プレイバック選手権 「2004年、松坂大輔の幻影を打ち破った2人のエース」
2004年の夏、第86回全国高等学校野球選手権大会。駒大苫小牧が初優勝し、春夏通じて初めて優勝旗が津軽海峡越えをしたとして話題になった。済美とのノーガードの打ち合いのような決勝戦も印象に残っている方も多いだろう。だが、大会前は別のところに注目が集まっていた。それは同い年の2人のエース。松坂 大輔以来の怪物と呼ばれた東北のダルビッシュ 有。それと松坂2世のいわゆる本流、横浜のエース・涌井 秀章。この2人が躍動した大会でもあった。
東北高校のダルビッシュ 有。全国デビューは1年秋の明治神宮大会だったが、いきなり12奪三振の完封勝利を挙げ一気に注目を集める華々しいものだった。その後2年春・夏、3年春と甲子園に出場しその度にファンを唸らせるピッチングを披露してきた。3年春にはノーヒットノーランも記録した。が、故障が相次ぎ全国制覇までには至らず。前年の2年夏には決勝戦まで進んだだけに、なんとしても優勝をという思いは、周囲も強かった。
一方、入学時から松坂2世として期待を集めていた涌井 秀章の全国デビューは、2年春。第75回記念選抜高等学校野球大会に成瀬 善久のリリーフとして登板を重ね好投を見せる。満を持して決勝戦に先発するが、広陵に打ち込まれて敗れている。その後は激戦区神奈川の厚い壁に阻まれなかなか甲子園への出場は叶わなかった。
そんな2人が挑んだ、2004年の夏。組み合わせ抽選の結果、「東北の怪物」と「横浜のエース」の直接対決が実現するとしたら決勝戦に、となった。そんなドラマチックなことが起こるのか?実力校揃いのハイレベルなチームが出場したこの大会でも、2人のエースは人々の注目を集めた。
優勝候補筆頭と目されていたダルビッシュ擁する東北は、1回戦では北大津と対戦。13対0と圧倒的な力を見せつける。続く2回戦では遊学館と対戦し、4対0で勝利。ダルビッシュはいずれにも先発登板し、2試合連続完封を見せる。3回戦、千葉経大附を相手に8回までランナーを背負いながらも無失点ピッチング。ダルビッシュを打てるチームは無いのかと思われた矢先だった。9回表、先頭打者にヒットを許すと二死まで漕ぎ着けたもののエラーで同点に。これまで無失策のチームが初めてのエラーで初めての失点を許した。結局この勢いを止めきれず10回表に千葉経大附が逆転。最後はダルビッシュ自身が三振に倒れ、悲願達成はならなかった。
[page_break:「松坂以来」を抜け出し、唯一無二の存在に]こちらも優勝候補に挙げられていた、涌井擁する横浜。1回戦の報徳学園戦では、自身もホームランを放つなど投打に活躍を見せ、8対2で快勝。2回戦は京都外大西と対戦。大谷 侑と互いに譲らぬ投手戦となるも延長11回を投げ抜き14の三振を奪い勝利。何度もピンチを乗り越える姿に人々は息をのんだ。続く3回戦は明徳義塾と対戦し、粘り勝ち。この日の次の試合に登板を控えるダルビッシュの目の前で勝利を挙げている。そして準々決勝では駒大苫小牧と対戦。2回にホームランを打たれ先制を許すとその後打ち込まれ、1対6で敗れた。
「松坂以来」を抜け出し、唯一無二の存在に横浜時代の涌井秀章
こうして彼らの2004年の夏は終わったかに見えた。だが、物語は終わってはいなかった。涌井は直後に行われた第59回国民体育大会では、駒大苫小牧を破りリベンジを達成。東北も、ダルビッシュは登板しなかったものの準決勝で千葉経大附を破りリベンジ達成。決勝でついに横浜vs東北が実現した。結果は、10対3で横浜の勝利。涌井はこの試合も先発、見事な完投勝利をおさめた。
その後プロ入りした2人は、NPBでもそれぞれチームのエースとして成長。互いにライバルとして認め合い切磋琢磨、時に励まし合いながら、ダルビッシュは2007年、涌井は2009年に澤村賞を受賞するなど日本を代表する投手になった。ダルビッシュは今やMLBの大投手。涌井も一時期不振を極め、「終わった」などと揶揄されたものの見事復活。2015年には最多勝を獲得している。松坂 大輔の再来と呼ばれた2人の怪物とエースは、それぞれ唯一無二の存在となった。もはや2人に「松坂の跡継ぎ」という印象はない。その2人が頂点を目指し夢破れた2004年の夏は、それまでどうしても「松坂世代」ありきで語られていた高校野球が、新しい時代に向けてさらに力強く踏み出した大会であったのかもしれない。