笑福亭の十八番と言われる落語の1つである「三十石」を演じる笑福亭松喬(写真:笑福亭松喬師匠提供)

一般社会で他人を「泥棒」呼ばわりすれば、喧嘩になるだろう。ネットに書き込めば名誉棄損に問われかねない。しかし、芸能界では「泥棒」は、時と場合によっては「褒め言葉」になる。

明治時代の二代目松林伯圓(しょうりん はくえん)という講釈師は、「白浪物(泥棒が主役の狂言)」を続きもので読んで「泥棒伯圓」と呼ばれ大人気になった。

現代にも「泥棒」の異名をとる落語家がいるのをご存じだろうか?

七代目笑福亭松喬(しょうふくてい しょきょう)という上方の師匠だ。2017年までは「三喬」を名乗っていたので「泥棒三喬」と呼ばれた。手が早かったわけではもちろんない。泥棒が主人公の噺を得意としているからだ。

泥棒は描くが、悪人は描かない

「『泥棒三喬』と呼ばれるようになったきっかけは?」と聞くと、目の奥がちょっと笑った。

「やっぱりこの、角刈りの風体がそう見えるというのが大きいですね。(口の周りに)丸描いたらカールおじさんに見えるとか言って笑いをとります」


高座での松喬(写真:笑福亭松喬師匠提供)

芸能人は刑務所の慰問によく行く。松喬も加古川刑務所に28年連続で行っているが、他の噺家とは少し公演の趣旨が違っているのだと言う。

「ほかの芸人さんは“慰問”、入所者のお楽しみなんですが、僕だけはなぜか“教育”の部門から呼んでいただきまして。更生した先輩みたいに思われているのかもしれませんが(笑)。

新人の歌手なんかが『社会復帰してくださいね』ってこわごわ言ったって受刑者には全然通じてないんですが、僕が言うと通じるんですよね(笑)。

落語もするんですが、最後に『普通は落語家って、最後は“ありがとうございました”って言って帰るけど、今日は言いまへんで』といいます。『私はあなた方にお金もらってないです』から、と。

『だからちょっとでもありがたいと思った方は社会復帰して、きれいにお金稼いで、天満天神繁昌亭(大阪市にある上方落語協会の定席)がありますから、そこへ来てください』と。

『で、そのときに楽屋って本当は手ぶらではあんまり行けないところだけど、あんたらはお金ないのわかってるから、手ぶらで来てもらって。加古川刑務所にいましたとは言いにくいやろうから、合言葉は“加古川リバーサイドホテルに3年行きました。5年行きました”と。来てくれたら、初めてそこで“ありがとうございました”って言います。皆さんがそう言うてくれたら、僕もここでやった甲斐があるので、頼んまっせ、来てくださいよ』って必ず言ってお別れします。で、28年間で1人だけ来てくれましたね」

シャープな印象の人にそんなふうに言われたら、受刑者といえども多少はへこむかもしれないが、自称“落語界のプーさん”が、にこやかに言えば、心にしみるのかもしれない。


笑福亭三喬時代の松喬師匠。天満天神繁昌亭にて(写真:笑福亭松喬師匠提供)

「ある方に“松喬さんが高座へ上がって、なんか、親戚のおじさんが座っているみたいに思うのは、あなたの努力でも何でもありません。産み育ててくれた親に感謝しなさい”って言われたことあるんですよ。この風貌と雰囲気は、もう、親がつくってくれたものなんでしょうね」

「花色木綿」「おごろもち盗人」「仏師屋盗人」「月にむら雲(小佐田定男作)」「転宅」、スリの噺だが「一文笛(桂米朝作)」「穴泥」など、落語には泥棒が出る話は多い。松喬はそのほとんどを演じるが、独自の解釈が光る話もある。

例えば「仏師屋盗人」では、盗人を独り立ちできない頼りない若者にして、それを仏師が叱りつけ、仏像の修復を手伝わせる。ストーリーにはないが、この若者は仏師に入門して更生するのではないか、と思わせる。

「言われてみれば、ちょっと“盗人救済落語”になってますよね。僕はポリシー持ってるんです。ほんまに悪い人が泥棒をやると後味悪いだけなので、この人はほんまはこんなことせえへんやろ、というのを大前提にしています。泥棒やけど善良に見えて、どうせこの人最後はつかまるんやろな、と思わせるようにやるのがいいんじゃないでしょうかね」

俺でもできるんちゃう?で「大変難儀な道」に

1983年に、当時若手の実力派だった笑福亭鶴三(かくざ、のちの六代目松喬)に入門。一番弟子だ。上方落語四天王筆頭の六代目笑福亭松鶴の孫弟子にあたる。

私事にわたり恐縮だが、筆者は入門時の松喬と仕事仲間だった時期がある。前座と事務員の関係で、上方落語協会主催の「島之内寄席暫亭」の設営などを一緒にした思い出がある。そのころから、どことなく愛嬌のある若者で、変な冗談を言うとくぐもった声で「くっくっ」と笑ったのが印象的だった。そのころから自分の「笑いの価値観」を持っていると感じた。


笑福亭松喬師匠。2019年5月、東京都内にて(撮影:尾形文繁)

「高校のときに、訳もわからず“噺家の道行きたい”と言って親に大反対されて大学に行きましたが『お前が20歳になったら親は何も言わん』という約束も取りつけました。

それからは師匠につく噺家を品定めしました。

週2回、年間100回くらい寄席や落語界に通って、400から500くらいの落語聞きました。

当時は桂枝雀師匠の大ブームでしたが、そんな中で先代がひょこっと高座に上がって『道具屋』をやってひょこっと降りた。“時間を感じない”というのがいちばんの印象でしたね。それと“これだったらできる”と思ったんですよ。こう言うと“お前なあ”とか言われますが、やっぱりどこかで“できる”と思わなければこの世界入れないと思うんです。

(投手の)ダルビッシュの弟子になっても160キロ投げられないじゃないですか。そこを“いや、俺できるんちゃう?”と思う部分があって入門した。入ってから『大変難儀な道』であったことに気がつきました。人の前で自然に振る舞う、自然にしゃべる、がいかに難しいことか、というのが、思いつまされた35、6年前ですね」


五右衛門の会での松喬(写真:笑福亭松喬師匠提供)

付記しておくが、松喬は、大変な野球好きだ。阪急ブレーブスから始まって、今はオリックス・バファローズの熱狂的なファン。関西地区ではテレビやラジオの実況放送によくゲスト出演している。このインタビューのときも落語と同じくらい野球の話に花が咲いた。

「僕は大学時代、落研に入っていましたから落語ができました。師匠に“やってみなさい”言われて『動物園』をやった。すると“うまくもないなあ、まあ、変な癖もないか”って。

師匠は“落研上がりは変な癖がつく”と嫌っていました。落研で“うまそうに見える口調やしぐさ”を小手先で覚えてしまう。それが修業のうえで邪魔になるんですね。癖があると落語を覚えなおさないといけない。いったんスタートラインからバックせないかんのですね。それがなかったと。“ほな、もう『叩き』はええわ『犬の目』からやろか”と。だから僕は『叩き』はできません」

笑福亭の捨て育ち

「叩き」とは、上方の旅ネタ「東の旅」の冒頭部分のことだ。「ようよう上がりました私は初席一番叟でございます」と、張り扇と小拍子で見台を叩いて派手な音を出す。前座で入門した弟子は「叩き」で、落語の口調を会得するのだ。それを免除されたということは、野球で言えば新人で一軍キャンプからスタートしたようなものか。


上方落語界では「笑福亭の捨て育ち」という言葉がある。笑福亭松鶴の一門は、入門しても師匠は手取り足取り教えない。

弟子は他の一門や先輩などに教えを乞うて、自分で修業をしていく。だから仁鶴、鶴光、鶴瓶など、門下からは、誰とも似ていない、個性的な落語家が生まれた。

しかし先代松喬(当時鶴三)は、きっちりと弟子を仕込んだ。

「最初の3年間のネタ10本は、口移しで教えていただいて。それからは、やりたいネタがあれば師匠のテープで覚えていくということですね。そういう時期があって、あとは他の一門の先輩や師匠方に教えていただいた。

『鴻池の犬』や『抜け雀』は、桂千朝さん(三代目桂米朝門)、『饅頭こわい』は米之助師匠(桂米朝の兄弟弟子)に習いました。落語の世界というのは不思議なもので門下を超えて、いろいろ教えていただけますんでね」


「三十石」について話す松喬師匠(撮影:尾形文繁)

笑福亭の十八番と言われる落語の1つに「三十石」がある。大師匠の六代目松鶴、その弟弟子の松之助(明石家さんまの師匠)、もちろん先代松喬なども得意にしていた。

今回、改めて七代目松喬の「三十石」を聞いて、笑福亭の衣鉢をよく継いでいると感銘を受けた。

「『三十石』は先代に習ったんですけど、船の客の描写が延々と続きますよね。スケッチ落語って上方落語の特徴でもありますが、ストーリーがわき道にそれて見えなくなる。今のお客さまというのは、筋まっすぐ行く話が好きなんですよ。だから『三十石』は、先代には申し訳ないですが、僕ができるだけ整理して、スケッチの部分をかなりカットしました。船中の客がお女中のことで延々と妄想する『のろ気』の部分に重きを置きました。だから聞きやすくなっていると思います」

筆者は、カットされたという印象はそれほどなかった。そういえば、6代目松鶴も、噺の構成をけっこう大胆に変えたものだ。そういう噺そのものを構築していく力も噺家には求められている。師匠の芸を唯々諾々と承るだけでは、いい噺家にはなれないのだ。

「先代松喬は、茫洋としていましたが、スケールが大きかった。僕も野太い落語をしたいですね。大阪見物に来たときには、あべのハルカスも見たい、海遊館も見たい、新しい御堂筋も歩きたいけど、やっぱり大阪城の大石垣も見てもらいたい。あの大きな蛸石も見てもらいたい。みたいな感じですね。

僕らの商売って同業者がほかの芸で売り出しても全然怖くない。タップダンスで大受けしても平気です。やっぱり紋付着て、高座でゆっくり話しだすことが、同業者にはいちばん怖い。 “あいつにあれやられたらかなわんなあ”って思うんですね。野球でいうたら、佐藤義則とか今井雄太郎が出てきただけで、もう今日はあかんかなって。村田兆治が出てきたときは福本豊さんが“今日はケガせんように帰ろう”と思うような感じですよね」

昭和のパ・リーグの野球選手の名前がたくさん出てきたが、若い読者各位には佐藤も今井も村田も「大エース」ということでご理解賜りたい。

14年ぶりに弟子が来た

客席の隅々まで届く朗々たる声、明朗快活な高座。気力体力充実して、まさに今が「旬」という印象だ。関西だけでなく、東京にも多くのファンがいる。柳家喬太郎との「二人会」は大人気だ。

七代目松喬には、喬若、喬介という2人の弟子がいる。2人とも一本立ちしているが、最近になって若者が「弟子にしてくれ」と言いに来た。


笑福亭三喬時代の桂文華師匠との公演にて(写真:笑福亭松喬師匠提供)

「喬介が卒業して14年になって、もう子どもも出ていって夫婦2人でのんびりしてたら、25歳の子が“弟子にしてくれ”って来て。久しぶりに。あー、また若い子取ってしんどいなあって思いました。

僕も師匠に3年間、口移しで教えられて、ぼろくそ怒られて。それで3年目になって、しっかり覚えなければいけないところと、自分で勝手に言ってもいいところがわかるようになってくる。それを聞きわける耳を持つまでに3年かかるということです。

僕は5年目くらいに桂米之助師匠のところに稽古に行きましたが、米之助師匠はお酒が好きで、僕はお酒よう飲まへんのですが、無理にお付き合いした。お酒を飲みながらの稽古がしんどかったのでこっそり録音をしました。これは芸を身に付けるうえでよくなかった。録音していることが安心感になって、師匠の芸がうまく入ってこなかった。

だから弟子には『お前ええか、3年間でこっそり録音とか何かしたら破門やからな、この3年間は絶対聞き、口移しで覚えなさい』と。この間に基本ができるわけです」

落語は伝承芸

「落語は伝承芸です。でも師匠から10割もらっても、自分に合わないところが絶対3割はあります。お米と一緒で糠みたいにいらんところが3割。


弟子についても語った松喬師匠(撮影:尾形文繁)

この3割をいかに磨き取って、自分に合うものにしていくかが芸の修業やと思うんですね。だから、今度来る弟子も、それができるかどうかやなあと思いますね」

実は今、松喬のもとにはもう1人弟子志望者が来ている。弟子にするかどうか、迷っているそうだが一門が増えることは喜ばしい。

師弟で「泥棒落語」を得意ネタにして「上方落語盗賊団」を作っていただければ、と思っている。

(文中敬称略)

■七代目笑福亭松喬
1961年3月4日、兵庫県西宮市生まれ。兵庫県立西宮高等学校、大阪産業大学工学部交通機械工学科卒業。1983年、笑福亭鶴三に入門。笑福亭笑三を名乗る。1987年、師匠が六代目笑福亭松喬を襲名したのに伴い、笑福亭三喬に。

2017年10月、七代目笑福亭松喬を襲名。
2005年「第34回上方お笑い大賞」最優秀技能賞
2005年「第60回文化庁芸術祭」優秀賞
2007年「繁昌亭大賞」

〇出囃子「お兼晒し」 
「昔は『米洗い』でしたが、ベテランの桂文紅師匠と、尼崎の寄席で2人で落語会を続けていたご縁で、文紅師匠がお亡くなりになった後、使わせていただいています。先代松喬の『高砂丹前』は恐れ多くてまだ使っていません」(本人談)

〇持ちネタ 
「らくだ」「三十石」「饅頭こわい」「崇徳院」「欲の熊鷹」「道具屋」「動物園」「犬の目」「花色木綿」「おごろもち盗人」「仏師屋盗人」「てれすこ」「月にむら雲(小佐田定男作)」「転宅」「鴻池の猫」「一文笛(桂米朝作)」「穴泥」「鳥屋坊主」「ぜんざい公社」「首の仕替え」「近日息子」「鴻池の犬」「抜け雀」など
「弟子入りしてから年に3本は話を覚えて、120本くらいはかけましたが、すぐ寄席でできるやつが10本。ちょっとネタ繰ってなんやかんやとかは2、30です。枝雀師匠みたいに常時60本いうわけにいかないですね」(本人談)

〇門下
笑福亭喬若
笑福亭喬介

〇公演予定
【笑福亭松喬独演会】
6月9日(日)14:00開演(13:30開場)
於)兵庫県立文化センター
松喬2席・桂文治(ゲスト)暁あんこ 他
電話)チケットオフィス 0798-68-0255

【六代目松喬・門弟会】
7月30日(火)18:30開演(18時開場)
於)天満天神繁昌亭
松喬・遊喬・生喬・喬楽・右喬・風喬
電話)繁昌亭 06-6352-4874

【京都文博噺の会。松喬独演会】
9月22日(日)14:00開演(13:30開場)
於)京都文化博物館6F和室
松喬3席相勤めます
電話)otonowa 075-252-8255  ※詳細は各主催者にお問い合わせください。