冬こそヨーロッパがお得! 観光も買い物も食事も失敗知らずなチェコ周遊7日間がおすすめ
ハロー! いつもお世話になっているチェコ観光局さん主催の「ブロガーツアー」に行ってきたコヤナギユウだよ。
「ブロガーツアー」というのはメディアツアーの一種で、平たくいうと取材旅行なのだけれど、これはブロガーばかりを集めた取材旅行なのだ。
じゃあメディアとブロガーの違いはなんなのかっていうと、ブロガーもメディアの1つではあると思うけれど、一番の特徴は「主語」で話せる自分の媒体=ブログを持っていることと、その情報の早さにあるように思うんだ。
自分のブログを持っていることにより、自分という個性や得意分野に特化してファンや読者をもっていることが、ブロガーと組む企業にとっても魅力になるんだよね。じゃあコヤナギは、まぁ多少の個性はあるものの、数字を持っているわけでも即時性があるわけでもないので、どこで「コヤナギに頼んで良かった」って思ってもらえるのか、非常に不安な幕開けでもあったんだ。
記事が誰かの役にも立ちたいし、自分の今後の夢にもつなげたいし、ということで前半に旅程の紹介、後半にエッセイという段構えで書くことにしたよ。
興味があったら、後半も読んでね。
▼観光局お墨付き!? リアルなチェコの横顔をなぞる7日間!
コヤナギが撮った渾身のオロモウツ!
そんなわけで、ブロガーツアーで巡ってきた日程を公開するよ。チェコの観光局主催の取材旅行なんだから、いわば「観光局お墨付き」のハズレなし・掛け値なし。詳しいレポートは追って公開。
▼チェコ共和国ってどこにあるの?
1993年1月1日。「ビロード離婚」によってチェコスロバキアからチェコ共和国に。これは、民主化というなめらかな布のような革命とした「ビロード革命」にちなんだもので、それまでの共産主義から脱し、経済的発展していく上でスロバキアとの経済格差が広がり足かせとなってしまうため、別の国として分離したもの。これは平和的に行われ、いまもチェコとスロバキアはいい関係を保っているそうだよ。
チェコは北欧でも、東欧でもなく、中欧。ヨーロッパの中央に位置し、中でも首都プラハは「へそ」と呼ばれている。
左隣にドイツ、上にポーランド、右にスロバキア、下にオーストリアと隣接している。
チェコのエリアは大きく2つに分けられる。東が「ボヘミア」西が「モラヴィア」。
英語名:チェク・リパブリック(Czech Republic)
公用語:チェコ語(英語が通じる率は日本くらい)
時差:日本と-8時間(3月最終日曜日から10月最終日曜日までサマータイムで-7時間)
ビザ:90日以内の観光なら不要
通貨:コルナ(1コルナ=4.5円くらい。×5で考えておけば間違いない)
物価:日本の2/3くらいでお得
クレジットカード:だいたい使える。MasterとVISA強い。
電圧:230Volt
チップ:レストランで10%くらいが目安。レシートにサービス料が引かれていた場合は不要
国民性:初対面でもニコニコしてくれるフレンドリーさではないけれど、困っていたら助けてくれる気質は日本人っぽい
天気:日本と同じく四季がある。季節は全体的に東京の-5度、降水量は東京の1/3くらい。
▼チェコへの行き方 冬場はお得、ホテル付き往復45,700円も!
チェコの玄関口はプラハ国際空港。ただし2017年1月現在直通便はなく、ミュンヘン、ヘルシンキ、モスクワ、ロンドンなどで乗り継ぐのが一般的。
コヤナギはターキッシュエアライン(トルコ航空)でイスタンブールからの乗り換えだった。トルコ航空のご飯エキゾチックでおいしかった! あとエコノミーなのにスリッパやアイマスク、歯ブラシ、リップクリーム、耳栓などなどのアメニティがポーチに入ってもらえるのもステキ。長いフライトだったけど行きはオシャレで優しいフランス人メガネ男子(わたしが寝ているとき、水とかお菓子受け取っていてくれた)で、帰りは超個性的だけどグミをお裾分けしてくれるターキッシュ男子だったのでよけい好印象。
ヨーロッパの冬の航空運賃は意外と安く、11月上旬に12月上旬の相場を検索したら、チェコ往復の飛行機と3泊のホテル付きで45700円〜(サーチャージ込みでも6万円ちょい)などがありビックリ。実は今回のチェコ旅がコヤナギにとって初のヨーロッパ旅行だったんだけど、ヨーロッパって遠いからもっと高いのかと思ってたよ!(いまスカイゲートで検索してみたけど、同経路で66,450円/諸税等込み!)
もちろん、ヨーロッパは地続きのため列車やバスでも入国できる。
うん。チェコをはじめ、ヨーロッパは冬の航空券が安い。
自然が豊かな場所って、その季節に行かないと意味ないってところも多いけれど、都会なら建物も食べ物もショッピングもそこにある。だから、効率的に実り多き旅行するために、冬こそ都会へ行けばいいと思うんだよ。クリスマス前なら、街もとびっきりきれいだしさ。
ご飯おいしかったターキッシュエアラインから望む、イスタンブールの夜景
▼超簡単にチェコの歴史
自分の整理用にメモメモ。(間違ってたらごめん)
9世紀 大モラヴィア王国、プシェミスル朝成立。末に国王になり没後に聖人となったヴァーツラフはチェコで人気の聖人。民族が危機に瀕したら復活する
10世紀 ボヘミア王国建国、カトリック教普及
11世紀 プシェミシュル朝でドイツの植民地によってドイツ化
12世紀 ボヘミア王の称号がローマ法王より承認
13世紀 神聖ローマ帝国選帝侯に、プラハ大学設立(ヨーロッパ初)
14世紀 プシュミシュル家断絶によりルクセンブルク王朝へ。ボヘミア王国の国王カレル1世が神聖ローマ皇帝に即位し神聖ローマ帝国の国王カレル4世になる
15世紀 王ルドルフ2世は政治家として振るわなかったが教養に富んでおり芸術家がプラハに集まった。特に興味を示していたことは錬金術。ヤン・フスがカレル大学の学長になり教会の世俗権力を否定しドイツ人を追放したため伏すとプラハ市はカトリック教会から破門、フス戦争(ボヘミアの反乱)、ハンガリー王国、ポーランド王国に支配される
16世紀 ハプスブルク家による統治によってチェコ人の政治・宗教は抑圧、三十年戦争、ハプスブルク家属領
17世紀 ボヘミア国会でオーストリア化
18世紀 石炭によって産業革命、民族復興運動
19世紀 チェコスロバキア 第一次世界大戦でオーストリア、ハンガー帝国に勝つ、チェコはドイツ領(スロバキアはドイツ側)共産主義へ。第二次世界大戦後にチェコスロバキア共和国は復活するものの、ソ連の絵影響による民主主義政権やスターリン的抑圧に不満がたまり「プラハの春」で民主化へ、ビロード革命で共産同体制崩壊、チェコ共和国。
20世紀 ヴルタヴァ川(モルダウ川)氾濫、EU加盟
メモ:時代が動いた14世紀、フス戦争などによるチェコ人の無宗教化
▼チェコといえば? 建築! ビール! 人形劇!
♪ボヘ〜ミア〜の川よ〜モ〜ルダ〜ウよ〜♪
……なんて合唱で唱っていたかも多いのでは。実はこれ、プラハにある川のことなんです。作曲家はベドジフ・スタメナで「わが祖国」という交響詩の第2曲目「モルダウ」なんですって。スタメナの出身地はリトミシュルで4日目にレポートするよ。
また、グラフィックデザイン・イラストレーションの祖といわれるアルフォンス・ミュッシャはパリで花咲いたけれど、ボヘミアからやってきたエキゾチックな芸術家として評価され、チェコ語読みでムハ。晩年はチェコの神話をテーマにした「スラヴ叙事詩」という連作を手がけていたことで有名だよね。
他には、村上春樹の題名に引用されていることでも有名な作家フランツ・カフカ、紅茶やさんの名前でおなじみの作家カレル・チャペックもチェコ出身。
広島原爆ドームの設計者(ヤン・レツェル)も、チェコの人ですって。
モグラが主人公のアニメ・絵本クルテクも見たことがある人もいるはず。
有名なものはたくさんあるけれど、特記したいものは建築とビールと人形劇!
街はどこもかしこも石造りの立派な建築と彫刻だらけ。これは戦火の影響を比較的受けなかったため、10世紀からの重厚な建物が今も普通に使われ、その時代ごとに増改築されてきたことから、特にプラハはまるで建築博物館のよう。どこを撮っても絵になるので本当にキョロキョロしっぱなし。また、国内には12の世界遺産を有しているんだよ。
コヤナギ的簡単建物探訪。シンプル(合理的/現実主義)→派手(装飾的/理想主義)を繰り返してる
そして、チェコは世界中で飲まれている「ピルスナー・ビール」発祥地。その証拠に(!?)、国民ひとりあたりのビール消費量は世界一なんだって!
また、ユネスコの無形文化財として登録された「人形劇」も外せない。言語統制の時代にも、唯一子ども向けの人形劇だけチェコ語が許されていたそう。比較的表現の自由が許されていたため、人形劇や絵本は芸術家や文化人が熱心に取り組んだんだ。これがなければ、チェコ語をはじめ、国としてのアイデンティティは滅んでいたかもしれないのだよ。
無形文化遺産となったチェコの伝統的な人形劇。わたしが持っているものが「ドン・ジョヴァンニ」
こちらは持つバージョンのマリオネット
食事も「ここでしか食べられない!」っていう伝統的なチェコ料理が多く存在。その一方で、伝統的な料理をリブランディングした革新的なひと皿もある。お肉とチーズとお芋が主な内容だけど、不思議と日本人の口と合うんだよね。こればっかりは、食べてもらわないと伝わらない! けど、異国情緒の発見に感動しつつ、毎日食べても飽きない食事ってなかなか貴重だと思うんだ。
エッセイ:満月みたいな太陽
第一印象は、太陽のその頼りなさだった。
初めてのヨーロッパがその「へそ」といわれるチェコ共和国になったことに興奮していた。空港のゲートをくぐり、自動ドアを開けたときはカナダで鍛えた耐寒力で寒さに備えたが、下塗りのようにぼんやりとした灰色の空の色とは裏腹に「一般的な冬」といった程度の寒気に拍子抜けした。ありったけの防寒着を詰め込んだ赤い大きなキャリーケースはすでにまんぱいで、バスの運転手に渡すとき申し訳なく思う。
成田空港を出発して12時間、イスタンブール航空で3時間ほど時間をつぶし、そこからもう3時間ほどのフライトを経てプラハ空港に到着した。季節は12月上旬。街はクリスマスカラーに彩られ、きっと浮き足立っていることだろう。ただ、わたしは浮かれてばかりもいられなかった。これは取材旅行なのだ。Linkトラベラーズというブロガーによる旅行マガジンとチェコ共和国観光局の協力で8人のブロガーと同じバスに乗り込む。これから7日間、ほぼ同じ旅程を過ごし、それぞれ記事を書くのだ。わたしに何の表現が出来るんだろう。
バスは最初の目的地「プルゼーニュ(Plzeň / 日本語読みでプルゼニ)」へ向けて出発。窓ガラス越しに見える雪化粧した木々は、強風で冷え固まった水分が張り付いた白い氷の結晶だと分かると、拍子抜けしたとはいえ、やはり東京都は比べものにならないくらい寒いのだと思った。見上げると霧のようにかすんだ空から、うっすらと丸い輪郭が見える。
「あれ、月?」と思わず指をさす。誰かが「これが冬のヨーロッパの太陽だよ」と教えてくれた。新潟のどんよりとした雲に隠れる不機嫌な太陽とも、極北で見た天頂へ登ることを遠慮する恥ずかしがりの太陽とも違う。はっきり目視しても目もくらまないような、こんなに頼りない太陽があったんだな。最初のヨーロッパの記憶として、その姿を目に焼き付けた。