当時発売された攻略本は10万部売れ、サントラのカセットは1万本。「出せば売れる時代でした」と岸本良久氏

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1986年の誕生以来、日本のテレビゲーム史に名を残す名作シリーズとして伝説化した“くにおくん”が今、最新作発売や映画&ドラマ化などでまた熱を増している。

シューティングゲーム全盛期だったゲーセンに鮮烈デビューした『熱血硬派くにおくん』。その後、ファミコンへの移植とともに、世界初の“喧嘩要素満載”ドッジボールをゲーム化した『熱血高校ドッジボール部』などシリーズ化。その総数は30作以上だ。

この『くにおくん』の生みの親で、数多くのシリーズに関わる現・(株)プロフェット代表の岸本良久氏に誕生秘話を聞いた。

「高校時代はリーゼントに中ランで喧嘩ばっかしていて(笑)、ゲーム業界に入ってからも喧嘩の手応えが感じられるゲームを作りたかった。それで、殴る蹴るの本格的な肉弾戦がテーマのゲームを発案しました。

当初は“熱血硬派”って仮タイトルでしたが、『名前つけない?』『社長の名前は?』『瀧邦夫*かー。じゃ“熱血硬派くにおくん”』『いいね!』と、ノリで決定(笑)。(*当時の開発会社テクノスジャパンの社長)

この邦夫君はコワい人でしたが情に厚くてね。社員を小遣いつきでハワイに連れてってくれたり、絶大な信用があったカリスマ社長でした。普段はゲームに興味ナシで会社に来ない。でも、『今年10億儲けたから来年は30』って目標だけ立てて。当時は寝てると枕元に『来年は30だぞ』って社長の顔が出てきましたから(笑)。しかも毎晩。

本当にキツかったけど社員一丸となって“ゲーム業界で格闘ジャンルはトップになる”って熱い思いを持って徹夜で仕事してました。ただ、金色のド派手な自社ビルを作り、会社でF3のレーシングチームを持ってから経営が衰退、倒産しましたね。現在の邦夫君? 70代ですが元気です!

今回、僕が関わった新作の映画&ドラマの『熱血硬派くにおくん』は熱い内容の自信作。昔のファンも草食男子もぜひ観てほしい!」

(取材・文/河合桃子 撮影/下城英悟)