「いま振り返る「初代iPhone」発売の熱狂、そしてジョブズが隠しきれなかった多大なる重圧」の写真・リンク付きの記事はこちら

いまから10年前の、ある晴れた日曜日。わたしはスマートフォンで音楽を聴きながら、ニューヨークのフラットアイアン地区にあるブロードウェイを歩いていた。すると突然、音楽が電話でさえぎられ、聞き覚えのある声がイヤホンに飛び込んできた。

「どう思う?」

声の主はスティーブ・ジョブズだった。わたしが1週間ほど試用していた発売前の初代「iPhone」について、意見を求めてきたのだ。わたしは、発売前にiPhoneを受け取ったレヴュワー4人のうちの1人だった。あとでわかったことだが、ジョブズはわたしたち一人ひとりに自ら質問をしていた(その2日前に、ジョブズが挨拶がてら電話してくるかもしれないとは“警告”されていた)。

「やあ、ちょっと電話してみただけだよ!」という感じで電話をかけてきたジョブズは、決して認めなかったことだろう。当時のアップルは、同社史上で最もリスクが高かったであろう新製品の発売を巡って、多大なプレッシャーにさらされていた。

だが、そうしたプレッシャーは、わたしたち4人のレヴュワーにもかかっていた。発売前ではあったが、iPhoneは史上最も話題になる製品になるであろうことは、ほぼ間違いなかった。『New York』誌はカヴァーストーリーで、この製品が「ジーザスフォン(The Jesus Phone:神がかった電話)」だと宣言していた。

決して宣伝記事ではない。まだ吟味されていない、ガラスとアルミでできたこのスマートフォンが、皆の希望と夢の宝庫になるのだと伝えていたのだ。もしレヴュワーの1人がほかの3人とかけ離れた意見を述べ、それが好意的なものであれ否定的なものであれ、どうしようもないほど間違っていることが後でわかったらどうなってしまうだろうか?

史上最大級の明るさといわれた1997年のヘール・ボップ彗星さながらに注目度の高いテック製品のレヴューに、わたしたちは否応なしに関わっていた。iPhoneはすでに社会現象と化していたので、事前レヴューのために選ばれたしがない記者すら注目の的になった。

それから10年。業界そのものをつくり変え、夕食の席で10代の子どもが家族の顔を二度と見なくなることを保証した製品の発売10周年を記念して、当時を振り返ってみるのことには価値がある。というのも、テック業界を取材する側にとって、あれほどまでの瞬間はそれ以来ないからだ。

意図されていた発売前の「潜伏期間」

iPhone発売直前の数日、さらに熱気は高まっていた。これはアップルが製品発表後、発売日に向けて歴史的にも異例な“潜伏期間”に入っていったことが大きい。ジョブズは2007年1月、待望のiPhoneを発表した。だが、すぐにiPhoneの情報は“消えて”いったのだ。

ワールドワイドマーケティング担当シニア・ヴァイスプレジデントのフィル・シラーは、のちにこう語っている。「われわれは『闇の期間に入った』のだと言っていたが、それは意図的なものだった。iPhoneの発表に対する反応は非常に大きく、全般に好意的だった。だからこそ、やり過ぎるとすべて台無しになってしまうとわかっていた。それ以上は何もできないなら、何かするより何もしないほうががよかったんだ」

こうしてiPhoneの新鮮さは蘇り、人々には熱狂の渦が再び戻ってきたのである。実際、発売日が近づくにつれて人々は狂乱状態に陥っていた。だからこそ、製品について初めて判定を下すレヴュワーとしてアップルに選ばれたとき、われわれ4人はジャーナリスト生活で最も読み込まれる記事になることを覚悟していた。なにしろ、われわれのレヴューはiPhone発売の2日前に公開される予定だったのだから。

発売日にアップルストアで起きた「事件」

わたしが当時働いていた『Newsweek』誌のオフィスをアップルの担当者が訪れ、レヴュー用のデヴァイスを設定してくれたのは、2007年6月中旬のことだった。まだ詳細は極秘なので、公の場では慎重に使用するよう注意を受けた。2日後、わたしはピッツバーグに日帰り旅行に出かけた。1泊する計画ではなかったので、ノートパソコンは家に置いたまま、iPhoneだけをもっていった。

途中、激しい雷雨で夜の航空便がすべて欠航になり、わたしはペンシルヴァニア州西部で立ち往生した。だが、わたしにはiPhoneがあった。それから24時間、ポケットサイズのこのコンピューターを使って、基本的な仕事をどんどん片付けることができた。それに、レヴュー記事に使えるネタも手に入った。

われわれのレヴューは6月27日付で公開された。それからは、わたしたちレヴュワーも公の場でiPhoneについて自由に話すことができるようになった。それから2日間、わたしはメディアのインタヴューを受け続けた。

Newsweek誌は当時、テレビやラジオに記者が出演するたびに少額の報酬を支払っていた。そういったシステムが広がり始めていたのだ。わたしはテレビ番組「Charlie Rose」や、各種のトークショーで有名だったグレン・ベック(後でわかったことだが、彼はガジェットオタクだった)が司会を務める番組など、あらゆる番組に出演した。その結果、その週の稼ぎは数千ドルにも膨らんだ。

最も熱狂的な瞬間は、iPhoneの発売日である6月29日(米国時間)、ニューヨーク5番街のアップルストアの前で起こった。店の一画を囲むように行列ができているなかで、FOX Newsの生放送インタヴューに応じていたときだった。カメラが回り始める直前に誰かが背後に忍び寄り、手を伸ばして、ある物をつかんだ。つかんだのはiPhoneではなく、なんとFOX記者のマイクだった。

男は急いでその場を去ったが、音響担当の男性がタックルし、警官が来るまで取り押さえていた。その一部始終が生中継された。視聴者が見ている前で、5番街で騒ぎが起きたのだ。FOXは現場からの中継を中断して、カメラをスタジオに戻した。スタジオでは2人の司会者が、先ほど目にした光景の意味を理解しようと努めていた。2分後、わたし達は再び集まり、インタヴューを再開した。

それから1年。事件当時のFOX記者とばったり会ったとき、彼女は軽い心的外傷後ストレス障害(PTSD)で、未だにiPhoneを買う気になれないという話を聞かされた。

iPhone発売日の午後6時。人々の関心は、実際に購入したユーザーへと移っていた。iPhoneは、もうわたしたち4人のレヴュワーだけのものではなくなった。

それからも、わたしたちは自分の仕事を続け、ほかの3人は精力的に製品レヴューを行っていた。だが、当時『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に勤め、最近は「Recode」で働いていたウォルト・モスバーグは、2017年6月に引退した。「CBS Sunday Morning」で放送された座談会のために集まったとき、わたしたちは4人とも、iPhoneをめぐって生じた状況は前代未聞で、繰り返されることはないとの意見で一致した。

いまの時代に「最も斬新な製品」は、サーヴィスである

振り返れば、1980年代始めの製品レヴューは内容が専門的で、対象はアーリーアダプターである熱狂的なファンやマニアだった。だが、テクノロジーがもっと「主流のもの」になると、製品レヴュー自体が一般的なニュースに登場するようになった。iPhoneの登場は、そうした流れの最高潮だった。あれほど話題になり、少数のレヴュワーが注目を浴びる製品は今後登場しないだろう。

明らかにアップルは、自社が生み出した製品がわたしたちの支持を勝ち取ると確信していた。だが冒頭に紹介したように、ジョブズからの「気軽そうに見せかけた」電話は、たとえ“最強”の製品であったとしても、判定が下されるときには疑念が生じることを示していた。

iPhone以降、「最も斬新な製品」とは機器ではなく、サーヴィスになった。FacebookやTwitter、Snapchatは人々の生活を変えたが、華々しい登場をしたわけではなかった。少数派のユーザーから始まり、取り巻くネットワークが成長したあとで初めて、その本当の可能性を垣間見せたに過ぎなかった。

だから、iPhone発売10周年を称えるにあたっては、テック業界の歴史のなかで重要なこの出来事には注記が付くことを認めよう。このイヴェントはマスマーケット向け製品レヴューの絶頂期でもあった。

iPhone発売から10年が経ったいま、「ジーザスフォン」登場の瞬間にわれわれレヴュワーが書いたレヴューを振り返ってみたい。われわれレヴュワーはそれぞれ、圧倒的に好意的なレヴューを書いた。全員が一様に、大きな話題になっていることに言及し、いささか驚きを覚えつつも、iPhoneがそうした期待に応える製品だと判断した。

わたしが付けた最大の難癖は、アップルがOS上で動くアプリのエコシステムに制約を加えていることだった。「iPhoneをもっと役立つものにする最良の方法は、外部の開発者がもっと多くの利用方法を生み出せるよう促すことだと思う」とわたしは書いた。1年ほどかかったが、アップルはそのアドヴァイスに沿う方針をとった。

われわれレヴュワーは恥をかかずに済んだが、iPhoneがここまでビッグな製品になるとは、われわれの誰も予測できなかった。唯一の慰めは、アップルも同じだということだ。

関連記事:アップル新本社に独占潜入! ジョブズが遺した「宇宙船」──その“狂気”のデザインと魔法の力

RELATED

直前予測:アップルの発表は「新型iPhone」など8つになる?