「(東京演芸)協会からは7月に東京・浅草でお別れ会を行いたいという連絡はありましたが、まだ具体的な日取りは決まっておりません」
 都内の自宅でそう話すのは4月29日未明、多摩川へ投身自殺を図った牧伸二さん(享年78)の妻・良子さん(76)。

「師匠が亡くなって残念なことは、かつては弟子だった泉ピン子が、先生が亡くなっても知らんぷりしていることです」(親しい芸人仲間)
 泉ピン子(56)のデビュー当時のプロフィルには《父親は浪曲師・広沢龍造、18歳で牧伸二の弟子となりギター漫談家に》とある。

「ピン子の父親は引退後、牧さんと彼女が所属していた事務所の役員を務めていたこともありました。ピン子にとっては家族同然の事務所でした。ピン子の名づけ親も牧さんです。牧さんたちが旅興行の合間にマージャンしているときに『顔がまん丸でイーピンそっくりだから』と命名されたんです」(演芸関係者)

 10年の下積みを経て、『ウイークエンダー』(日本テレビ系)で一躍人気者になったピン子は、ドラマ『おしん』で女優としての地位を確立。
「女優業に重きを置き始めたピン子と牧さんとの間には徐々に溝ができて行きました。決定的だったのは“育ての親”だった事務所社長が亡くなったこと。彼女は99年に独立し、牧さんには何の相談もありませんでした。そのうえ彼女が事務所から借り入れていた3億5千万円の返済をめぐり、4年間も裁判が続いたんです」(テレビ局関係者)

 当時、牧さんは裁判トラブルについて本誌の取材に「それはピン子が悪い」と一蹴。
現在はピン子のプロフィールから牧伸二の文字が消え、芸名の由来も父が「志の一番なピンの芸人になれと話したから」に変わっていた。牧さんが亡くなった翌日に開かれたドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)の制作会見でもピン子から追悼のコメントはなかった。

師弟関係について、改めて良子夫人に聞いた。
――ピン子さんから弔問・弔意はありましたか?
「それはありません」
――牧さんはピン子さんの師匠では?
「私も(主人から)そのように聞いたことがありますが、(何があったのかは)私にはまったくわかりません…。私のほうからお話しすることではないと思います…」
 旅立った牧さんは今、何を思うのだろうか。