遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第62回】

 過去にF1や登山など、これまで様々なものにチャレンジしていた片山右京。近年は自転車ロードレースの世界にも足を踏み入れ、目標に掲げた「ツール・ド・フランス参戦」を目指して挑戦を続けている。常に最高峰の舞台を求める片山にとって、自転車の頂点を目指す困難さをどう受け止めているのか。

 6月13日から14日にかけて行なわれた自動車レース「ル・マン24時間耐久レース」に、片山右京はサプライズゲストとして登場した。13日・午後3時にスタートするレースに先だち、1999年に2位入賞したトヨタTS020でコースを走行した片山は、そのときの印象をフェイスブックに書き記した。少し長くなるが、その文章を引用する。

<クラッチが繋がり車が動き始めると不思議な事が起きた。/1秒とかからず僕の中で頭がフラッシュバックし、当時のマシンの中で与えられた仕事を次々に身体がやり出した。自分じゃない自分が勝手に反応する。/目で見えるものと、身体の中にあるものの違いは、考える事と触れるものの間にいる感触に近い。/(中略)/フルラップではブレーキングポイントを探りながらストレートを全開で進む。/追い風のストレートエンドではリミッターにタッチしたから、軽く320キロを越えて行く。/パークフェルメに止める前に無線でスタッフに報告する。/ブレーキが少しスポンジー。それに3速に落とす時にショック、多分クラッチのバイトタイミングが遅い割にブリッピンクが足りない。レースは良いけど、シームレスにするには80m/sec以下にした方が安定する。それに左リヤに小さなバイブレーション。/そこまで言って・・・、冗談だよ! 車は完璧だ。もう1回くらい完走出来そうだよ。/短時間に素晴らしい仕事をしてくれて本当に感謝します。/本当にありがとう、最高の思い出になったよ。>

 クルマを操作する愉しさがよく伝わってくる文章だ。そしてなにより、第一線を退いてすでに長いとはいえ、やはりこの人は根っからのレーシングドライバーなのだなと読み手に感じさせる何かがある。

 周知のとおり、1997年シーズンいっぱいでF1を退いた片山は、1998年にル・マン24時間レースで総合9位、翌1999年には上述のとおり総合2位という成績を残した。その後はダカール・ラリーなどにも参戦し、現在はSUPER GTでチーム監督としてGOODSMILE RACING & TeamUKYOを率いている。また、モータースポーツ以外の分野でも、登山やマラソン、自転車ロードレースにも挑戦。2012年に始動したロードレースチームの活動については、当コラムで毎週の連載記事として密着取材を継続している。

 SUPER GTでは、GOODSMILE RACING & TeamUKYOはチャンピオンを獲得した。登山活動は、キリマンジャロ(アフリカ大陸最高峰)やチョ・オユー(世界第6位)、マナスル(世界第8位)などの登頂に成功しているが、世界最高峰のエベレストはいまだその頂点を踏めていない。自転車ロードレースの活動では、国内シリーズ戦のJプロツアーで年間総合優勝を達成しているものの、彼らが最終目標に掲げるツール・ド・フランス参戦については、どれほど手を伸ばしてもまだ遙か彼方にあるのが現状だ。

 モータースポーツや過去の各種競技の挑戦と比較して、現在の自転車ロードレース活動はどれくらい達成が困難で、難易度の高いものと片山は感じているのだろう。

「すごく大変です、という言い方もできるし、たぶん簡単ですよ、という言い方もできる」

 そう言ってひと呼吸置き、少し照れたような笑みを浮かべた。

「負け惜しみに聞こえるから、後者の言い方ができないだけでね。でも、それほど難しいとは思っていないんですよ。ただ、自分たちの理想を完璧に叶えようとすると、こんなに困難なことは多分ない。それはもはや、片山右京個人の仕事じゃなくて、日本国とか、日本人にとっての挑戦なんだというところにまで広がってしまうだろうから。

『すごく大変』というのはそういうことで、じゃあ、『たぶん簡単ですよ』というのはどういう意味かというと、少し極端な例に聞こえるかもしれないけれども、たとえば、『F1ドライバーになるのは大変ですか?』と訊ねられれば、みんな大変だと答えるけど、現実は簡単なんですよ。お金があれば、何十億か払えばテストドライバーにだってなれるし、レースに出ることだってできる。もちろん、ある程度の力量がなきゃダメだけどね。結果をまだ出していない若者でも、いいパフォーマンスをすればオーケーな世界であったりするわけで、そこにはさらにビジネスなどの様々な要素も絡んでくる。

 だから極端なことをいえば、(自転車ロードレースでも)ものすごく潤沢なお金があれば、たとえばスポンサーが離れそうで資金繰りの厳しいチームを買収することは、たぶんできなくはないんですよ。

 だけど、そういうことをしたとして、いったい何が残るのか――。おそらく名前は露出するだろうけれども、日本のサイクルロードレース界に何かを貢献したことになるのかというと、それはかなり疑問ですよね。

 だから、今まで何度も言ってきたみたいに、僕たちが今一番大事にしようとしているのは、日本国籍のプロコンチネンタルチームを作りたいという、その一点なんです」

(次回に続く)

西村章●構成・文 text by Nishimura Akira