1984年に旧ソ連で開発されたゲーム「テトリス」が2016年6月6日に生誕32周年を迎えました。テトリスは今や世界中で知られるほど知名度がありますが、そこに至るまでには複雑なライセンスをめぐる各企業の泥沼の戦いがありました。

Tetris: the remarkable, weird story behind the game | Den of Geek

http://www.denofgeek.com/games/tetris/30840/10-remarkable-things-about-tetris

世界的に有名なパズルゲームの「テトリス」を開発したのは、ロシア人ゲーム開発者のアレクセイ・パジトノフ氏です。1984年当時の旧ソ連は冷戦下の状況で、国内でプライベートなビジネスを行うことは違法でした。パジトノフ氏は、開発中のテトリスで商業的な展開を行うことに不安を覚えたそうですが、ソビエト社会主義共和国連邦科学アカデミー(現在のロシア科学アカデミー)で働く同僚と一緒に開発を進め、ついにPCバージョンのテトリスを完成させます。



パジトノフ氏は1985年にPCバージョンのテトリスを友人たちにプレゼントしてこっそりとプレイしていたそうですが、その後テトリスはハンガリーに密輸され、ヨーロッパ全土で爆発的な人気を得ることになります。

プライベートビジネスが禁止されていたため、テトリスの版権は旧ソ連が所有し、公共機関の外国貿易協会(ELORG)に移されました。1987年にイギリスのMirrorsoftが初めて製品版のテトリスを販売することになるのですが、Mirrorsoftがライセンスを購入したAndromedaという企業が所有していたのは、外国貿易協会(ELORG)やパジトノフ氏の同意を得ていない無効なライセンスだったそうです。

Mirrorsoftがテトリスを販売したことを受けてELORGがライセンスについて調査したところ、Andromedaが所有していたライセンスが無効であることが判明し、同社はELORGとライセンス契約を強制的に結ぶことになります。その後、ゲーム会社のAtariがテトリスを販売していたMirrorsoftからライセンスを取得し、アーケード・家庭用ゲーム機向けテトリスの開発および販売をてがけるようになりました。



イギリスでテトリスのライセンス問題が起きていたとき、ゲームボーイ向けにテトリスの販売を計画していた任天堂と契約を結んだブローカーのヘンク・ロジャース氏が、ELORGと直接話し合ってライセンスの交渉を行うべくモスクワへ向かいました。冷戦下のために交渉は非常に緊迫したムードの中で進みましたが、ロジャース氏は見事家庭用ゲーム機向けの独占ライセンスを取得。これを受けて、任天堂から1989年にゲームボーイ向けのテトリスが発売されました。



任天堂テトリスを発売したことで、Atariと子会社のTengenは著作権侵害で任天堂(ニンテンドー・オブ・アメリカ)を訴えましたが、AtariがMirrorsoftから取得したライセンスはPCゲーム用のものと見なされ敗訴。さらに、Atariはテトリスの製造および販売権を持っていないという判決が下され、すでに販売されていたテトリスは販売中止に追い込まれます。また、これのあおりを受けて、Tengenからライセンスを受けていたセガのライセンスも無効とされ、生産が終わっていたメガドライブ向けテトリスの販売が突然中止になるという事態が起こりました。



その後テトリスはライセンスがさまざまなゲーム制作会社に供給され、任天堂のプラットフォームだけでなくPlayStationやXbox、さらには携帯電話で登場し、世界中の人にプレイされるようになりました。ただし、生産および発売中止になったAtariのテトリスは全世界に10万個しか出回らず、コレクターの間ではレアなアイテムになっているそうです。