天皇陛下の「自信と誇り」にじむ 最後の会見に、識者が受けた「感銘」
天皇陛下は2018年12月23日に85歳の誕生日を迎えた。これに先立って12月20日に行われた記者会見では、19年4月末の退位を控え「これまで象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」などと、何度も声を震わせながら語った。
J-CASTニュースで「保阪正康の『不可視の視点』 明治維新150年でふり返る近代日本」を連載中のノンフィクション作家・保阪正康さんは、発言には象徴天皇像を確立したことに対する「自信と誇り」が反映されているとみる。
「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていく」
天皇陛下は即位翌年の1990年から誕生日には毎年記者会見を開いてきたが、在位中の会見はこれが最後になる見通し。今回の記者会見では、天皇陛下は約16分間にわたって発言。
「即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続き、その在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います」
と象徴天皇としての役割を総括する一方で、戦争や自然災害について多くの時間を割いた。とりわけ、皇太子時代を含めると11回にわたって訪問したという沖縄については、
「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの、私どもの思いは、これからも変わることはありません」
と声を詰まらせた。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることや、国民や皇后陛下への感謝を述べる際にも、声を震わせながら心情を語った。
「我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にも、このことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」
「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います」
保阪さん「明治、大正、昭和の天皇もこのような機会があれば...」
保阪さんがJ-CASTニュースに寄せたコメントは次のとおり。
平成最後の天皇誕生日の記者会見で、天皇はご自身の心の内を正直に吐露されたように思う。ご自身の青年期に日本が国際社会に復帰し、そして戦後日本が国民の犠牲と努力により、復興を遂げたことに思いを巡らせる。特に沖縄の置かれた状況を語られる段では、声を詰まらせるという場面もあった。声を詰まらせる、あるいは声を震わせる場面は、この他にもまだ幾つかあった。戦地の慰霊に赴いた時、被災地を訪ねて被災者を慰めた時、さらには美智子皇后との歩みと協力にふれた時、天皇のお気持ちはひときわ感動的であった。ご自身が天皇として象徴天皇像を確立されたことに、自信と誇りがあり、私はそのことに感銘を受けた。
天皇のお気持ちをこのように国民に訴えられるのは、生前譲位の良さである。国民に、そして歴史の中に、ご自身の言葉を残すことができるのは、天皇のもっとも望まれていたことでもあろう。明治、大正、昭和の天皇もこのような機会があれば、それぞれの思いを歴史の中に刻んだであろうと思う。
今回の平成の天皇のお気持ちの中で、我が国の平和と繁栄が国民の努力によるとの部分でも、天皇は声を震わせた。戦争の悲惨さを含めて、歴史を、戦後生まれの人々にも正しく伝えていくことの大切さを訴えていることに、そして平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに安堵があることを話されていることに、共鳴する国民も多いのではないだろうか。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)