バスク語、クレオール語を知っていますか。マイナー言語大勝利、日本翻訳大賞授賞式レポ

写真拡大 (全6枚)

2016年4/24(日)、日比谷図書文化館コンベンションホールにて、第二回 日本翻訳大賞 授賞式が行われた。


受賞したのは、パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子、パトリック・オノレ訳/河出書房新社)、キルメン・ウリベ『ムシェ 小さな英雄の物語』(金子奈美訳/白水社)の2作。


翻訳書は売り上げもキビシく、公に評価される場も少ない。翻訳賞ができれば、翻訳小説や翻訳ノンフィクションの振興にも貢献するはずーー。こんな思いから、昨年スタートした同賞の選考委員は、金原瑞人、岸本佐知子、柴田元幸、松永美穂、西崎憲という日本を代表する翻訳家たちだ。

立ちはだかる「良い翻訳とは?問題」


授賞式は、賞の発起人である西崎率いるバンドの演奏を経て、 日本翻訳大賞についての基本的な説明からスタートした。

前年に刊行された翻訳書のなかから、一般からの推薦作上位10作&選考委員が選んだ5作の計15作が二次候補作となり、それを選考委員が手分けして読み、最終候補を5作にまで絞る。そして、選考会を開き、大賞を決定する。これが、昨年からの基本的な流れだ。

前回との違いは、対象期間が1ヶ月伸びたこと。2015年の12ヶ月間に加え、2014年12月に刊行された本も候補として認められたのだ。これは、12月の本は推薦する段階で読み終わっていない可能性が高く(ゆえに候補になりづらい)不利で可哀想だから、という救済策的な理由による新ルールなのだそうだ。

続く選考委員たちによるトークによれば、最終候補に残った5作品に関しては、正直どれが大賞を獲ってもおかしくなかったという。そして、作品をめぐる話し合いのなかで度々持ち上がったのは、「何をもって良い翻訳作品なのか」という、翻訳者にとっての永遠のテーマといっていい議論だ。同じ翻訳家でも、この基準は人それぞれ。ゆえに、ある基準から見ればこの作品がベスト、この基準から見ればあの作品がベストと、有利な作品が5分おきにどんどん入れ替わっていったという。

柴田 推薦されてくるのは、僕らが原文を読める英語圏の作品ばかりじゃないから、その時点で、原文と訳文を付き合わせて判断するような、いわば「翻訳技能コンテスト」ではなくなりました。この賞は、とにかく一番賞賛したい作品に贈りたい。でも、賞賛したい点が作品毎にいろいろ出てきてしまって、なかなか決められませんでした。

西崎 「賞賛したい」という曖昧な言葉を使っているのは、「良い翻訳」ということにしちゃうと、皆そこに引っかかってしまい、選べなくなってしまうからなんです。また、技術力が高くて、解釈力が高ければそれでいいのか、という問題も議論されましたね。

柴田 この中では僕が一番「作品全体の良さから、“翻訳の良さ”を抽出できるはずだ」という立場でしたね。岸本さんは「全体で見て判断する」という立場で。

岸本 私は「面白けりゃええじゃないか派」です(笑)。

柴田 で、その抽出できる“良さ”というのは、翻訳を読んで得られる快感ということになるわけですけど、でもつまらない作品にはそもそも快感はないわけで……だから難しい。

両極にある作品が受賞


続いて、受賞作について選考委員より解説があった。 『素晴らしきソリボ』担当・岸本は、まずテキストとして大変複雑な構造を持った作品であることを指摘。


岸本 現地の人が語っている「クレオール語」があって、それを書き留めている地の文(フランス語)がある。そして、フランス語のところどころからクレオール語が「み!」といった具合に突如噴出してくる。さらに私たちは、それを日本語に翻訳されたものとして読む。そんなパイ生地のように層になったテキストの複雑さを、読み手にわからせつつ、なおかつ面白くてワクワクさせるーーそんな翻訳でした。フランス語圏の人たちが原著を読んだ時に感じたであろう違和感を、日本語になったテキストからも感じさせる手腕は見事だと思います。

続いて、柴田による『ムシェ 小さな英雄の物語』の解説。


柴田 僕は北アメリカの白人作家の翻訳をしているので、彼らマジョリティの文学が洗練されているのに対して、マイノリティの文学は、例えば政治的に過酷な状況に置かれていることによって、語ることは白人よりあるかもしれないけれど、その方法的にはいまひとつ素朴だったりするーーかつて、そうしたイメージを持っていました。しかし、そういう図式がもう通用しないことは、本作のような非英語圏の文学を読めばはっきりわかります。一見すごく素朴な語り口でいながら、いい意味でひじょうに手が込んでいる。目まぐるしく視点が変わる作品ですが、しかし行から行からへ、自然にノイズなく移ろっていく様は見事です。透明度のひじょうに高い訳文だと思います。『ソリボ』がマキシマリズム的な翻訳の良さだとすると、『ムシェ』はミニマリズム的な翻訳の良さ。最終候補作中の、両極にある作品が選ばれたという感じがしています。

“音の面白さ”に満ちた朗読パフォーマンス


話題は、受賞作のみならず、惜しくも受賞を逃したノミネート作品全般にも及んだ。特に言及されたのは、ドミトリイ・バーキン『出身国』(秋草俊一郎訳、群像社)だ。

西崎 比喩が大変素晴らしかった。3ページに1回くらいの割合で、目を見張るような比喩が出てくる。例えば、亡くなった人に対してさようならを言うのですが、その言い方が「虹に別れを告るように(さようならした)」とかあって、こんな表現はなかなか出てくるものじゃないなと驚かされました。ただ、1つ1つの文章がすごく長いので、普通の本を読むのの倍近い時間がかった。

岸本 自分の読解力が低いこともあり、すっごく読むのに苦労しました。でも、読んでいるうちに脳内からヘンな汁が出てきて、だんだん気持ちよくなってきました。マゾっぽい楽しさのある小説です。あ、褒めてます(笑)。

金原 そういえば、4/1に代官山蔦屋書店で開催した中間報告会で、「翻訳者が100%原文を理解し、翻訳できるのか」という問題以前に、作者は頭の中にある「書きたいもの」を100%表現できているのか? という話になりましたね。で、『ソリボ』も『出身国』も、100%表現し切れていないような気がする。そして、それゆえに面白いと思うのです。

話は、さらに翻訳書における“あとがき問題”にも及んだ。ちなみに、本賞の選考委員においては、西崎を除き、皆あとがきを書くのが苦手と判明。「だってノイズでしかないじゃん」と言う柴田を、「いやいや、読者的にはあとがきは嬉しいものなんですよ」となだめる司会の米光一成(本賞の実行委員)。あるいは松永は「書くのは苦手だけど、訳者の熱が伝わってくるから読むのは好き」とフォローする。こういう余談もたまらなく面白い。

そして、賞状と副賞の授与、受賞者によるスピーチ(『素晴らしきソリボ』の共訳者パトリック・オノレはフランス在住のため不参加)の後に、式における最大のお楽しみ企画が始まった。受賞者本人による作品の朗読である。普段、小説の言葉を読みはしていても、なかなかそれを音として聞く機会は少ない。しかも、それが翻訳者の肉体を通してのものとなれば、なおさら貴重と言えるだろう。朗読は、翻訳者が作品の言葉とどのように向かい合っていたのかを、聴く者に想像させる。

圧巻だったのは、関口の朗読だ。岸本が『素晴らしきソリボ』の作品解説の際、「意味が分からなくても音で面白く読める」「音楽を聴いているような気持ちにさせられた」と語っていたが、まさに“音の面白さ”に満ちたパフォーマンスだった。フランス語から訳した日本語とクレオール語の音が入り混じり、ヘンテコでファニーな響きがグルーヴする。西崎バンドの民族音楽風の演奏と合わさると、まるでフランスのアヴァンギャルド歌手ブリジット・フォンテーヌの楽曲のようだ(4thアルバムあたり)。


マイノリティな言語・文学を訳するということ


今回の受賞作は、非英語圏の作品であり(これは第一回大賞受賞作も同様)、かつ『素晴らしきソリボ』はクレオール語、『ムシェ 小さな英雄の物語』はバスク語と、ひじょうにマイナーな言語を扱っているという共通点がある。なじみの薄い言語と、それを用いて書かれた文学を訳するということは、この2人の翻訳者にとって、どのような意味を持つことなのだろうか?

金子 私がバスク語から訳することにこだわったのは、もしかすると、作家がバスク語で書くという選択をするのと同様に、ある一つの姿勢の表れなのだと思います。バスク語で小説を書くということが、これまで文学的な価値のない劣った言語とみなされてきた少数言語と、その言語で生きている人々の尊厳を回復する行為であったとしたなら、バスク語から訳すということも、そうした人々の側に立つということに他なりません。

関口 クレオール文学に親しみがない、読んだことがないという方も多いでしょう。そういう時に、翻訳文学の役割として、クレオールの歴史を伝えるということも一つあると思います。しかし同時に、歴史的に大きく異なっていても、日本で、日本人のなかで考えられることはたくさんあるはず。言葉や歴史的背景の違いはあれども、作品に書かれていることを、身近なものとして考えてもらえるような翻訳にしたいーーそうした思いが大きな柱としてありました。

作品や、それを生んだ歴史や文化への真摯な姿勢が伝わってくる2人の発言の数々に、客席は静かな感動に包まれた。

日本翻訳大賞は、翻訳者と作品のための賞である。しかし、未知の翻訳作品を紹介するという意味では、私たち読者のための賞でもある。会場に漂う一体感の理由は、おそらくここにあるに違いない。


来年はどんな翻訳作品に出会うことができるのだろうか。「10年は続けたい!」という実行委員たちの言葉を信じ、また1年後を楽しみに待ちたい。
(辻本力)