岡村靖幸はなぜ寡作になったのか? 11年半ぶりに新作を発表した現在までの足跡

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今年の1月26日、岡村靖幸のニューアルバム『幸福』が発売された。前作の『Me-imi』から約11年半が経っており、ファンの側からすると「待望の」というよりもはや「待ってさえいなかった」という気持ちの方が強いかもしれない。

日めくりカレンダーに載せたくなるような名言・至言が曲中で頻出する割に、歌詞づくりへの苦手意識を公言している岡村。一方、「メロディに関しては、あまり悩むことはないです。どんな時でも……まぁ……生まれるというか」(「Weeklyぴあ」2007年10月25日号より)なんて発言も残している。
あまりにもなブランクの要因は、推して知るべしか。もちろん前作と今作の間に起こった覚せい剤取締法違反による3度の逮捕(2度の実刑判決)も、彼の活動ペースに大きく影響している。

90年代以降、極端な寡作アーティストとなったことで、岡村靖幸の評価は世代から世代へ語り継がれ、図らずも伝説は妙な形で肥大化していった。

「松田聖子・プリンス・ビートルズで三角形書いて、僕はその真ん中にいたい」


シングル「OUT OF BLUE」でデビューする以前、19歳の頃から岡村が作曲家活動をスタートさせていたのは有名な話だ。ソングライター・岡村靖幸が初めて提供した曲は、渡辺美里の2ndシングル「Growin’ Up」。
当時(1985〜86年ごろ)、渡辺美里チームでメインソングライターの役目を担っていたのは小室哲哉と岡村靖幸。大雑把に分けると、ポップ寄りの楽曲を小室が、ファンキーな楽曲は岡村が渡辺美里に提供していた。

音楽業界を志した若き日の岡村が最初にアプローチしたのは、大沢誉志幸のディレクターであった小林一之氏である。小林氏は、岡村との出会いを以下のように回想している。
「会社(EPICソニー)に呼んだら来たんだけど、まだ若いから礼儀もなにもなってなくて(笑)。でも持ってきたデモテープ聴いたら、戦慄が走った」(「ミュージック・マガジン」2012年3月号より)
しかし、その時の岡村の印象は“アーティスト”と言うより“コンポーザー”であったという。
「最初に持ってきた曲が、ギターで作ってたからメロディのレンジが弱かった。それで諦めさせようと思って、ピアノで曲を作れと言ったらピアノは弾けないと。それで帰って何カ月かしたらまた来た。そしたら“バイク売ってDX7買った”って。(中略)それで作ったというのを聴いたら、すごいメロディックになっていてビートルズ入ってるし驚いた」(「ミュージック・マガジン」2012年3月号より)
当時の岡村は「松田聖子・プリンス・ビートルズで三角形書いて、僕はその真ん中にいたい」と発言していたらしく、デビュー前よりその志向は見事に楽曲に表れている。

その後、渡辺美里のレコーディングスタジオでダンスしている姿が小林の上司である小坂洋二ディレクターの目に留まり、ソロデビューの運びとなったのはファンの間で語り草だ。

3rdアルバムで、天才がついに覚醒


筆者の岡村との出会いは3rdアルバム『靖幸』からなので、デビュー・アルバム『yellow』が世にどのような受け止められ方をしたのか正確にはわからない。小林氏は、当時についてこのように語っている。
「最初のシングル『OUT OF BLUE』は、ヒット・チャート向きにオレの言う通りに作らせたから、本人はそぐわなかったと思う。あの頃は、まだ早いと思ったんですよ」(「ミュージック・マガジン」2012年3月号より)
デビュー時から岡村は、アルバムに「Arranged, composed & produced by」というクレジットを入れたがっていたそうだが、大人からストップがかかっていた形だ。

その後、2ndアルバム『DATE』より岡村本人がアルバム制作のイニシアチブを握るようになり、『靖幸』では岡村と意見が合わない小林氏が担当を降りている。アーティストとしての“成長”が露わになったならば、自然な流れだろう。
同時に、岡村の音楽性を支持するファン層は拡大。例えば、それまで岡村の“気持ち悪さ”を冷笑していた江口寿史が彼の才能に感嘆したのは『靖幸』が初めてであったらしい。

岡村靖幸は、本当に“和製プリンス”なのか?


岡村靖幸と言えば、いまだにプリンスが引き合いに出されることが多い。たしかに、岡村自身が頻繁にプリンスを語る時期はあった。そう考えると、“和製プリンス”の呼び名が仕方ない部分はある。
では先入観を外して今一度、岡村の楽曲を聴いていただきたい。最近の楽曲でなくていい。俗に岡村の“最高傑作”と呼ばれる『家庭教師』(1990年リリース)を聴いて、どう思う? 4曲目「家庭教師」とプリンスの未発表曲「Rebirth Of The Flesh」が酷似しているものの、スタイルとしては完全に“和製プリンス”を脱却していないだろうか。

私が膝を打ったのは、音楽評論家・高橋健太郎による以下の見解である。
「プリンスとはしばしば比較された岡村靖幸だが、その点でプリンス以上に、僕の中で強く重なり合った洋楽のアーティストを一人あげるとしたら、それはトッド・ラングレンだった」
「ミュージカル的な展開や奇想天外な効果音。おもちゃ箱をひっくり返したようなところもあるが、しかし、ふとしたアレンジにはトッド・ラングレンやヴァン・ダイク・パークスにも相通ずるヴォイシングが潜んでいる」(「CDジャーナル」2011年9月号より)

曲を聴けば誰にでもわかると思うが、明らかに現在の岡村はプリンスの影響下にいない。……とは言え、やはり岡村とプリンスを比較して考えることがないではない。
筆者は、岡村とは別の感性でプリンスも愛聴している。両者のファンとして一つだけ言えることがある。岡村靖幸が1990年に発表したアルバムは、『家庭教師』。一方、プリンスが1990年に発表したアルバムは『Graffiti Bridge』。この頃の岡村は、この頃のプリンスに圧勝している。

歴史的名盤『家庭教師』の結果が、彼を苦しめた?


『家庭教師』が後を続く者へ与えた影響は、計り知れない。あの桜井和寿(Mr.Children)は「このアルバムに打ちのめされた」と認めており、「それ以降の僕は、この日本におけるミック・ジャガーでもスプリングスティーンでもコステロでもデビッド・バーンでもなく、岡村靖幸Part2になりたいと、悪戦苦闘しながら音楽と愛し合っている」(「月刊カドカワ」1996年5月号より)と表明している。

しかし『家庭教師』、実はオリコンにおける最高位は7位なのだ。この結果には、岡村自身も打ちのめされたのではないか。この内容でいて、この順位。
それまで1年毎にアルバムを発表していた岡村は、この辺りから“寡作ミュージシャン”へと変貌してしまった。付け加えると、92年に親友・尾崎豊を失った影響も大きかった。

5thアルバム『禁じられた生きがい』を発表したのは、『家庭教師』リリースから5年が経過した1995年。しかも、9曲中4曲が既発曲である。
だが、ガッカリする必要はない。特に、3曲目「クロロフィル・ラブ」。常軌を逸する変態的な曲構成であり、それでいてちゃんとキャッチー。しっかり、才気がほとばしっている。

体型の変化と逮捕


6thアルバム『Me-imi』が発表されたのは、9年のブランクを経た2004年。この頃の彼の容姿は、かつての姿が窺えないほどに巨大化。「今の体型を見せたくないから、ライブ開始時間が過ぎても楽屋から出てきたがらない」という都市伝説が流布されるほどであったが、同時に期待値も巨大化していた。

果たして発表された6thの内容は、驚くほどにアバンギャルド。岡村の世界観はそのままにオタク的偏執度が存分に発揮されたトラックは、ファンにとって歓迎すべきクオリティであった。
ただ、岡村ならではの“甘酸っぱいメロディ”が鳴りを潜めてしまっていたのも事実。高橋健太郎氏が指摘していた「ミュージカル的な展開」を、この作品で聴くことは叶わなかった。

そして2005年、覚せい剤取締法違反で一度目の実刑判決(二度目の逮捕)を食らってしまう。2007年に新曲「はっきり もっと 勇敢になって」で華々しく復帰したものの、2008年に三度目の逮捕。
復帰しては休業して……を繰り返していた岡村だが、その歯がゆい活動ペースは彼自身の“甘さ”も起因している。

「ぶーしゃかLOOP」以降の岡村靖幸


ワーカホリックを自称する岡村だが、なぜそこまでレコーディングに時間をかけるのだろう?
「まず言えるのは時間をかけるのが好きだから」(「Weeklyぴあ」2007年10月25日号より)

そんな彼が、遂にニューアルバム『幸福』をリリース。あまりに眩しすぎる作品名だが、このタイトルに決まった理由は何なのか? その問いに対し、岡村は以下のように返答している。
「日々考えているから……ですかね。『幸福って何だろう?』『幸福の物差しって何だろう?』って」(「テレビブロス」2016年1月30日号より)

一時はかなり残念な容姿になっていたが、現在では50歳とは思えないほどの若々しさに満ちている岡村靖幸。
新作の内容は、やはり良い。彼らしいアレンジをキープしつつ、それでいて“甘酸っぱいメロディ”も堪能できる。寡作によるブランクが作用して日に日に増えた新規ファンも、愛聴できる作品ではないのか。

長年のファンとして信じられないのだが、2011年に発表された新曲「ぶーしゃかLOOP」以降、岡村はずっと好調を維持しているように思う。楽曲に関しても、発言に関しても、容姿に関しても、ダンスに関しても。
「五十にして天命を知る」という言葉があるが、現在の彼はそれか? いや。「五十にしてなお盛ん」という言葉の方が、岡村には似合っているように思う。
(寺西ジャジューカ)
早熟