11日放送、BS朝日「スポーツクロス」に、サッカー元日本代表の中澤佑二氏が出演。無名の存在から日本代表にまで上り詰めた30年を振り返った。

小学6年生の時に「友人が始めるから」との理由からサッカーを始めた中澤氏。スタートも遅く、「あまり気持ちが入らないまま」始めたとあって、「すべてにおいて中くらい」だったという。

するとわずか1年後、中澤氏はサッカー部退部を決意する。「先輩がめちゃめちゃ怖ぇ」と、友人が辞めると言い出したのが理由。友人きっかけで始めただけに「じゃあオレも辞める」となったのだ。

しかし、部活を辞めると知った父親に「自分で言ったことは最後までやりとおせ」と殴られ、中澤氏はしぶしぶサッカー部に戻ることに。中澤氏は「サッカー選手でいられるのも、お父さんと友達のおかげ」と振り返る。

部活を続けると決めた中澤氏は、プロ入りを目標に掲げた。だが、高校3年間は全国大会の出場がなく、18歳の時に日本を離れてブラジルに留学する。あの三浦知良と同じように、サッカーの本場での武者修行に出かけたのだ。

「英語もできなかった」だけに、やはり最初は言葉に苦労したという。チームメートには「ろくでもない言葉」「ひわいなこと」しか教えてもらえないからと、寮の前で3〜6歳児にポルトガル語を教えてもらっていたと明かす。

ブラジルでは、プロとして生きていくために大事なことを学んだ。「ハングリーさを常に持ち続けること」だ。中澤氏は「常にハングリーでいなきゃ、やっぱりうまくなれないし、強くなれない」と述べた。

この話に、MCの古田敦也も「最近はあまり聞かない」と反応。現在は情報社会とあり「みんなどうしてもテクニカルなほうにいく」と指摘し、「生き残っているのは精神力の先にある。ここがすっぽり抜けているから小手先だけになっちゃう」と嘆く。

古田が例に挙げたのが、イチローだ。「軽くやっているように見えるけど、泥にまみれながらやっているような感じだった。ボテボテ打って一生懸命走るとか、人より1時間早く来て常に練習している」と、涼しげで華麗なプレーしか注目されないイチローも陰で練習していると指摘する。

ただ、中澤氏はブラジルから戻ってもしばらくはJリーグからスカウトされなかった。そこで助け船を出したのが母校の恩師だ。ヴェルディ川崎ユースとの練習試合を組み、卒業していた中澤氏を高校3年生として試合に出場させたのである。

試合は中澤氏のヘディングゴールが決勝点となり、1-0で勝利。アピールするためにボールを集めるように指示していたという中澤氏は、「後輩が全部助けてくれた」と感謝した。実際、そこでヴェルディのスタッフから接触されて練習生となり、翌年に念願のプロ契約を結ぶことになったのだ。

プロ入りした中澤氏は日本代表にも選出され、数々の栄光を手にした。無名から上り詰めたサッカー人生の成功の秘訣を問われると、中澤氏は「とにかく毎日しっかりとやらなきゃいけないことを全部やる、それを365日続けることが大事」と話す。

プロになると決めた以上、それ以外のことに時間を使わないと決めた中澤氏は、「遊びはプロサッカー選手になってから」と誘惑にも負けず努力を続けた。「24時間を目標とすることにいかに使えるか」を考えてきたからこそ、中澤氏はプロとして成功をつかむことができたと振り返った。