自らの体験を語った野口健

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 2011年の福島第一原子力発電所事故で被ばくした牛たちを、国からの殺処分通達に反して、現在まで生かし守ろうとする畜産農家たちの姿を約5年間にわたり追ったドキュメンタリー映画『被ばく牛と生きる』の初日トークイベントが、28日、都内で行われ、数々の被災支援活動を行う登山家・野口健が、松原保監督、榛葉健プロデューサーと共に登壇。野口は、自身も福島20キロ圏内(警戒区域)に入って経験したことを語り、「現実に何が起こっているか、見て知ってしまうのは、それを背負うこと。20キロ圏内に5年も通い続けた監督は、並み大抵の人ではないです」と松原監督をねぎらった。

 原発事故後、国は原発から半径20km圏内を“警戒区域”に指定し、2011年5月、同域内にいるすべての家畜の殺処分を福島県に指示。立入禁止となり避難を余儀なくされた農家の大半は、殺処分に涙を飲んで応じたが、10数軒の畜産農家はこれに同意せず、膨大な餌代を、賠償金を切り崩したり自己負担しながら、出荷できない被ばく牛を生育し続けている。震災前に約3,500頭いた牛は、牛舎につながれたまま残されて、餓死した牛も約1,400頭に上るという。故郷と仕事を奪われた畜産農家たちが「存在が許されない声なき命を守りたい」と挑む静かな闘いを追う本作。

 震災と原発事故後の福島に、2011年6月に入ったという野口。「本作に牛の死骸を生き残った豚が食べているシーンがありますが、ぼくもあの撮影のすぐ近くいたんです」とあいさつした後「とにかく何が起きているか見なければと思い、警戒区域に入ったんですが、ぼくが現地に行くと、生き残った牛たちが、人恋しさからか集まってきたんです。『お前らよく生き残って』と思って、他の場所をしばらく回ってさっきの場所に戻ったら、防護服を着た人がたくさん集まっていて、数時間後には同じ場所で殺処分が始まった。被災地の現実の重さの大きさと、東京に戻ったときの何も起こらなかったような感覚。その違いに驚きます」と振り返った。

 5年間にわたり、この問題を追いかけた理由を聞かれた松原監督は「被ばくした牛を生かし続ける農家があると聞いて、なぜ商品化にならない牛にそこまで身銭を切るのか、知りたいと思ったんです」と答え、「食の安全を考えれば、国の方針も、殺処分した農家も間違っていない。でも(殺処分に)同意できない彼らには、面倒を見てた牛を殺したり放っぽり出して、別の場所で新しい命(牛)と向き合うことはできないという思いがあるんですね。飼い主自身に殺処分するかどうか決めさせる今の仕組みは、彼らには酷です。殺したとしても、彼らはリスタートできないんですよ。そこは国が強制的にでも殺処分してくれた方が……」と、農家たちへの取材を通して得た監督の実感を明かしていた。

 「一番酷な作業を、農家に負わせてしまったということかも」と、松原監督の言葉にうなずいていた野口は「メディアの知り合いに、なぜもっと20キロ圏内のことを報道しないのかと聞いたことがあって、大手メディアの人間は『行くなら、会社を辞めてからにしろと言われる』というんです。社員の身を危険にさらすのはNGだと。でも、そうやって本当に起きていることが伝えられず、忘れられてしまうことこそ、一番の恐怖です。本作で多くの人が20キロ圏内の実情を知って、起こったことをリアルに感じられるのでは」と、本作の意義を語っていた。(取材/岸田智)

映画『被ばく牛と生きる』は東京・ポレポレ東中野で公開中 その後、福島で11月4日より、大阪で12月16日より公開