震災二次被害の原因は“平時の分権、危機時の集権”の欠落だ
熊本地震が起きてからというものの、被災地では地元自治体、警察、消防、自衛隊といった関係者の皆さんが不眠不休で頑張っていることと思います。政府も東日本大震災の経験があるので迅速に対応していますし、被災地にたくさんのボランティアの皆さんが集まる姿は本当に頼もしく感じます。
そうした関係者の皆さんの懸命なご努力に水を差す気は全然ないのですが、地震のニュースを見ていると、どうしても釈然としない気持ちを感じざるを得ません。
震災対応の主体が
被災者でもある地元自治体という矛盾
例えば、本震の翌日に、熊本市内で避難所に使われていた高校の校庭に“SOS”のメッセージが現れた件。当時この高校は地元自治体が指定した避難所でなかったとはいえ、政令指定都市、即ち大都市である熊本市において、どうして支援物資がすぐに行き渡る体制を作れなかったのでしょうか。
また、エコノミークラス症候群にかかってしまった人の数が尋常ではなく、亡くなられた方もいらっしゃいます。地震が起きてしばらくは避難所の数が足りなかったり、また前震→本震→長引く余震というあまり前例のない地震に直面して、屋内で過ごすのが怖いと感じて、自家用車の中で寝泊まりしているからという事情は分かります。
しかし、それにしても、かなり多くの方が自動車の中で寝泊まりしているという光景には違和感を抱かざるを得ません。なぜ、熊本県外で余震の心配のないところに避難所を開設し、車中生活を送る方たち全員を一時的にでもそこに集団避難させるという対応が取れなかったのでしょうか。
これらの事実が示すのは、関係者は精一杯頑張っていたにも拘らず、残念ながら被災地では対応の遅れがあった点は否めないということです。ただ、それは地元の関係者の責任ではありません。むしろ、地元の関係者の行動のベースとなる制度、具体的には地方分権のあり方にこそ問題があったと考えるべきです。