吉村美栄子氏(山形県知事)

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■一番大事なのは「県民のために」という気持ち

【塩田潮】2013年の知事改選で無投票再選しました。ここまでの在任7年半を振り返って、目標とした挑戦テーマの達成度など、「吉村県政」をどう自己採点していますか。

【吉村美栄子(山形県知事)】就任当初はリーマンショックの真っ只中で、山形県も例外ではなく、大変な状況でした。最初の1年は「雇用創出1万人プラン」を打ち出しました。2年目と3年目の2年間で2万人の雇用を創出する雇用安心プロジェクトを実行しましたが、それは順調に推移したと思っています。

就任前から人口減少が大きな課題だと思っていましたので、知事直轄の子ども政策室を設置し、1年後に子育て推進部に昇格させ、山形県庁で初めて女性部長を誕生させました。

順調に進んでいると思った矢先、3年目に東日本大震災が起きました。2期目は1期目の成果を土台にすると同時に、大震災の教訓をしっかり生かしたいと思い、「自然と文明が調和した理想郷・やまがた」という将来ビジョンを掲げました。山形県の資源を生かして山形らしい新しい成長の実現を、という内容です。政府が掲げる地方創生は追い風と思っています。

次に15年10月、「やまがた創生総合戦略」を策定しました。16年度から「前進の年」と位置付け、予算をしっかり付けてやっています。それまでの成長戦略、将来ビジョンの実現を加速させています。

ここまでの目標達成状況は、「『観光立県山形』の実現」で、11年に3540万人だった観光客数を4500万人にという目標を立てましたが、2期目の14年に達成できました。

雇用創出では、リーマンショック時に有効求人倍率が0.3倍という低い数字だったのを1.0倍以上にするのが目標でしたが、ここ20カ月以上、1.0以上が続いています。

保育所入所待機児童数も、12年に 158人でしたが、目標の「待機児童ゼロ」を3年連続で達成することができました。

遅れていた高速道路などの社会インフラ整備も着実に進み空港や港も利便性が向上しています。

ただ、全体としては、達成したものもあるし、途上のものもあって、採点となると、とても難しいなあと思います。上昇機運にはなってきていると感じていますが。

【塩田】知事として今後、これだけは挑戦したいと思っていることは何ですか。

【吉村】一番大事なのは「県民のために」という気持ちです。知事を何期やるかは関係ありません。県民のためにやるという思いが強く、どんどん新しい構想が出てきます。

エネルギーを安定供給し、持続的な発展を可能にするため、新エネルギーの開発を推進する計画です。山形県は木質バイオマスエネルギーを持続的にやっていくことができると思っていますので、独自の取り組みとしてやりたいです。

山形の将来のために、「やまがた森林ノミクス」(モリノミクス)をしっかり展開して、全国的なムーブメントを起こさなければ、と考えています。木材の流通など、いろいろな問題が関係しますので、全国で同じようなビジョンを持った自治体と力を合わせて推し進めないと実現しないと思います。難しいけれど、林業界も盛り上がって、これからだぞというところがあります。

■活躍したい女性が活躍できる社会が必要

【塩田】知事になる前、リクルートを辞めて、なぜ山形に帰郷したのですか。

【吉村】それは家庭的な事情です。夫とは高校のときに知り合いました。私は女子校の山形西高、夫は山形東高で、3年のときに受験生の代表として一緒にテレビに出たりしました。でも、付き合いはなく、大学に入った後、東京に行ってから誘われて交際が始まり、76年に結婚しました。夫は会社員でしたが、夫の母が病気をして、長男だから山形に帰らなければ、ということになり、夫は司法試験を受けるべく東京に残り、私と長女は78年に帰ってきました。

【塩田】ですが、ご主人が他界し、47歳で社会復帰したのですね。

【吉村】夫は午後の日だまりのような人間で、優秀なだけでなく、とても温かみのある非常に懐の深い人間でした。夫が亡くなったとき、夫の両親は社会から退いていましたので、私がしっかりしないといけないと思いました。それまで家制度は大嫌いだったけど、自分が家の中心になってみると、頑張らなければいけないという気持ちになりました。

社会復帰して山形市総合学習センターに勤務し、資格を持っていたので、その後に自宅で行政書士を開業しました。半分は自分のため、半分は社会のためにというのが、夫が指導していた少林寺拳法の教えなんです。人間は一人で生きているのではありません。個人としても大事ですが、社会の中、自然の中の一存在だという視点も大事です。

【塩田】知事就任の前、たくさんの審議会や委員会の委員を引き受けていますね。

【吉村】山形県の教育委員会、県総合政策審議会、私立学校審議会、県入札監視委員会、山形市個人情報保護制度運営審議会、県職業能力開発審議会、県農業農村振興懇話会などの委員もやっていました。さまざまな分野の委員をやると、いろいろな仕組みや状況がわかり、知事になってから大変役立ちました。

たくさん引き受けたのは、女性の委員が少なかったから。1人がたくさんの委員をやるのはどうかなと思いますが、10年前はとにかく女性を入れなければという事情がありました。私のほうは、生活しているのは庶民だから、プロだけでなく、一般の人も委員として入るべきだと思っていましたので、きた話はみんな引き受けていました。

【塩田】初当選した09年の知事選で、退職金返上を公約して話題になりました。ですが、13年の再選の際、2期目は受け取ると表明し、話が違うのでは、と批判も噴出しました。

【吉村】4年間働いて3800万円というのは、庶民感覚でいうと、それって多すぎるよねという感じもありました。いろいろな政策があるわけですから、何にでも使えたらいいなというのが最初の感覚で、1期目は私の意気込みで「返上」と言いました。

その後、調べてみたら、返上しているほかの知事たちが、2期目はもらうことにしたとか、そういう話があって、私も2期目は普通の流れで行こうかなと思いました。そしたら、それはどうなのか、という話が出て、県民からもそういう反応がありました。だったら、すっきりと返上をしたほうがいいと思い、2期目も返上しました。

【塩田】人口減時代の社会・経済の活性化と関連して、「女性の活躍」が重要なテーマとなり、安倍内閣もその方針を掲げています。女性知事として、「女性活躍社会」実現のポイントはどういう点だとお考えですか。

【吉村】憲法は、男女は本質的に平等とうたっていますが、「女性の活躍」には、何よりも活躍したい女性が活躍できる社会が必要です。活躍するには結婚や子育てはちょっと無理という社会はよくありません。

自然体で結婚して子育てもして活躍もできる、男性も女性も共に育み、共に働くという社会を実現していかなければならないと思っています。

■知事が自分たちの声を反映させる仕組み

【塩田】「女性の活躍」について、安倍内閣の取り組みに注文がありますか。

【吉村】「女性の活躍」を掲げているのは大変ありがたいと思っていますが、もっと力を入れてほしい。予算もまだまだ足りないと思います。「一億総活躍」という言葉が出てきましたけど、今までのような長時間労働だと、男女ともにそんなに幸せになれません。出産、育児にも関係します。今までのままではいけない、長時間労働を是正しなければと思います。フランスとか、成功例もありますでしょう。

私の場合、夫から「家にいてくれ」と言われ、同居している義母から「自分の子どもは自分の手で育てなさい」と言われました。嫌々ながらではなかったけど。私も働きたいという気持ちがずっとあったんです。

キャリアを中断させないで、もうちょっと緩やかな感じで、子育てしながら働ける環境づくりが大事です。育休で1〜2年も休んだら、職場に戻ったとき、浦島太郎になってしまうので、逆に不安だと思います。実態に即して、子どもが小さいときは短時間働くことができるというふうにやってほしいと思います。

【塩田】安倍内閣が「地方創生」を唱え、地域の活性化が叫ばれていますが、一方で、長期デフレや人口減時代の到来、国際化なども影響して、地方の疲弊・衰退が深刻です。

【吉村】地方創生も、私はどうもソフトの部分だけが注目されているという気がしています。大震災の教訓でもありますが、国土開発といいますか、社会基盤をきっちりと整備する必要があります。太平洋側で何かあったら、日本海側が救援できるように、その逆もということで、全国を高速道路とフル規格の新幹線でつなぎ、地方空港も残して、陸海空、縦軸と横軸を整備すべきです。有事への備えとしても、政府が責任を持ってやってもらいたい。

モリノミクスも国土に関係しますが、国民だけでなく、国土も大事なんです。ネットワークとして動脈をつくり、全国に血液が流れるようにして初めて地方の経済が活性化します。それが地方創生だと思っています。それから、地方では進学と就職のときに人口が流出しますので、大学と会社を地方に分散していかないと、人口流出は止まらないと思っています。ですから、地方の大学をもっと充実してほしいと言っているんです。

【塩田】根本的な問題として、なんでも中央政府を当てにするのではなく、権限や財源を持った地方政府が自ら手を打てるようにするために、大きな分権改革が必要では。

【吉村】理想的には地方自治体が独立してやっていければ一番いいと思いますが、財政基盤があまりにも脆弱です。ですが、お願いするというのはおかしな話で、私は全国知事会でも「47都道府県が国をつくっている」と言っています。国を一部ずつ担っている知事たちが自分たちの声を国政に反映させることができる仕組みが必要です。「国対地方」と言ったりするのはおかしいです。知事は全員、国会に参加できるようにすべきだと思っています。調べてみたら、ドイツやロシア、アメリカなどの例がありました。

【塩田】国会の制度改革や二院制の問題があります。憲法改正も必要になるでしょうね。

【吉村】ええ。でも、本当にそれをやらなければいけないと思うんです。

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吉村美栄子(よしむら・みえこ)
山形県知事
1951(昭和26)年5月、山形県西村山郡大江町生まれ(65歳)。旧姓は鈴木。山形県立山形西高校、お茶の水女子大学文教育学部を卒業。73〜77年にリクルートに勤務。76年に吉村和彦と結婚。夫の父・吉村敏夫は元山形県出納長、夫の叔父・吉村和夫は元山形市長。1978年に山形に帰郷し、以後19年、主婦と子育てに(一男一女の母)。81年に行政書士の資格取得。97年に夫と死別する。以後も義父母と同居して、98年から山形市総合学習センター勤務。2000年に自宅で行政書士開業。その後、山形県の教育委員会、入札監視委員会、総合政策審議会などの委員を務めた。09年1月の山形知事選に無所属で出馬し、約1万票差で現職知事の齋藤弘を破る。13年に無投票再選し、現在は2期目。「尊敬する人物は」と尋ねると、デンマークのエンリコ・ミリウス・ダルガスという19世紀の政治家の名前を挙げた。1864年にデンマークがドイツ、オーストリアとの戦争に敗れ、国土の3分の1の肥沃な土地を奪われた。「残った国土をバラの咲く肥沃な土地に、と人々を鼓舞し、やり遂げた。理想の指導者は困ったときに希望を見出せるこういう人」と語る。

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(ノンフィクション作家 塩田潮=文 澁谷高晴=撮影)