ファンタビ翻訳者・松岡佑子さんが語る「学び」の楽しさ 「私はハーマイオニー」|あの人の学生時代。#31
著名人の方々に大学在学中のエピソードを伺うとともに、現役大学生に熱いエールを贈ってもらおうという本連載。今回は11月23日(金・祝)に公開される映画『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』の翻訳者であり、『ハリー・ポッター』シリーズの翻訳者でもある松岡佑子さんです。『ハリー・ポッター』を日本に紹介した立役者でもある松岡さんは、いったいどんな大学時代を送られたのでしょうか?
INDEX
▶翻訳家になるには? 働き方や役立つ資格について解説
1. だれしも一生、学び続けることができる
2. 無駄にも思えた大学生活の日々が、今の糧に
3. 新作『ファンタスティック・ビースト』にかける想い
4. 『ハリー・ポッター』の世界にほれ込んだ10年間
だれしも一生、学び続けることができる
ーー松岡さんは、国際基督教大学に行かれたそうですが、大学や学部・学科選びの理由は?
国際基督教大学は、学部が「教養学部」しかないんです。教養学部は英語では「リベラル・アーツ」と言って、一般教養のことですね。学科は人文科学と社会科学、自然科学と言語学に分かれていて、私ははじめ言語学科から入ったのですが、途中で人文科学と社会科学の中間の「歴史」を専攻しました。その中でも「近代日本政治思想史」を学んだので、私は思想史を専攻したということになりますが、大学でやる勉強というのは、思想史の端っこを引っかいたくらいのものです。
ーー途中で学科を変えられたのは、言語以外の勉強をしたいと思ったからですか?
ええ、英語は好きでしたし、英語で身を立てようと思っていたこともありましたけど、英語を話せるということは、国際基督教大学では当たり前なんですね(笑)。当たり前のことを勉強してもしょうがないんじゃないかと思って。もちろん、極めれば言語学というのは深いのですが、言語を使って何かをしたいという気持ちが強く、言語を勉強するよりもっと違ったことを深めてみたいと思い、途中で専攻を変えました。
ーーその後、モントレー国際大学院大学に行かれていますが、もう一度大学に、しかも海外の大学に行こうと思った理由はなんですか?
もともと大学を卒業した後は大学院で歴史を勉強しようと思っていたのですが、たまたま出会った夫が哲学専攻だったせいもあって、卒業してすぐに働いて稼ぐ人ではなかったんですね(笑)。ですので「この人と一緒になるなら稼いだほうがよさそうだ」と思い、大学院を諦めて通訳になったんです。
そういった経緯もあって、仕事を始めた後、改めて学問をやってみたいなという気持ちはいつもありました。ハーマイオニーのように勉強が大好きですから、私は(笑)。でも、行くチャンスがなかったんです。
そうしたら50歳近くになって、たまたま友達から「アメリカの大学で日本語の通訳を教えているんだけど、サバティカル(長期休暇)で1年いなくなるから、その間教えに来てくれないか」と言われて教えにいったんです。教えるだけでは物足りなくて、そのときに大学院の資格(修士号)を取ろうと思っていくつかコースを取り、先生になると同時に学生になったんです。
ーーすごいですね! 先生であると同時に生徒でもあるなんて、そんな人他にいなかったのでは?
そうですね、ビックリしたかもしれませんね、みんな。でも、私は年齢よりも若く見えましたし、アメリカの大学にはいろんな学生がいたので、全然違和感がなかったことは確かです。教えている内容は通訳・翻訳で、学んでいる国際政治学とは全然違う内容だったので、両方とも面白かったです。ただ、どうしても断れない通訳の仕事があって、何度か合間をぬって通訳の仕事もしたりと、すごく忙しかったですね。
今の大学生も、焦って大学生の間にすべての学問をしようとか、何かを完成させようとしなくても、「一生学びのとき」だと思って続ければいいと思います。
無駄にも思えた大学生活の日々が、今の糧に
ーー大学時代にいちばん夢中になっていたことはなんですか?
いつも学ぶことに夢中になっていました。それこそ『ハリー・ポッター』でハーマイオニーが図書館からほんの軽い読み物のつもりで借りてきた本がものすごく分厚くて、ロンがびっくりするシーンがあるんですけど、そんなふうに常に本と向き合って勉強することに夢中になっていましたね。
あとは、全寮制の大学でしたから寮に入っていたので、おいしいものがなかなか食べられなくて、ときどき吉祥寺まで出かけてお寿司を食べるのがとても楽しかったのを覚えています。モントレーの大学院に行ったときは、海辺のきれいな街だったので、マウンテンバイクを乗り回していました(笑)。
ーー大学でのいちばんの思い出はなんですか?
いろいろあるんですけど、今ふと思い出したのは(夫だった)松岡幸雄とのことですね。夜にデートするでしょ? すると門限があるんです。たしか夜12時をすぎると入れなくなるんですが、同じ寮にいた下級生に言って、こっそり門を開けてもらって。その下級生というのが2人いるんですけど、ハリー・ポッターの翻訳のときに、その2人がチームになって、手伝ってくれたんです。大学時代によい下級生を得ました(笑)。伴侶がいい伴侶だったかどうかは別として(笑)大学では伴侶も得ましたし、よい友達も得ましたね。
ーーもし今、大学生に戻れるとしたら、やってみたいことはありますか?
やっぱり今でも学びたいですね。今度は言語を学んでみましょうか(笑)。言語というのは文化と一緒になっていますから、奥が深いです。学生生活は繰り返してもいいと思っています。
ーー今からまた、もしかしたら大学に行くかもしれない?
ええ、行かせてくれるかしら? 年齢制限ないかしら(笑)? でも、常に新しいことを知りたい、深めたいという気持ちはずっとあります。
通訳・翻訳の分野では、大学での学問の経験はあまり生きなかったと思いますが、大学時代に一般教養を身につけたこと、友達を得たこと、それから無駄に思える時間を過ごしたことが今役に立っていますね、きっと。
ーー大学時代の無駄が無駄じゃなかったんですね。
ええ、無駄じゃないと思いますね。
新作『ファンタスティック・ビースト』にかける想い
Harry Potter and Fantastic Beasts Publishing Rights ©J.K.R.
ーー続いて、映画『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』についてお聞きしたいと思います。『ファンタスティック・ビースト』シリーズでは、本の翻訳ではなく映画の脚本の翻訳を担当されていますが、映画の脚本の翻訳をされてみての感想は?
訳すときには、自分でいろいろ想像しながら足したり引いたりして訳すんですが、いくら文章(脚本)があっても、これはどういう気持ちで書いているのかということは、実際に映画を見ないと正確にはわからないですね。映像があり、俳優が演じて初めて文章に血が通うからです。J.K.ローリングは脚本にト書きをつけてくれていたので、それでだいぶ助かりましたが、それでも(前作の)映画は翻訳中に3回観ました。
ーー『ファンタスティック・ビースト』の舞台は、『ハリー・ポッター』シリーズより70年前ということで、時代背景に関して気をつけたことはありますか?
その時代独特の言い回しなんかがあると困りますから、一応その時代はどういう時代だったかというお勉強はしましたけど、出てくる言葉はそんなに古めかしい言葉じゃなかったです。ただ、時代背景として清教徒が出てきたりするので、清教徒がどういう背景を持っていたのか、いかに魔法を嫌っていたかというようなことは心得ておかないといけないと思いました。
ーーお気に入りの魔法動物はいますか?
最初の映画(『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』)では、素っ頓狂で金目のものに目がない二フラーを、だれでも好きになるんじゃないですか(笑)? ピケットという名前のボウトラックルも前作でフィーチャーされていて、好きですね。あとは透明になるデミガイズ。あれはほしいなと思います(笑)。
デミガイズの毛皮は透明マントの材料にもなるんですよね。毛皮を剥ごうとは思いませんけど。かわいかったです。
ーー今作で注目のキャラクターは誰ですか?
Harry Potter and Fantastic Beasts Publishing Rights ©J.K.R.
今作ではダンブルドアですね。もともと私は「お嫁さんになるんだったらダンブルドアがいい」と思っていたくらい好きでした(笑)。
ーー(笑)。松岡さんから見た『ハリー・ポッター』シリーズとは違う『ファンタスティック・ビースト』の魅力とは?
私は動物好きなので、魔法動物がかわいいところですね(笑)。それと、私はあまり俳優さんには詳しくないのですが、エディ・レッドメイン(『ファンタスティック・ビースト』の主人公・ニュート役)はずっとファンだったので、彼の存在も魅力です。それからやはり、J.K.ローリングの想像力には舌を巻きますね。これだけの物語を作り上げる彼女の想像力はすごいですし、「この世のもの」と「この世ならざるもの」を組み合わせることが非常に巧みだと思います。
『ハリー・ポッター』の世界にほれ込んだ10年間
ーー『ハリー・ポッター』についてもお聞きしたいのですが、『ハリー・ポッター』シリーズを翻訳するにあたっていちばん苦労した点はどこですか?
大変だったのは長かったことですね。10年にわたって翻訳したので。しかも1巻目を訳したときには7巻目がどうなるか全然わからないので、伏線があってもそれが伏線だと気づくのが難しいんです。でも読み込んでいくと意図が見えてきますね。ジニーがハリーと結婚するんじゃないかっていう予感は1巻からありましたから、私は相当先が読めたほうだと思うんですけど(笑)。
ーーファンタジーならではのボキャブラリーに関しては苦労しなかったんですか?
みんながよく「苦労したでしょ?」って言うんですけど、苦労はなかったんですよ、実は。もちろん「日本語にない言葉を訳すって大変だったでしょう?」と思ってもらったほうがいいんですけど(笑)。確かに大変なはずなんです。でもこの本に関しては、私は思い入れが深かったせいか、はじめからほれ込んでたせいか、ひらめいてしまうんですよね。「これはこうに違いない」と、思いついた言葉がピタッと当てはまったことが多いです。ですから苦労はなかったですし、むしろ新しい言葉を考えるのは楽しかったです。
ーーJ.K.ローリングさんと何度かお会いされたことがあるそうですが、実際にお会いになったときの印象はいかがでしたか?
最初に会ったのは1999年、私が『ハリー・ポッター』の1巻を出した年の5月で、2回目はその年の11月でした。1回目に会ったときは本当に好奇心旺盛な頭のいい人だなぁという印象でしたね。2回目に会ったときにはもうずいぶん有名になっていましたけど、お互いに「しばらくだったね」と挨拶を交わして、そのとき彼女に「私の情熱的な出版人に」というメッセージ付きのサインをもらいました。
ーー来年で『ハリー・ポッターと賢者の石』が日本で発刊されてからちょうど20年になりますが、20周年を目の前にして、改めて今、当時を振り返っていかがですか?
翻訳や出版を通じて、ハリー・ポッターの世界とはずっと近いままだったので、あまり大昔のこととは思わないですし、「もう20年も経ったのか」くらいのものなんですけれど、その頃の写真を見ると「若かったな」と思います(笑)。ハリー・ポッターの世界には、ずーっと長い間楽しませてもらって幸せでした。ただ、あと5年か10年は生きないと『ファンタスティック・ビースト』シリーズ全5作の映画を最後まで翻訳できないので、もうちょっとがんばらないといけませんね(笑)。
最後に、今の大学生に一言メッセージをお願いした際、「エディット・ピアフが『人生でいちばん大事なことは?』と聞かれて『愛して愛して愛して』って言っていたんですが、私は『学んで学んで学んで』ですね(笑)」と言って書いてくださった松岡さん。
さらに「私は別名ハーマイオニー」と、勉強が大好きな自身とハーマイオニーを重ね合わせるお茶目な松岡さんからは、「学ぶことの楽しさ」を感じることができました。
まつおか・ゆうこ●
1943年9月10日福島県生まれ。国際基督教大学卒業。財団法人 海外技術者研修協会の常勤通訳を経て、フリーの同時通訳者に。1992年にモントレー国際大学院大学の客員教授に就任すると同時に、同大学の大学院に入学し、国際政治学の修士号を取得。1997年、夫の死去にともない、出版社である静山社の代表取締役に就任。翌年『ハリー・ポッター』の版権を取得し、1999年から2008年にかけて全7巻の翻訳・出版を手がける。『ハリー・ポッター』シリーズ以外には、『吟遊詩人ビードルの物語』『ハリー・ポッター裏話』(以上、J.K.ローリング著)、『少年冒険家トム』シリーズ(イアン・ベック作)、『ブーツをはいたキティのおはなし』((ビアトリス・ポターの遺作)等の訳書がある。現在はスイスに拠点を移して活躍中。
文:落合由希
写真:島田香
編集:学生の窓口編集部