美智子さま、妻・母・皇后としての素敵な「おことば」の数々に感心する
ご両親に対する「思い」がよく表れていたのは、'04年の70歳のお誕生日で“お生まれになってから印象に残っている出来事”を聞かれた際のご回答です。
《家を離れる日の朝、父は「陛下と東宮様のみ心にそって生きるように」と言い、母は黙って抱きしめてくれました》
美智子さまが皇室に入られる一方で、民間で生き続けるお母さまの複雑な胸中を感じられたのでしょう。娘が嫁ぐ朝に無言の抱擁をするという「娘を思う母心」は心に沁みわたります。
さらに、ご自身が結婚した際のことを振り返っています。
《私の新しい旅立ちを祝福して見送ってくださった大勢の方々の期待を無にし、私もそこに生を得た庶民の歴史に傷を残してはならないという思いもまた、その後の歳月、私の中に、常にあったと思います》
当時、民間人が皇室に入られるのは初めてのこと。プレッシャーを感じながら過ごされてきたのだと思います。
'05年のお誕生日には、嫁がれる日が近づく両陛下の長女・黒田清子さん(48)への思いを「お母さま」の心境で語られています。“嫁がれる日にどのような言葉を贈りたいか”という質問には、
《その日の朝、心に浮かぶことを清子に告げたいと思いますが、私の母がそうであったように、私も何も言えないかもしれません》
ご自分のときのことを思い出され、お母さまの気持ちを実感されたのかもしれません。
両陛下のご結婚50年の記者会見('09年)では、陛下からの愛情を感じたエピソードを披露されています。
嫁がれて1〜2年のころ、赤坂御用地を散策する際に蜘蛛の巣があるので払われていたときのこと。
《葉のついた細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の丈を少し短く切って、渡してくださいました。ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもそのときのことを思い出すと、胸が温かくなります》
続けて、もうひとつのエピソードを紹介されていて、
《春、辛夷(コブシ)の花がとりたくて、木の下でどの枝にしようかと迷っておりましたときに、陛下が一枝を目の高さまで降ろしてくださって、そこに欲しいと思っていたとおりの美しい花がついておりました》
この2つのお話は、陛下の美智子さまに対する愛情が情景としてとてもわかりやすく浮かんできます。
ストレートな言葉ではなく、これらのエピソードを選ばれる美智子さまに、芸術性の高さが感じられますね。
ハンセン病患者に対しても特段のお気遣いをされていて、地方を訪れた際に療養所があると、必ず立ち寄って入所者を励まされています。
《今後入居者の数が徐々に減少へと向かう各地の療養所が、入所者にとり寂しいものとならないよう、関係者とともに見守っていきたいと思います》('01年お誕生日)
'96年にハンセン病患者を隔離する『らい予防法』が廃止されたことで、療養所への強制入所はなくなりました。しかし、すでに入所している方が高齢化して入居者が減少することを危惧されています。
療養所に両陛下が訪れることで療養所が報道され、国民がその存在を知ることで双方が近づき、結果的に「国民統合」につながることを願われているのでしょう。
国際親善上、意義のあった「おことば」
「国際親善」という意味で、とても意義のある行為をされていることがわかる「おことば」があります。
例えば'00年のオランダとスウェーデン訪問に際する会見で“この訪問のためにどのような準備をされているか”という質問に対して、
《訪問のお話が具体化してきたころから、スウェーデンのラーゲルレーフの短編やフィンランドのトペリウスの白樺と星の物語など、若いころに読んだ懐かしい本を再び取り出して読んでおりました》
海外訪問前の会見には外国人記者協会の記者もいるので、訪問先では会見でのご発言が報道されます。
事前に自国にまつわる本を読んで勉強されていることを現地の国民が知れば、日本への好感度が高まります。
'93年のヨーロッパ諸国へのご訪問前の会見では、“この夏は多忙で十分な準備ができなかった”としたうえで、
《子供たちが学校で使った世界史の教科書をもらってありますので、出発までの間に、せめて訪問する国々の歴史の復習だけでも出来ればと思います》
子どもたちの教科書で歴史の復習をしたいとおっしゃったところに美智子さまのひたむきさや勤勉さを感じますね。
'05年のお誕生日で、“戦争記憶の継承”についての質問に対するご回答では、
《経験の継承にということについては、戦争のことに限らず、だれもが自分の経験を身近な人に伝え、また、家族や社会にとって大切と思われる記憶についても、これを次世代に譲り渡していくことが大事だと考えています》
この年の夏には、栃木県那須町にある千振開拓地に訪問されました。
その際に秋篠宮家の長女・眞子さま(25)も同行されたのですが、満州からの引揚者である同地の開拓者から入植体験を聞いたことについて触れられています。
《眞子がやや緊張して耳を傾けていた様子が、今も目に残っています》
さらに、皇太子家の長女・愛子さま(15)の夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めていたときのお話も興味深いですね。原爆を投下された広島県の女子学生について、
《戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが、爆弾投下4日目にして、自分たちの手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり、ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと、胸を打たれました》('15年お誕生日)
これらの「おことば」からも“次世代”に「戦争の記憶」を継承したいという「願い」が感じられます。「妻」「母」「皇后」として、美智子さまの「おことば」には、いろいろな思いがあふれている─。