嵐の日も、猛暑の日も。妻のお墓の前に20年間座り続けた男性の話―アメリカ

写真拡大

1983年に亡くなった最愛の妻。ロッキーさんはそれ以来、「妻は私の一部だから、ここに来ると私は私になる」と毎日お墓に通い、その前で座って過ごしました。先日、97歳で愛する妻のもとに旅立ちました。

愛する人を失った悲しみは、決して消えることはありません。でも、彼は彼のやり方で天国の妻に寄り添い続け、新たな愛も生みました。

ロッキーさんと妻のジュリータさんは、アルゼンチン出身。1938年に結婚後、2人の子供たちの後を追ってアメリカ、ボストンに移住しました。しかし、ジュリータさんは1983年に他界。以来ロッキーさんは、猛暑の日も雪の日も、墓地が閉まる時間まで、妻のお墓の前に座り続けました。

「彼女は私の一部です。ここに来れば、少し気分がよくなる。goodではないけれど、betterにはなる。私は妻と、私自身のためにここに通っているんです」

ロッキーさんはお墓に着くと、青いビーチチェアに座り、「私はここにいるよ」と声をかけます。墓地が閉まる時間になると、お墓の周りにパンくずを巻いて帰りました。彼がいない夜の間にはシマリスがきて、ジュリータさんに寂しい思いをさせないため、という気遣いでした。

彼はいつも、ジュリータさんの写真を持参していました。写真の裏には、ジュリータさんの文字で「今日、大空が私に微笑みかけた。私はあなたを見た。あなたは私を見た。今、私は神を信じている。全ての私の愛とともに―Julita」と記されています。

12月20日の彼女の誕生日には、林檎酒をグラスに注いで、お墓の前で祝福しました。カセットデッキも持参して、スペイン語の子守歌を歌いました。

1990年ごろになるとロッキーさんの存在はアメリカでも知られるようになり、多くの人がお墓にいるロッキーさんを訪ねるようになりました。彼らは2人の愛の物語を聞き、ロッキーさんは食べ物や上着マフラーなどを受けとり、ジュリータさんのお墓は国旗や花、天使の置物などで飾られるようになりました。

まだ、さほど有名になる前、この場所でもう1つの愛が生まれたエピソードがあります。地元の学校で数学の教師を務めるリンダさんは、ロッキーさんの元を訪ねていました。ロッキーさんは、ジュリータさんと初めてキスをした9月16日、その61回目の記念日に、再びここを訪れるように言いました。

当日お墓を尋ねると、そこにはもう1人、墓地の整備員のジョンさんが。2人とも独身であることを知っていたロッキーさんの計らいで2人は出会い、1年後に結婚しました。「私たちの結婚は、天国で生まれた結婚です」とリンダさんは語っています。

ロッキーさんが最後にお墓を訪れたのは、昨年の7月。病に伏せる直前のことでした。そして1月22日、ボストン市内のケアセンターで息を引き取りました。97歳でした。

2人で出かけるとき、ロッキーさんはいつもジュリータさんの左側を歩いたそうです。20年の時を経て、ロッキーさんは今また、彼女の左側に寄り添っているに違いありません。

参考:Rocky Abalsamo who sat at his wife’s grave in Boston for 20 years has died
http://www.news.com.au/lifestyle/relationships/rocky-abalsamo-who-sat-at-his-wifes-grave-in-boston-for-20-years-has-died/story-fnet09p2-1226815269443