遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第63回】

 ロードレースの日本チャンピオンを決める「全日本自転車選手権大会ロードレース」が、6月28日に行なわれた。TeamUKYOからは土井雪広、畑中勇介、窪木一茂、平井栄一、住吉宏太、山本隼、湊諒の7名がエントリー。出走146名の頂点を掴むべく、TeamUKYOの精鋭たちが壮絶なバトルに挑んだ。

 6月最終日曜の28日、2015年の全日本自転車選手権大会ロードレースが栃木県那須町で開催された。日本自転車競技連盟が主催し、毎年6月に行なわれるこのレースは、優勝を飾った選手が以後の1年間、ナショナルチャンピオンジャージを着用できるという高いステータスを持つ。

 欧州の3大グランツールやクラシックレースでも、そこに参戦する各ワールドツアーチームのウェアデザインの中に、各国国旗を織り交ぜたジャージを着用している選手をよく見かける。たとえば、昨年のシーズン前半は、当時日本チャンピオンだった新城幸也(チーム・ユーロップカー)が、日の丸をあしらったチームデザインのジャージで様々なレースに出場した。今年でいえば、ドイツチャンピオンのアンドレ・グライペルは、所属チームであるロット・ソウダルのデザインに、ドイツ国旗のカラーリングを施したオリジナルジャージを着用している。また、イタリアチャンピオンのヴィンチェンツォ・ニーバリは、イタリアントリコロールの「白・緑・赤」の配色を、所属するアスタナ・プロ・チームのカラーリングに織り交ぜた独自デザインのウェアでレースに参戦している。

 彼らナショナルチャンピオンジャージの着用選手は、大集団の中にいても一目瞭然で判別できる。その意味でも、国内選手権の制覇は選手にとって非常に名誉なことだといえるだろう。

 2014年の日本チャンピオンは佐野淳哉(那須ブラーゼン)。2013年は前述のとおり新城幸也が制し、2012年は当時アルゴス・シマノ(現:チーム・ジャイアント=アルペシン)に所属していた土井雪広が日本チャンピオンジャージを着用していた。つまり、土井はこの年の冬に日本チャンピオンジャージを持ってTeamUKYOへ移籍してきた、というわけだ。

 欧州のトップチームで長年戦ってきた土井が、日本チャンピオンとしてTeamUKYOに加わったことは、在籍選手たちの士気はもちろん、結成間もないチームの存在感を高めるうえでも非常に大きな意義があったと、当時のキャプテンだった狩野智也(現:群馬グリフィンレーシング)は語っている。

 2015年のシーズンインを前に、新たにチームキャプテンに就任した土井は、1月に沖縄で自主トレーニング合宿を実施した際に、今年の目標のひとつとして、「全日本チャンピオンのタイトル奪還」を挙げた。

「全日本は勝ちたいです。(地元の)山形のファンにもそれは公言してきたので、やらなきゃならない。だから、かなりのプレッシャーですよ。実は、(日本チャンピオンジャージを)1回着たからもういいや、って思っていたんですけど(笑)、みんなが言うんですよ。『1回じゃダメだよ』って。たしかにそのとおりで、『もういいってことはない。もう一度、全日本で勝ちたいな』と思うようになった。だから、今年はガチンコ勝負で行きますよ」

 その土井に対して、「本場欧州のレースを知り尽くしている土井さんがいるから、このチームに移籍してきた」と公言するのが、2014年シーズンからTeamUKYOに加わり、今年が同チーム2年目となる窪木一茂だ。窪木は、昨年11月の全日本トラック競技選手権のオムニアム(2日間にトラック6種目を行ない、合計ポイントを競う競技)で優勝し、全日本チャンピオンを獲得した。当面の第一目標をリオ五輪の出場枠獲得と話す一方で、「チャンスがあれば、ロードでも全日本チャンピオンを狙ってみたい」とも語っていた。

 選手たちの様々な思いが交錯する中、2015年の全日本選手権は午前9時にスタートした。栃木県那須町の公道に1周16キロのコースを設定し、15周して争う今回のレースの総走行距離は240キロ。ほぼ、「東京−名古屋間」に相当する長さだ。スタート直後から絶え間なく細かいアップダウンが続くコースレイアウトは、時間の経過とともに選手たちの脚をじわじわと確実に削っていく。

 レースは序盤から土井が積極的に仕掛け、10名程度のトップグループをぐいぐいと牽引した。あっという間に、この逃げグループと90名程度のメイン集団は5分の差が開いた。そのメイン集団後方につけていた窪木は、2周目終盤に数台の落車に巻き込まれてしまう。自転車に再びまたがり体勢を立て直そうとする間にも、前方の集団はどんどん離れていく。

「自転車が壊れてなかったので、『大丈夫、まだ行ける』と思いました。チームメイトも自分を守って前に引っ張り上げてくれたので、追いつくことができました」(窪木)

 先頭グループとメイン集団の差は、時間の経過とともに少しずつ縮まっていき、やがて大集団が形成されてレースは振り出しに戻る。終盤3周、残り50キロを切ったころに再び土井たち数名がスピードを上げて逃げグループを作り、集団のふるい落としにかかる。

 最終ラップ、最後の16キロで優勝争いは15名ほどの人数に絞り込まれた。ラスト5キロで、まず土井がスパート。土井を逃がすまいと集団が追う。吸収された土井に代わり、今度はラスト2キロ地点で畑中勇介が飛び出す。今季からTeamUKYOに移籍し、Jプロツアーでも個人ランキング首位につける畑中は、しばらく独走を続けるが、これもやがて追いつかれてしまう。

 そして、その背後から窪木が飛び出した。1キロのロングスパートで勝負をかけた窪木は、持ち味のスピード力を発揮して、最後は独走状態に持ち込み、6時間に及ぶ厳しいレースを制した。

「土井さんと畑中さんのアタックで自分は余裕ができて、最後まで脚をタメることができました。今日の勝利は、本当にチームメイトのおかげ。昨日のミーティングでは、僕と土井さんが優勝を狙えそうだということで、みんなが僕のために動いてくれることになり、後半に集団がひとつになってからはチームメイトとすれ違うたびに、『前をとれよ』と声をかけてくれたので、今日は1番でゴールを獲るつもりで走りました。ものすごいプレッシャーだったけど、ゴール手前まであきらめずに全力で踏み続けました」(窪木)

 2位は畑中勇介。高く右手を掲げながら、窪木から5秒後にゴールした。

「こんなに悔しいうれしさは、めずらしいですよね。窪木がうちのチームのエースだったので、結果としてはうれしい。でも、2位はちょっと悔しいですね(笑)。窪木はこれから日本チャンピオンジャージを着て走るので、今後もチームとしてそれに恥じないレースをしていきたいと思います」(畑中)

 土井雪広は、優勝を飾った窪木から25秒後方にいた。窪木の優勝を告げる大声の場内アナウンスが流れる中、土井は両手で小さくガッツポーズを作って22位でゴールラインを通過した。

(次回に続く)

西村章●構成・文 text by Nishimura Akira