提供:週刊実話

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 −−K-1で数々の名勝負をプロデュースしてきた谷川さんが、新たに格闘技イベントを手がけると聞きましたが?
 谷川「『WARU下剋上』という地下格闘技のイベントのことですね。これは、1月に亡くなられた真樹日佐夫先生の追悼でもあるので、何かご協力したいなと思い、アドバイスをしているだけです」

 −−今日は『WARU』の代表である山本ほうゆうさんにも参加していただいています。まず基本的な質問からですが、地下格闘技とはどのようなものでしょうか。そして、真樹先生の追悼イベントを地下格闘技にしたのはなぜでしょうか?
 谷川「地下格闘技という言葉があまり適切じゃないとも思うんですが、力を持て余してる街の不良やらなんやらが集まって、一番強い奴を決めるというイベントです。プロの世界でメジャーなイベントがなくなり、中途半端になってる今、この地下格闘技はかなりキテる感じがする。若い人たちがやってるから、イベント全体のセンスもいいんですよ。真樹先生は30年くらい前に『腕っ節日本一決定戦』っていうイベントをやってます。これは面白かった。山本さん、あれ映画にもなりましたよね?」
 山本「なってますね。そして『格闘技の祭典』に移っていきました。その流れを汲みたいというのが今回の『WARU』なんです」

 −−つまり、ケンカのイベントですか?
 山本「違います。腕自慢大会ですが、ルールがあるからケンカじゃない。しっかり安全面に配慮したうえで思い切りやり合うんです。これまでの地下格闘技イベントのように、客席で乱闘騒ぎが起きない配慮もします。暴力団などは会場に入れないし、参加も認めてません」
 谷川「驚いたんですが、地下格闘技の団体は今、50くらいあるらしいです。それが自分たちで大会を開いて、300〜1000人くらいの会場を確実に満員にしてる。実際に観てみると面白いんですよ。街の腕自慢たちが地元を背負って戦う。絶対に負けられない剥き出しの人間味みたいなものがすごいんです。プロに比べて稚拙なところはあります。でも、それ以上に生々しい迫力がある。真樹先生は高度な技術よりもこういう試合の方が大好きでしたね」
 山本「K-1に憧れて、やりたいけど今はやる場所がないっていう若者たちに場所を提供したという面もありますね」

 −−谷川さんは現在、K-1にまったくタッチしていないんですか?
 谷川「してないですね。'03年から株式会社FEGがK-1のイベントを運営していました。そこで僕はプロデューサーと代表取締役をしていたんですが、資金面で立ち行かなくなり、現在は破産申請を開始しているところです。K-1の商標は、石井館長からエムコムという会社に売られました。今年5月には魔裟斗がエグゼクティブ・プロデューサーに就任して、スペインで復活イベントを開催しています。僕はエムコムの会長さんとも仲良くさせてもらっていますが、こんな状況ですので今のK-1イベントにはまったくタッチしていません」

 −−正道会館の創設者であり、K-1を立ち上げた初代プロデューサーが石井館長です。しかし、石井館長が法人税法違反で逮捕され、谷川さんが就任しましたね。
 谷川「それが'03年ですね。それまで僕はK-1だけじゃなく、『PRIDE』のマッチメークやテレビ局との交渉もやってたんですよ。でも石井館長が逮捕されて、フジテレビがこのままでは付き合えないと。でも僕が新しい会社を作って立てば、これまでみたいに放映するよということで、やらざるを得なくなったんです。そしたら『PRIDE』が怒ってミルコ(・クロコップ)を引き抜いた」

 −−就任早々からトラブルですね。
 「あの年は本当に大変でした。石井館長は逮捕、『PRIDE』の森下(直人)社長は自殺、ミルコが引き抜かれて、(ボブ・)サップとジェロム(・レ・バンナ)は怪我をして選手もいない。そこで急遽、曙を引っ張ったんです」

 −−どうやって引退直後の元横綱をスカウトしたんですか?
 谷川「九州場所の曙をアポなしで直撃したんです。スポーツ紙の記者から『曙がグローブで練習してる』と聞きましたから。夜に着いて朝に捕まえて、昼は夢を語り合って夜に飲ませて…。翌日には契約してました。人って、誰かに相談すると余計に迷うんですよ。だから誰にも相談させず、一気に契約させました。場所中の親方ですが、会って2日後には『いつ夜逃げしますか?』っていう話をしてましたね(笑)。たまたま東関部屋が出稽古に行く日があったから、『じゃあ、この日に荷物を出しましょう』って。そして2カ月後にはサップと対戦してました」