平成が終わる。大前研一氏は新刊『日本の論点2019〜20』(プレジデント社)で、平成という時代についてこう述べた。「30年前、私は『平成維新』を掲げ、道州制、ゼロベースの憲法改正、移民政策、容積率の緩和などを訴えたが、なにも進まなかった。大前研一ぐらい平成をむなしく過ごした日本人はいない」。なぜ平成は失敗したのか。大前氏の渾身のメッセージをお届けする――。

※本稿は、大前研一『日本の論点2019〜20』(プレジデント社)の巻頭言を再編集したものです。

2018年9月20日、自民党の総裁選挙を終え、万歳する安倍晋三首相(中央右)、石破茂元幹事長(同左)ら。(写真=時事通信フォト)

■達成時期を明示しないコミットメントなんて民間ならクビ

2018年9月に行われた自民党総裁選挙は現職の安倍晋三首相と石破茂氏の一騎打ちとなり、大方の予想通り、安倍首相が三選を決めた。これで最長21年9月まで安倍政権は続く。

第二次安倍政権はデフレ脱却と経済成長を公約に掲げて発足した。「あらゆる政策手段を総動員して、実質GDP2%成長を実現する」と安倍首相は謳ってアベノミクスを打ち出したが、5年8カ月経っても2%成長はほど遠い。

デフレ脱却に至っては、「物価上昇率2%」という目標の達成時期を何度も何度も先送りしてきた挙げ句、日銀の黒田東彦総裁は「今後、延期した場合には市場の失望を招く」という理由で「2019年頃」としていた2%目標の達成時期を日銀のリポートから削除してしまった。

達成時期を明示しないコミットメントなんて、「成り行き任せ」と言っているのと同じだ。普通の企業で事業部長がそんなことを言ったらクビである。

■財政赤字は政治家の怠慢によって生み出される

私に言わせれば、この国は現代史というものにまったく学んでいない。現代史というのは過去30年の世界の動向であり、過去30年の日本の動向である。

その現代史においてもっともシビアなメッセージは何かと言えば、財政赤字は政治家の怠慢によって生み出されるということだ。そして「経済を膨らませて借金を返せばいい」などと歴史的に見てもほとんど実現不能な政策を掲げる政治家が選ばれるのは、国民が怠慢だからである。

ドイツのような国ではそのようなフェイクは通用しない。「論理的にありえない」と蹴飛ばされて即アウトだ。ドイツの財政はきわめて健全で、財政黒字でどうやって分配しようかと議論しているほど。国民が甘っちょろい議論を許さないのだ。

しかし、アメリカでも日本でも、かつてのギリシャや今のイタリアなどでも、国民に甘いことを言う政治家の台頭ばかりが目立つ。国民も政治家の甘ったるい言葉に慣れてしまっているので、真実に近いことを言って厳しい政策を打ち出す政治家よりも、真実から遠いことを言う政治家が選ばれる。

■憲法9条をいじれば財政負担が増す可能性が高い

今回の総裁選では安倍首相は自らが政権を担ってきた5年8カ月を総括すべきだった。都合のいい指標や成果をアピールするだけではなく、自分が口にした公約のどの部分が実現したのか、どの部分が実現していないのか、しっかり総括する。あるいはマスコミもそれを検証して国民にわかりやすく提示するべきなのだ。

大前研一著『日本の論点2019~20』(プレジデント社)

自分の仕事をきちんと総括したうえで、「これとこれがまだ目標未達だから、あと3年でこれをやりたい」という説明をしていれば、消化試合のような総裁選でも論点が整理されて、国民にもわかりやすい議論になったのではないかと思う。

安倍首相が論戦の主題にしたのはやはり憲法改正だった。憲法改正も日本にとって重要な論点ではあるが、今の日本が抱えている最大の問題は破綻してギリシャ化しかねない国家財政である。

憲法に健全財政を義務付ける条項を加えるというならば、憲法改正を主題にする意義もある。日本国憲法では健全財政は明文化されていないが、ドイツやスイスの憲法には国に均衡財政を義務付ける条項がある。ニュージーランドの憲法には財政目標を2年連続で達成できずに放置した中央銀行総裁はクビにするという規定まである。

しかし安倍首相がやろうとしている憲法改正はそういうものではない。むしろ逆で、憲法9条をいじれば財政負担が増す可能性が高いのだ。

■日本人が自らの手でゼロから自主憲法を創り上げるべき

憲法論議については、もっとゆっくり時間をかけてやればいいと思う。これは筋論で言っているわけではない。

私は現行憲法を改正するのではなく、ゼロベースで自主憲法を創り上げるべきだという「創憲派」である。単に現行憲法の条文を訂正して書き換えたような自民党の憲法改正案や、現行憲法に環境権などの項目を付け足した公明党の「加憲」では、現行憲法が抱えている根本的な欠陥は解消されない。したがって、日本人が自らの手でゼロから自主憲法を創り上げるべきだ。というのが、私が言う「創憲」だ。

私自身30年以上前に憲法草案を書いてみたが、憲法の体系を決めて、チャプターごとに過不足なく条文を編み込んでいく作業というのは生半可なことではできない。本気で自主憲法を創るとなったら、国会で議論を重ねて、ときには国民投票にかけながら、一つひとつ条文を決めていかなければならない。この作業は最低でも10年はかかるだろう。

■国民の景気実感と政府の発表は、なぜズレるのか

そもそも国民が憲法改正を火急の論点としてとらえているかといえば、決してそうではない。内閣府が定期的に行っている「国民生活に関する世論調査」の直近の調査で、「今後、日本政府はどのようなことに力を入れるべきだと思うか」という質問に対する回答(複数回答)の最上位は「医療・年金等の社会保障の整備」(64.6%)。以下、「高齢社会対策」(52.4%)、「景気対策」(50.6%)がベストスリー。「憲法改正」という回答はまったく上位に入ってこない。

NHKやマスコミ各社の世論調査でも傾向は同じだ。国民の意識の中では憲法改正という論点の優先順位は依然として高くない。「政治に望むものは何か」という世論調査で必ず上位に上がってくるのが「社会保障」と「景気対策」である。

「5年前より今のほうが悪いという人はよほど運がなかったか、経営能力に難があるか、何かですよ。ほとんどの(経済統計の)数字は上がってますから」という麻生太郎財務大臣の発言が物議を醸した。確かに株価を見れば5年前より上がっているが、景気回復を実感している国民は少ない。だから、相変わらず政府に「景気対策」を望む声が高いのだ。

国民の景気に対する感覚と、「(18年12月で)戦後最長の景気回復の予想」という主催者発表のズレはかなりシリアスな問題である。なぜこのようなズレが生じるのか。大きな理由の一つは給料の手取りが増えていないからだ。

■この20年で欧米の給料は平均で2倍になっている

この20年で欧米の給料は平均で2倍になっているのに、唯一、日本の給料だけはほぼフラットだ。G7の主要7カ国で比較しても、日本だけが2000年の賃金水準を下回っている。

給料がまったく上がらないのだから、景気を実感できるわけがない。暴動が起きてもおかしくないくらいだが、日本人は騒がない。理由はデフレだ。モノが安くなっているから何とか生活できる。路頭に迷う人も少ない。

にもかかわらず、政府は「デフレ脱却」と言い続けている。デフレを直したら二つの爆発が起きる。一つは国民生活で、給料を上げない限り生活は苦しくなる。

もう一つは日銀が異次元の金融緩和で市場から買い入れてフォアグラ状態になっている日本国債である。日銀が物価上昇率2%の目標を達成した場合、当然、金利も上がる。そうなると利払いが利息を上回る「逆ザヤ」が生じて、日銀が腹一杯に溜め込んだ国債が一気に内部爆発を起こし、国債暴落のトリガーを引く。

■給料が上がらない一方で、税金や年金の負担は年々重く

景気が回復して金利が上がっても同じことが起きる。つまり、政府が掲げる景気回復やデフレ脱却を本当に達成した場合、そうしたことが起こりうる危険な状況に日本経済は置かれているのだ。

総裁選では経済政策も大きな争点になったが、日本経済が抱えている現状のリスクについては両者ともまったく触れていなかった。

給料が上がらない一方で、税金や年金の負担は年々重くなっている。このために国民のマインドは将来不安からシュリンクして「低欲望」になる。景気が低迷しているのに、10年前は約1400兆円だった日本人の個人金融資産は今や1800兆円を超えている。蓄えが増えているのは将来不安の何よりの証だ。だから「医療・年金などの社会保障に力を入れてほしい」という政府への要望も強くなる。

■少子高齢化なのだから、現行の年金制度がもつわけがない

医療保険について言えば、日本の皆保険制度は世界一だ。イギリスにもNHS(ナショナル・ヘルス・サービス)という国営医療制度があって、ほとんどの治療を誰でも無償で受けられる。しかし財政難と人手不足で崩壊しかけていた医療現場をブレグジット(EU離脱)が直撃したために、医師不足、医療従事者不足が一気に進んで完全にクライシスに陥っている。診療に何カ月も待たされて、緊急搬送された患者さえ治療を受けられない状況なのだ。

日本の医療制度がまだ機能しているのはそれだけ金をかけているから。しかし、当然、国家財政の重荷になっている。2025年には団塊世代が全員75歳以上の超高齢社会に突入する。医療費や介護費用は膨れ上がるし、現場の人手不足はいよいよ深刻なことになるだろう。イギリスのような医療崩壊を回避するためには、医療制度改革も待ったなしの論点といえる。

現行の年金制度もほとんど限界に達している。年金制度がスタートした1960年代当時は1人の高齢者を11人の現役世代(20〜64歳)が支えていたが、今や1人の高齢者を2人の労働者が支えている状態だ。今後ますます年金受給者が増えて、労働人口が減っていくのだから、現行の年金制度がもつわけがない。

少子高齢化で原資が増えない以上、国の年金債務はどんどん膨れ上がっていく仕掛けになっている。現行の年金制度を維持するなら、支給額の減額や受給年齢の引き上げなどで財源の範囲内でやりくりするしかない。総裁選では安倍首相が年金の受給開始年齢について70歳を超える選択もできるように制度改革して、「3年で断行したい」と公言していたが、その程度の改革では焼け石に水だ。

■今の世代が為すべきことを打ち出せる政治家がいない

アメリカではレーガン政権のときに、年金債務から逃れるために自己責任で年金を運用させる401k(確定拠出年金)という仕掛けをつくった。日本はこの儀式をまだ済ませていないが、どこかで年金債務をギブアップすることも選択肢の一つになってくるだろう。

銀行関係者から聞いた話だが、年金の受取口座を別につくって、年金をもらい始めてから一度もその口座に手を付けていない人が結構多いそうだ。年金の3割を貯金に回している人もいるくらいだからカットする余地もあるのだが、日本ではそうした議論はタブー視される。

しかし、「贅肉」にメスを入れないことには、日本の財政はまともにはならない。繰り返して言うが、先細りしていく将来世代にツケを回して今日の繁栄を享受するのは、現役世代の犯罪である。それをやめさせるのが政治の役割なのに、政治家は揃って口を閉ざしている。今の世代が為すべきことを政策として打ち出せる政治家が日本には一人としていない。

■大前研一ぐらい平成をむなしく過ごした日本人はいない

「平成」が幕を閉じようとしている。

私が「平成維新」を旗印に掲げて日本の改革を世に訴えたのは平成がスタートしてまもなくのことだった。理念と政策をまとめた『平成維新』という本を出版したのは平成元年(1989年)。本当は昭和のうちに書き上げていたが、「○○維新」とタイトルを空欄にしておいて、新しい年号が決まるのを待って出版した。

道州制、ゼロベースの憲法改正、移民政策、容積率の緩和など、私の政策提言のすべてはこの本から始まっている。2005年には日本人の平均年齢が50歳を超える。2005年までに改革を断行しなければ、この国は変われない国になってしまう。平成維新の必要性をそう訴えた。

あれから30年が経過した。2005年はとうに過ぎ去り、平成が終わろうとしているのに、私が平成維新から唱え続けてきた政策提言はほとんど何も実現していない。ということは、平成の30年間、私は空論を振り回していただけということになる。大前研一ぐらい平成をむなしく過ごした日本人はいないのではなかろうか。

むなしい空論になってしまった最大の理由は、選挙制度が変わったことだ。

■小選挙区制が導入されて日本の政治はどうなったか

1994年に小選挙区制が導入された。「定数2以上の中選挙区制から定数1の小選挙区制に移行して、政権交代可能な二大政党制を実現しなければならない」と著名なジャーナリストやニュースキャスターが旗振り役になり、小選挙区制に賛成すれば「改革派」で、当初から反対していた私などは「守旧派」に色分けされた。

しかし、小選挙区制が導入されて日本の政治はどうなったか――。風が吹くと一気にブームが巻き起こるために振れ幅が極端に大きくなって、政治が不安定化した。

一番最悪なのは、目先の選挙のことしか眼中になくて「おらが村」に予算を引っ張ってくる小粒な運び屋ばかりになってしまったことだ。天下国家や外交、大局的に日本の論点を語れる政治家がすっかり出てこなくなった。

小選挙区制を続ける限り、政治家に日本の将来を託すような政策立案及び議論は期待できない。小選挙区から出てきた政治家に、自ら選挙地盤を変えてしまう道州制のような統治機構改革ができるわけがない。ゼロベースの憲法論議や発議ができるとも思えない。「大前さんの政策提言はよくわかった。でも日本の政治でそれをどうやって実現するんですか?」

厳しい問い掛けだが、それに答えるなら一歩目は選挙制度の改正しかない。現状の小選挙区制では、日本の論点を政治が正しく抽出して、正しい方向で議論し、正しい決断を下すことはできないだろう。

年号が新しくなる。新しい年号で「維新」を唱える改革の旗手が登場することをまずは期待したい。

(ビジネス・ブレークスルー大学学長 大前 研一 写真=時事通信フォト)