限らない。
ただ、妊娠・出産を経て親になり、子どもの世話をするという体験の中で、その人自身が大きく変わる場合もある。生物学的なメカニズムにより、分娩時や授乳時にオキシトシンが大量に分泌され、愛着が活性化されるためである。
子どもなんかいらないと思っていた人も、可愛いと感じ、子どもの世話にすべてを忘れて打ち込むようになることも珍しくない。実際に子どもを持って、人生が変わったと感じる人も少なくない。
そこには正解はない。その人が自分なりの正解を出すことしかできない。
■配偶者との関係が悪くなり子が邪魔になる
急増する愛着障害の原因の一つに、養育者の交代がある。養育者の交代は、親との死別や別居、離婚、再婚などに伴って起きやすい。
このうち、六〇年代以降、死亡率は低下傾向にあり、親との死別も減っていると考えられる。
一方、増加傾向にあるのが、言うまでもなく離婚である。アメリカの離婚率は、一九六〇年を境に急増し続け、一九八〇年以降は高止まりした状態となっている。一九六〇年代、七〇年代は、離婚が増えた時期でもあった。
あんなに可愛がっていた子が、急に可愛くなくなったり、その子を虐待するようになってしまうという場合、配偶者との関係悪化が影響していることも多い。その子の父親(母親)との関係が悪化したり、他に彼氏(彼女)ができたりすると、その子が邪魔者になったり、重荷になってしまうという状況もある。
離婚も含め、もちろんその子には何の非もない。親側の勝手な都合や事情に過ぎない。子どものことよりも、親自身の人生や自己実現を優先することが是とされる個人主義の時代においては、子どもの立場は流動的なものとなりやすい。
■生まれてからの数時間で愛着が形成される
もう一つ、愛着を脅かす要因として疑われているのが、産科的な要因の関与である。中でも影響が大きいものとして、新生児室での管理が一般化したことである。
近年の研究で、安定した愛着を形成するための臨界期には二つあり、一つは生後六カ月から一年半であることが以前から知られていた。実はもう一つ愛着形成にとって敏感な時期があり、それは、生まれてから数時間なのである。その時間、できるだけ母親のそばに置いて過ごすことができると、その後の愛着が安定しやすいのである。
ところが、新生児は、分娩後、新生児室に移され、そこで過ごすことが一般的になった。産科での分娩が広がり始めたのは一九五〇年代からで、日本では、一九六〇年代に急速に定着した。
そうした対応がとられるようになったのは、新生児の状態を効率的、衛生的に管理するためであり、また、分娩で疲れた母親を休ませるためでもあった。ところが、それが余計なお節介となってしまった可能性があるのだ。
新生児室での管理や、母親と過ごす時間を制限するということを見直している産院もあるが、そうした動きが広がることを期待したい。せめて、生まれてすぐの時間は、母親と新生児が顔を合わせ、短時間でもスキンシップをとれるようにする配慮が必要だろう。
■「人口」のミルクでは補えないもの
人工乳は改良が進み、成分などの面では、母乳と遜色がないまでに改善されてきている。ただ、母乳を吸われると、母親の体内ばかりか、脳内でオキシトシンの分泌が促進される。その点だけは、人工乳の成分をいかに改良しようとも、補いきれない。
しかも、母親の職場進出の影響で、離乳の時期が早まる傾向にあるとされる。
チンパンジーは、人間と同じくらい長い幼児期を持ち、九歳頃に思春期を迎え、大人になるまでに十数年かかる。離乳は三歳から七歳頃、平均で五歳くらいだという。昼間は群れの仲間と過ごすようになっても、離乳までは、夜は母親にくっついて過ごす。
チンパンジーよりさらに進化し、さらに長い子ども時代を持つ人間は、十〜十二歳頃に思春期を迎え、成熟に十八〜二十年を要する。ところが、離乳は二歳頃と異常に早まっているのだ。しかも、母親のお乳は早々と止まってしまい、人工乳で代替しているということも多い。
文化人類学的な研究によると、このような早期の離乳は、西欧社会に特異的な現象であり、元来多くの社会では、もっと遅くまで母乳を与えるのが一般的だった。七歳かそれ以上の年齢まで与える例も知られている。
今日のミルクが、栄養学的には母乳と遜色がないほど改良されているとしても、愛着への影響は免れないだろう。女性が働くために、一番の障害になることの一つが、授乳である。女性の職場進出は、人工乳の開発によって支えられてきたともいえるが、栄養面とは別の部分で、子どもたちにしわ寄せがいかざるを得なかったと思われる。
■愛着障害の子が親になると悪循環が起こる
一九六〇年頃を起点として、アメリカ社会では、女性の就労率の増加、離婚の増加が、虐待の増加と並行する形で生じていた。それを支えるために人工乳が普及し、離乳が早められた。また、近代的な設備の整った産院での出産が一般化し、新生児室が普及したのも、その時期であった。
これらはいずれも、愛着障害や不安定な愛着のリスクを増大させると考えられる。そして、一九六〇年代以降、最初は徐々に、その後勢いを増して、愛着障害や不安定な愛着との関連が強い疾患や障害が広まっていくのである。
そこには、愛着障害の世代間伝播と再生産の仕組みが関わっているだろう。
何らかの事情で、不安定な愛着しか育まれなかったとき、適切な手当てや支援を受けなければ、その人が親になったとき、適切な養育ができず、その子どもが愛着障害を抱えやすくなる。
そうした場合、問題は緩和されるというよりも、世代を経るごとに深刻化していきやすい。
第一世代では、親は安定した愛着を持っていて、ただ忙しくて子どもに関われなかっただけかもしれない。しかし、第二世代になると、もともと不安定な愛着を抱えていて、子育てに困難を抱えやすいうえに、社会進出がいっそう進む中で、職場から求められる負担も大きい。そうした中で、虐待も起きやすくなるだろう。その子どもは、より深刻な愛着障害を抱えやすくなる。その第三世代の子が、親になって、さらに子どもを育てるのである。パートナーも愛着障害を抱えやすく、夫婦の関係も不安定になりがちだ。困難は増さざるを得ない。
社会的なサポートによって、母親を守る手立てを講じない限り、この悪循環は止められない。
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岡田 尊司(おかだ・たかし)
精神科医
1960年、香川県生まれ。京都大学医学部卒。岡田クリニック院長、日本心理教育センター顧問。『あなたの中の異常心理』(幻冬舎新書)、『母という病』(ポプラ社)など著書多数。小笠原慧のペンネームで小説家としても活動し、『あなたの人生、逆転させます』(新潮社)などの作品がある。
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(精神科医 岡田 尊司)