監督不在でも二季連続決勝へ!激戦区・大阪でも圧倒的な存在感を放ったPL学園ナイン
1956年から創部したPL学園、大阪府内での公式戦の戦績は下記の通りだ。秋:優勝14回 準優勝10回 ベスト4以上35回春:優勝12回 準優勝8回 ベスト4以上30回夏:優勝17回 準優勝8回 ベスト4以上31回
ざっと挙げた数字を見てわかる通り、PL学園は大阪大会でももちろん異常といってもいい強さを誇っている。夏の大会で初めて4強入りした1961年から2010年まで、ベスト4入りを逃がしたのは1987年の秋〜1989年の夏までの2学年、そして1990年秋から1991年夏の1学年、計3代のみ。それも、1990年秋にはベスト8まで行っている。平成27年6月現在で高野連加盟190校。強豪校が数多く存在し、その上シードは無く、強豪校同士の戦いが起こることも珍しくない。昨年、初戦で大阪桐蔭vs履正社の対決が実現したように、全国大会を勝ち抜くより難しいとすら言われる大阪府内でこの実績なのである。
21世紀に入り、不祥事などがあり低迷期に入ったと言われているが、その中でも結果は残している。2001年の夏に下された出場停止処分明けの2002年、春季大会でいきなり優勝。それを含め優勝8回、準優勝7回、甲子園にも5回出場(春2回、夏3回)している。
新入部員を募集せず、監督も野球経験のない先生方という環境の中、2014年の夏、秋と決勝進出を果たしたことは記憶に新しい。その夏は現在、東洋大で活躍している中川 圭太がプレーヤーとしてチームを引っ張り、宇佐美 秀真(現・関西国際大)がサインなどを出し、監督代行としてチームを引っ張った。そして秋は、サイン係を出していた奥野 泰成選手が決勝戦で本塁打。いわゆる「代打・俺」を実行し、さらに最高の結果を残した瞬間であった。昨年の夏も、準々決勝進出を果たしている。「一時代を築いた全国屈指の強豪校」という看板、「応援」という名のプレッシャー。そういった数々の重圧を跳ね除け前に進むPL学園現役球児たちの強さは並ではない。この野球部を止めてしまうのは、あまりにもったいないという感情を起こさせる。どうにかならないものかと寂しい思いを持つファンも多い。
だが、いつでも顔を上げてプレーを続け、最後の夏に挑む当の彼らには周囲が想像し、あるいはどこかで期待する悲壮感はない。自分達はPL学園野球部員だという誇りがあるだけだ。