隅田川と「芦」をめぐる悲劇【本所七不思議めぐり(3)両国編】
ようやく終わりが見えてきた「本所(現在の墨田区周辺)七不思議」巡り。移動にかかる実時間は1時間30分〜2時間弱くらいなのだが、写真と文字の都合上、だいぶ長くなってしまった。隅田川にかかる両国橋を目指しつつ、最後のエピソードまで押さえていきたい。
「亀戸&錦糸町編」「錦糸町編」の2回で、「置いてけ堀」「消えずの行燈(もしくは燈無蕎麦)」「津軽の太鼓」「送り提灯(ひとつ提灯とも)」「狸囃子」「足洗い屋敷」までを巡った。残るはあと2つだ。
落ち葉にまつわるオチのない話
緑町公園で微妙な不思議さのある「津軽の太鼓」を味わったところで、江戸東京博物館方面に進む。次なるスポットは「松浦家の椎の木」だ。このエピソードも「津軽の太鼓」に次ぐ不思議感のなさがポイントなのだが、まずは現地を目指したい。
地図的には「旧安田庭園」「刀剣博物館」が目的地となる。どのようなルートで向かってもいいのだが、江戸東京博物館と区立両国中学・日大第一中学の間にあるわき道を抜けて行くと、博物館近くに建つ徳川家康像を背後から眺められる。指揮者を見ているようなシュールさが味わえます。
徳川家康の背中を眺めつつわき道を通り抜ける(2018年7月記者撮影)
さて、話を「松浦家の椎の木」に戻そう。「落ち葉なき椎」という名でも知られているエピソードで、その内容は旧安田庭園・刀剣博物館がある場所にかつて存在した、新田藩松浦家の上屋敷にまつわるもの。
屋敷内には多くの葉を茂らせた立派な椎の木が生えており、屋敷の外まで枝が伸びていたのだが、なぜか一枚も落ち葉がなかったという話だ。当時の人々は非常に気味悪がって、屋敷に近づかなかったらしいが、これ以上特にオチもなく、「えっ?」という読後感もある。
「津軽の太鼓」に続く大名家の屋敷絡みの話だが、当時の人からすれば、大名屋敷は簡単に中をうかがい知ることができなかったエリア。ちょっとしたことでも、憶測が憶測を呼ぶ不思議スポットだったのかもしれない。
旧安田庭園には立派な銀杏の木が生えていました(2018年7月記者撮影)
ただ、椎の木は常緑樹で、そもそも落ち葉が少ない。1枚も落ち葉がないのは気になるが、掃除の人が頑張っていたのではないだろうか。もっと現実的に考えると、実際には落ち葉は落ちていたが、掃除されて落ちていない状態が印象に残っていたとか。「津軽の太鼓」に続き、当時の不思議の沸点の低さを感じる。
ちなみに、以前は刀剣博物館の前に「松浦家の椎の木」の案内板もあったようだが、2018年7月時点では確認できなかった。
刀剣博物館の前にももちろん椎の木はない(2018年7月記者撮影)
もっとも陰惨なエピソードの舞台が終点
「そもそも椎の木ってどんな木だっけ」などと考えながら、最後に向かうのは両国橋のたもとだ。旧安田庭園・刀剣博物館から南下して両国国技館の前を進んでいく。
がらんとした国技館は独特の雰囲気(2018年7月記者撮影)
最後を飾るのは「片葉の芦」。名前からは前述の椎の木と植物つながりで微妙な印象を受けるかもしれないが、物語は本所七不思議の中でもっとも陰惨だ。
当時の絵草子『七不思議葛飾譚』によると、本所にお駒という娘が住んでおり、お駒に一方的に惚れ込んだ留蔵という男が何度も迫るものの、お駒はスルー。逆ギレした留蔵はある日外出したお駒を殺し、その片手と片足を切って、両国橋近くにあった駒留橋から堀に投げ込んだ。以来、駒留橋周辺に生える芦は、なぜか片方の葉しか生えなかったとされている。
強烈に逆光ですが両国橋です(2018年7月記者撮影)
現象は地味というか、日当たりの問題の可能性も否定できないが、そこに至るまでの内容があまりにも重い。「置いてけ堀」もなかなか怖いのだが、こちらは事件性が高いだけにホラー感が増す。交通量が多い両国橋のたもとに向かうと、なぜか急に騒音が聞こえなくなったような感覚に陥る。
肝心の駒留橋は現存しておらず、両国橋のたもとにひっそりと駒留橋跡と「片葉の芦」の案内板が立っているだけだが、心なしか首元がヒヤッとした。
案内板は意外にわかりにくいのでご注意を(2018年7月記者撮影)
こうして亀戸から始まった本所七不思議巡りも、無事修了した。両国橋から隅田川を眺めて、しばし江戸のロマンや七不思議の微妙な不思議感に思いを馳せたりしてもいいだろう。
現代では、大抵の不思議にはなんらか理由や答えが用意されているが(記者もさんざんここまで突っ込んできたが)、江戸時代はリアルと物語の曖昧な部分がもっと広かったのだろう。多分、妖怪などが住んでいるのも、そんな領域だったはずだ。今や曖昧さを楽しむ時間的余裕もなかなか取れないが、たまには七不思議巡りでもしてみてはどうだろうか。
今では芦も見当たらない(2018年7月記者撮影)