「いつも頑張ってくれて、ありがとう!」

 6月17日の株主総会と取締役会を経て本田技研工業の社長に就任したばかりの八郷隆弘(はちごう・たかひろ)新社長が、オーストリアGPの現場を訪れてホンダのスタッフたちに声をかけた。

 八郷社長はピットガレージやエンジニアオフィス、パドックのモーターホームなどを視察してまわり、その後、マクラーレンのロン・デニス総帥やF1界のボス、バーニー・エクレストンに挨拶。ドライバーやスタッフたちへの激励とともに、社長が交代しても「F1活動を半永久的に続ける」と宣言したホンダの姿勢になんら変わりがないことをアピールした。

 3月に行なわれた開幕戦オーストラリアGPにも姿を見せていた八郷社長(当時は常務執行役員)は「また来たよ!」と気さくに話しかけ、エクレストンとともに決勝直前のスターティンググリッドを歩いた。

 しかし、マクラーレン・ホンダの2台はグリッドの最後列に並んでいて、ふたりは延々と人混みの間を縫って歩かなければならなかった。2台ともにパワーユニットの年間使用制限4基を超えるコンポーネントを投入し、グリッド降格のペナルティを科されていたからだ。

 2台ともバッテリーと制御ユニット以外のパワーユニット一式を新たに投入し、フェルナンド・アロンソは3コンポーネントが5基目になるため、20グリッド降格(ギアボックス交換も重なってさらに5グリッド降格)、ジェンソン・バトンは2コンポーネントが6基目となったため計25グリッド降格を言い渡された。

 参戦台数が20台の今季、現実的に実行しようがないペナルティで、規定策定者であるFIA(国際自動車連盟)の想定を超える交換回数に達してしまったということであり、外からは続発するトラブルにホンダが追われているように見える。しかし、実態は違った。

「今後を考えた戦略として、『どのタイミングでペナルティを受けて新しいものを入れておくのが効率的か』と考え、ここで入れておくことにしました。主要4コンポーネントすべてを交換したのも、今後バラバラにペナルティを受けるのを避けるため。いずれにしても大きくグリッド降格になってしまうので、だったらここでまとめてやってしまおうと」

 新井康久F1総責任者がそう語る背景には、「トークン」(※)を使った開発計画がある。
※信頼性に問題があった場合、FIAに申請して認められれば改良が許されているが、性能が向上するような改良・開発は認められていない。ただし「トークン」と呼ばれるポイント制による特例開発だけが認められている。各メーカーは、与えられた「トークン」の範囲内で開発箇所を選ぶことができる。

 メルセデスAMGやフェラーリとの差を縮めるには、トークンによる特例開発をいかにうまく使うかがカギになる。ホンダはその新型パワーユニットを夏休み明けの後半戦に投入できるよう照準を合わせている。

 そうであれば、バラバラにアップデートを投入して毎戦ペナルティを受けるより、ここオーストリアでフレッシュなパワーユニット一式を投入して一気にペナルティを消化し、前半戦の残る2戦、イギリスGP、ハンガリーGPはこのパワーユニットで走りきる予定だ。つまり、マクラーレン・ホンダは残り2戦をのびのび戦うために、オーストリアGPを犠牲にしてコンポーネントの"戦略的交換"を行なったのだ。

「そのあたりはマクラーレン側とも話し合って決めました。もちろんドライバーにも理解してもらっています。正直にすべてを明かしていろんなことを共有していますし、だからこそ、彼らも気合い十分で走ってくれているんです」

 オーストリアで投入したコンポーネントには、FIAに認められた変更が施されているが、カナダGPで発生した排気系と点火プラグの問題は抜本的対策が間に合っていない。

「カナダでトークンを使って新しいMGU-H(※)を投入し、パワーユニットの効率を向上させた。その成果をここオーストリアで生かせるはずだったんですが、カナダで予想外のトラブルが起きてしまったから、その効果を確認できていないというのが正直なところです」(新井)
※MGU-H =Motor Generator Unit - Heat/排気ガスから熱エネルギーを回生する装置

 それでも、パワーで負けているわけではない。新井は、明言こそしなかったがルノーよりもパワーが出ていることを示唆した。

「『ホンダは非力』とボロクソに言われていますが、GPSデータなどから解析する限り、我々の出力は少なくとも4メーカー(※)の中でビリではないです」
※4メーカー=メルセデスAMG、フェラーリ、ルノー、ホンダ

 決勝で、アロンソは1周目に事故に巻き込まれてリタイアだったが、19番グリッドから14位までポジションを上げて攻めていた。彼のモチベーション低下を危惧する声もあるが、度重なるトラブルやリタイアにも「今は苦しくても、僕らには未来に向けた明確なプランがあるし、未来が見えている」とアロンソは前向きだ。

 八郷新社長もこうした状況をきちんと理解し、目先の結果にとらわれていない。自身も技術者であり、新井とは研究所でともに働いてきた旧知の仲だけに、ホンダのF1活動に対する理解は深い。

「そりゃ社長がいらっしゃったタイミングで良い成績が出せれば、それに越したことはないです。でも、結果に一喜一憂する部分もあれば、長い目で見なきゃいけない部分もある。社長も研究技術畑を歩いてきた人ですから、そこは理解して頂けていると思っていますし、目先の結果だけでどうこう言うようなことはないでしょう。今日のレースだけ見て方針が変わるようなら、そもそもF1をやらせてもらえていないでしょうし、現場に来たりしないですよ(苦笑)」(新井)

 結局、オーストリアGPはアロンソが1周目でリタイア。バトンはパワーユニット吸気系のセンサーが異常値を示したために、8周目でクルマを止めた――。

 マクラーレン・ホンダにとって、失望の結果になってしまった決勝レースの約5時間後。あたりが薄暗くなった午後9時前になっても、マクラーレンのピットガレージでは作業が続き、ピットガレージ中央に新しいモノコックが据えられた。23日火曜日から、ここオーストリアで2日間のテストが行なわれるのだ。

「今回のテストは非常に重要です。バルセロナのテストでもいいデータを取ることができてクルマが良くなりましたし、あれぐらい長い距離を走るとクルマの熟成が進むんです。イギリスGP、ハンガリーGPに向けてしっかり準備をしたい」

 新井はそう言って気持ちを入れ直した。前半戦の残る2戦、苦しみに耐えながらのレースが続くだろう。世界中のメディアからの非難や、嘲笑の声にも耐えなければならないだろう。しかし、彼らは苦難の先にある大きな光明を目指して戦っている。

 新井が言った。

「今は厳しい。でも後半戦はすごいですよ。だから待っていてください」

 その言葉を信じて、彼らの逆襲を待ちたい。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki