丹羽宇一郎「清く・正しく・美しく」を実践できる理由
■商いには「心」というものが伴う
「クリーン・オネスト・ビューティフル」、すなわち、清く・正しく・美しく――。とてもシンプルでわかりやすい。著者で、伊藤忠商事名誉理事、前中国大使の丹羽宇一郎氏は経営者時代、この言葉を経営方針に掲げ、実践してきた。なぜならそれが、現代の商人である商社マンが持たなければならない大切な心であり、貫き通せば社会の信用を失うことはないと信じたからだ。
この本を執筆するにあたって、著者は滋賀県犬上郡豊郷町を訪ねている。そこには、伊藤忠商事の創業者・伊藤忠兵衛が暮らした自宅兼職場を整備した記念館がある。おそらく、彼はそこに立ち、自分自身のビジネスマンとしての原点を再確認しようと考えたのだろう。玄関を入った店の間には、往時の出納帳や算盤が置かれ、奥の座敷には立派な仏壇が安置されている。そうした品々の1つひとつが丹羽氏に、近江商人の歴史を語りかけたかもしれない。
初代忠兵衛は「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足を埋め、御仏の心にかなうもの」と説き、店員にその徹底を求めていた。ここでは“道”という表現で商いが位置づけられている。著者は「これはただ単なる術ではなく、『心』というものが伴う」と書いている。丹羽氏はこれを、忠兵衛の商売に対する倫理観だとし、近江商人の精神として有名な「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)につながるという。
■リーダーは命を懸けてやるものです
ひるがえって、昨今の経済界を見ると、東芝の不正会計や三菱自動車の燃費偽装など企業不祥事が相次いでいる。背景には、利益至上主義があるにしても、やはり、トップの経営姿勢にコンプライアンス感覚が欠如していることが大きい。だからこそ著者は、いまこそ心を鍛えなければならないと力説する。そして、精神の鍛錬の重要な場が、仕事そのものだということが、次のような回想からもわかる。
「私は伊藤忠商事の経営を任された時も、中国大使としても、死んでも良いという覚悟で取り組んだとはっきりといえます。リーダーは命を懸けてやるものです。プライベートの時間も少ないですし、長くやること自体物理的にできなくなります。命を懸けなければ、本当の改革はできません。だからこそリーダーは長くやってられないのです」
社長時代に行った大きな決断の1つが、2000年3月期に行った約4000億円の特損処理である。同社も大手商社のご多分にもれず、バブル経済時には拡大路線を続けていたが、その崩壊により融資先が破綻。担保にとっていた土地や建物などの不良資産が積み上がっていた。それを少しずつ償却するのではなく“痛みを伴う改革”を断行し、危機を脱している。その際、自らの給料をゼロにし、社長、会長時代を通じて電車通勤を貫いたのは有名な話だ。
今年77歳の著者は、これまでにも多くの著書を世に問い、仕事論や人材論、リーダー論を語り続けてきた。いうまでもなくそれらは、著者の職業人生に裏打ちされたメッセージだ。その意味で、この本は、丹羽宇一郎版『論語と算盤』といってさしつかえない。それそのまま「利潤と道徳を調和させる」という渋沢栄一の教えと共振する著者の商売道の核心なのである。
(ジャーナリスト 岡村繁雄=文)